礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

百合若は鉄の弓で、ユリシーズはブロンズの弓で復讐する

2024-06-17 02:07:05 | コラムと名言

◎百合若は鉄の弓で、ユリシーズはブロンズの弓で復讐する

 河原宏『伝統思想と民衆』(成文堂、1987)第三章「中世における民族意識と民衆文化」の「二 元寇と神国思想」から、「2 元寇の文芸への反映」の項を紹介している。本日は、その四回目。注番号がある場合は、当該の注を引用した。

 この物語が元寇の故事をふまえていることはあきらかであろう。この曲上演の初記録は「言継卿記〈トキツギキョウキ〉」、天文二十年(一五五一年)とされているから、その間ほぼ二百七十年の距りがある。物語が嵯峨天皇の御代となっているのは、ただ古さを強調したものである。また百合若は八幡神〈ハチマンジン〉の化身とされ、思想的には神本仏跡〈シンポンブッシャク〉の本地垂跡説〈ホンジスイジャクセツ〉の上にたっている。
 明治三十九年(一九〇六年)一月、坪内逍遙は『早稲田文学』に論文「百合若伝説の本源」を発表し、百合若物語を古代ギリシア、ホメロス作『オディッシウス』(ラテン名『ユリシーズ』)であるとした。その論点は次のごとくである。
 共に外征物語が骨子となっている。百合若は「むくり退治、ユリシーズはトロイ戦争に出陣する。
 どちらも戦勝の後、熟睡中におきざりにされ、一人ぼっちになる。
 ユリシーズの妃ベネローペも夫の留守中、国内の豪族に無理強いの求婚をされ、編物が出来上ったらという口実を設けて拒み続ける。
 百合若では鷹の緑丸、ユリシーズでは翼をもつヘルメス(マーキュリー)が通信役を果す。
 共に変り果てた姿(ユリシーズは年老いた乞食)で帰国する。
 最後に百合若は鉄の弓で復讐する。ユリシーズではブロンズの弓となっている。
 逍遥はこれらの諸点をあげ、百合若物語を『オディッシウス』の翻案であるとし、また室町時代における東西文学の交渉をしめすものである、とした⒃。
 のちに逍遙はこの説が津田左右吉〈ソウキチ〉の批判をうけるや、この古代ギリシアの物語はおそらくボルトガル人によって日本人に伝えられたものであろうとのべ、自説を補強した。
【一行アキ】
按【おも】ふに、いづれ是等の話は最初ポルトガル人が持って来たものには相違ないが、勿論それは一の完備した文学的作品として之れを日本に伝へようとしたのではなく、或ひは航海中のつれづれの伽話〈トギバナシ〉に乗込んでゐた或日本人に話したとか、或ひは携へてゐた書物とか、器物とか、織物とかに描かれた絵画の説明に物語ったとかいふやうな事が発端で、最初からちぎれちぎれに語り伝へられ、さうして次第に広まったものかも知れない⒄。
【一行アキ】
 なお、この逍遙説に対して、津田左右吉、和辻哲郎などは否定的だが、荒木良雄氏はこれら否定説を踏まえ、逍遙が言及しなかった『百合若説経』の検討をも加え、偶然というにはあまりに一致しているとして、肯定説をのべている⒅。〈194~196ページ〉【以下、次回】

(16) 坪内逍遥「百合若伝説の本源」『逍遥伝説』第十一巻、一九二七年、春陽堂、八二四~三三ページ。
(17) 坪内逍遥「百合若、酒顚童子、金太郎等」(大正十一年七月『中央公論』)、『逍遥全集』同前、八四〇ページ。
(18) 荒木良雄氏は「『百合若大臣』成立考」の中で、『オデュッセウス』と『百合若説教』との類似点をいくつかあげているが、その中でももっとも見事なのは次の点であろう。変り果てた姿で帰国し、誰もがそれと気づかない百合若を、ただかつての愛馬「鬼鹿毛」だけは旧主と知って激しい愛情をしめす。「七重のひざを八重にしき、血の泪を流し、いななきしてこそ居たりけり」。『オデュッセウス』では乞食姿の主人を犬だけが尾を振って迎え、親愛の情を現わす。犬が馬に入れ代ってはいるが、人間の気づかない本の姿を、動物が直ちに見抜くという構成は、「奇縁というには、あまりに一致しているというべきである」という指摘に説得力をもつ。荒木氏によれば、むしろ土俗的性格をもつ『百合若説経』が『オデュッセウス』の原話を忠実にうけとめ、やがてそれに日本的造形を加えて舞曲『百合若大臣』が作りあげられた、としている。荒木良雄『安土桃山時代文学史』、一九六九年、角川書店、四六七ページ以下。

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