礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

国難ここに見る、弘安四年夏の頃

2024-06-19 00:01:27 | コラムと名言

◎国難ここに見る、弘安四年夏の頃

 本日は、6月15日の記事「戦いは百合若の強弓によって決した」に、若干の補足をおこなう。
 この日は、河原宏『伝統思想と民衆』(成文堂、1987)の中の文章を紹介したが、そこで河原は、「小学唱歌『元寇』」という言葉を使っていた。これは、正しくは「軍歌『元寇』」である。
 今日、「軍歌 元寇」でネット検索すると、いろいろな情報が集まる。森繁久彌が歌う「元寇」を視聴することもできる(ただし、一・二のみ)。ウィキペディア「元寇(軍歌)」の項には、その歌詞が掲載されている。
 本日は、その歌詞を紹介しておこう(筥崎宮の「元寇歌曲碑」などを参照した)。

 明治二十五年発表  元 寇  永井建子作詞/作曲

 一、(鎌倉男児)
四百余州【しひゃくよしゅう】を挙【こぞ】る  十万余騎の敵
国難ここに見る  弘安四年夏の頃
なんぞ怖れん我に  鎌倉男児あり
正義武断の名  一喝して世に示す

 二、(多々良浜)
多々良浜辺の戎夷【えみし】  そは何【なに】蒙古勢
傲慢無礼もの  倶【とも】に天を戴かず
いでや進みて忠義に  鍛えし我が腕【かいな】
ここぞ国のため  日本刀【にっぽんとう】を試し見ん

 三、(筑紫の海)
こころ筑紫【つくし】の海に  浪押し分けて行く
ますら猛夫【たけお】の身  仇【あだ】を討ち帰らずば
死して護国の鬼と  誓いし箱崎の
神ぞ知ろし召す  大和魂【やまとだま】いさぎよし

 四、(玄海灘)
天は怒りて海は  逆巻く大浪に
国に仇をなす  十余万の蒙古勢は
底の藻屑【もくず】と消えて  残るは唯【ただ】三人【みたり】
いつしか雲はれて  玄界灘月清し

 ビクターレコードの「元寇」(1937)の音源によると、一番の「鎌倉男児あり」を、「かまくらだんしあり」と歌っている。
 三番の「ますら」は、漢字で表せば「益荒」または「益荒男」であろう。
 戦争末期に公開された黒澤明監督の東宝映画『一番美しく』(1944)では、軍需工場に動員された女学生らが、勤務を終えての帰り、隊列を組みながら、この歌の全曲を歌っていた。

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