◎「やせ我慢」と「関係の絶対性」
新年にはいって、印象的な出来事が三つほど続いた。
ひとつは、SMAPの解散への動きが、いつの間にか、その撤回および謝罪へ変わっていった出来事である。
二番目は、人気テレビ番組『開運!なんでも鑑定団』における石坂浩二氏「冷遇」問題である。この問題がネット上で噂に上ったかと思うと、その数日後には、同氏が同番組を降りる予定であることが報じられた。
そして三番目に、甘利明前経済再生担当相が、「金銭授受疑惑」の責任をとって辞任した出来事である。産経新聞配信のインターネット記事によると、甘利明氏は、今月二九日午前、内閣府職員の前であいさつし、「責任の取り方に対し、私なりのやせ我慢の美学を通させていただいた」と述べたという。
甘利明氏の言葉を聞いて、今年の世相を特徴づけるキーワードは、「やせ我慢」ではないかと感じた。少なくとも、上に挙げた三つの出来事には、「やせ我慢」という共通項がある。
SMAPの四氏(五人のメンバーのうちの四氏)は、事務所から独立する夢を断たれたばかりか、テレビで「公開謝罪」までしなければならなかった。この四氏の心中は、一言でいえば、「やせ我慢」であったろう。
また、石坂浩二氏は、番組収録中には、司会としての役割りを果たし、それなりに発言もしているというが(伝聞)、放映された番組においては、一切の発言がカットされるという処遇を受けてきたという(伝聞)。これらが事実だとすれば、石坂浩二氏のこの間の心中も、やはり「やせ我慢」であったと思う。
甘利明氏は、みずから、「やせ我慢の美学」ということを言っている。
ところで、SMAPの旧独立派四氏、石坂浩二氏、そして甘利明氏は、それぞれ何のために、あるいは何を意識して、「やせ我慢」をしなければならなかったのか。このことについても、この三者には、何らかの共通項が抽出できそうだ。彼らは、いずれも自立した職業人であるが、実はいずれも、部外者には理解できないような際どい人間関係の中で仕事をしており、そうした際どい人間関係が、最終的には、その人々の態度や言動を決定しているらしい。これが、今回、これらの出来事から、私たちが受け取った感想である。あえて言えば、彼らは、その業界の人でなければわからない、あるいは、その当事者でなければわからない、「ある種の関係性」に縛られおり、それゆえに「やせ我慢」を強いられることにもなったのである。
では、そうした「関係性」とは、具体的に何なのか。SMAP旧独立派四氏や石坂浩二氏の場合については、ある程度の憶測が成り立つ。しかし、これにしても、本当のところは、その業界の人でなければ、あるいは、その当事者でなければわからないと見るべきである。
甘利明氏については、一部週刊誌が「はめられた」という見方を示している。では、誰が甘利氏を「はめた」のか。甘利氏が大臣を辞めざるを得なかったは、その「はめた」勢力との関係性によるものだったのか。おそらく、そうではない。自民党内において、「はめられてしまった」甘利氏に対し批判的な空気が形成され、甘利氏は、自民党内の、そうした空気に抗しきれずに辞めたのだと思う(推定)。その「はめた」勢力が何であるかについては、自民党関係者も甘利氏本人も、うすうす気づいているのだろうが、その実体が明らかにされるのは、しばらく先のことであろう。
かつて、思想家の吉本隆明(一九二四~二〇一二)は、「関係の絶対性」という言葉を使ったことがある。この言葉には、人間の態度・言動・思想を左右するのは、「人間関係」(関係性)であるという考え方が含まれている。これは、実に便利にして有効な言葉であって、今回、改めてそのことを実感した。
なお、一言、補足する。今回、SMAPの旧独立派四氏、石坂浩二氏、甘利明氏は、それぞれが「やせ我慢」の態度を示したわけだが、これについて私は、共感したり是認したりしたのかというと、必ずしもそうではなかった。それは、「関係の絶対性」に対し、あえて抗うような「やせ我慢」というものがありうるだろうし、そのような「やせ我慢」こそが、本当の「やせ我慢」ではないか、という考え方を以前から持っているからである。
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