礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

長官狙撃事件への関与を主張していた中村泰受刑者の死亡

2024-06-02 03:31:55 | コラムと名言

◎長官狙撃事件への関与を主張していた中村泰受刑者の死亡

 新聞報道によれば、1995年に起きた國松孝次警察庁長官狙撃事件で、事件への関与を主張していた中村泰(ひろし)受刑者(94歳)が、先月22日。東京・昭島市内にある医療刑務所で死亡したという。
 当ブログでは、この事件とその真犯人のことを、何度もとりあげてきた。中村泰受刑者の名前こそ出さなかったが、「老スナイパーN」が、この事件に深く関与していたという説を一貫して支持し、今日にいたった。
 中村泰受刑者、いや、中村泰さんの冥福を祈りたい。本日は、五年前、当ブログに載せた記事(2019・2・22)を再掲することにする。

◎警視庁公安部は、なぜ「真犯人」を隠蔽したのか
 橘正一著『方言読本』(厚生閣、一九三七)を紹介している途中だが、一九日のコラム「平凡社新書『警察庁長官狙撃事件』は傑作だった」について、補足したいことがある。
 警視庁公安部は、事件を解明することなく、時効を成立させてしまった。大変な失態である。警視庁公安部は、最後まで「オウム犯行説」に固執し、「老スナイパー真犯人説」は、採用しなかった。その「理由」あるいは「事情」は何だったのか。これに関しては、若干の私見がある。その私見を述べてみたい。これが、一九日のコラムについての補足である。
 まず、警視庁ないし警視庁公安部が「老スナイパー真犯人説」を採用しなかった「理由」あるいは「事情」について、考えうる臆説を列挙してみよう。
1 警視庁公安部は、「オウム犯行説」を固く信じてきた。そのメンツがあって、「老スナイパー真犯人説」を認めるわけにいかなかった。
2 逃走中だった平田信・元オウム幹部による犯行の可能性を信じ、その行方を追っていた。
3 松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚らに対する死刑執行がなされるまでは、人々が抱いている犯罪集団「オウム」のイメージを維持しておく必要があった。
4 A巡査長事件という失態がトラウマになっていた。
5 老スナイパーNが、公判中に「隠し玉」を提示することを恐れた。
 まず「1」だが、これは、よく巷でささやかれてきたことである。実際、十分にありうることである。しかし、この重大な問題を、「メンツ」だけで説明できるものだろうか。警視庁公安部が、「メンツ」のこだわり、そのために事件が解明できなかったということになれば、まさにそれこそが、「警視庁公安部のメンツ」に関わることではないのか。
 次に、「2」だが、これもありうることである。警視庁公安部としては、平田信・元オウム幹部を逮捕して取り調べる前に、「老スナイパー真犯人説」を採用するわけにはいかなかったのではないだろうか。
 なお、平田元幹部は、十七年間も逃走を続けてきた理由について、「國松事件で犯人扱いされたことが、ほぼすべてです」と答えている(平凡社新書『警察庁長官狙撃事件』二〇〇ページ)。仮に、平田元幹部が、時効成立前に逮捕されていたとすると、國松事件で冤罪を負わされていた可能性がある。その一方、平田元幹部に対する取り調べの結果、警視庁公安部が「オウム犯行説」を捨てざるをえなくなった可能性もある。いずれにしても、十七年もの間、平田元幹部の逃走を許す結果になったことは、警視庁にとって大きな誤算であった。
「3」も、ありうることだと考える。周知のように、國松長官狙撃事件が時効を迎えた二〇一〇年三月三〇日、青木五郎警視庁公安部長は、記者会見を開き、この事件が「オウム真理教の信者」による犯行であることは間違いない旨、表明した。なぜ、あえて、こうした表明をおこなったのか。これについては、「1」で説明するより、「3」で説明したほうが、説得力があるのではないだろうか。
「4」も、十分ありうる。A巡査長事件というのは、オウム信者だった現職のA巡査長が、國松長官狙撃を自白したにもかかわらず、警視庁がこれを隠蔽し、その後、これを逮捕したものの、A巡査長が犯行否認に転ずるなどのことがあって、結局、立件できなかったという一連の事件である。警視庁にとっては、屈辱的ともいえる事件であった。
 老スナイパーNを真犯人として逮捕した場合、このA巡査長事件と同様の経緯をたどる可能性が否定できなかった。――少なくとも警視庁は、その可能性が高いと見たのではないだろうか。
 最後に「5」だが、老スナイパーNの「反権力的」、「反体制的」な思想傾向を考えると、公判になった場合、彼がどのような陳述をおこなうか予想がつかない。これまで、警察庁や警視庁が把握していなかった「隠し玉」を提示し、公判を(社会を)混乱させる可能性がある。特に警視庁公安部は、そういう事態になることを恐れたのではないか。

 以上が、五年前の記事である。少し補足する。
 この事件で長官を狙撃したのは、中村受刑者が「支援役」と呼んでいたハヤシであった可能性がある。この事件が立件されていた場合、公判の席で中村受刑者が、自分はこの事件では「支援役」であって、実際に狙撃したのはハヤシであった云々と言いはじめる可能性があった。あるいは、ハヤシの実名まで明らかにしたかもしれない。警察庁や警視庁が、この事件を立件しなかった理由のひとつに、この事態が生じるのを恐れていた、というものがあったと推察される。
 ただし、上記の記事を書いたとき、「隠し玉」という言葉でイメージしていたのは、中村受刑者による、狙撃したのは自分ではなくハヤシだったという暴露ではなかった。そういう、この事件の「真相」に関することではなく、この事件とは直接は結びつかない「重大な事実」、中村受刑者のみが把握していて、それが明らかになれば、公判を(社会を)混乱に陥れるような「重大な事実」のことだった。

*このブログの人気記事 2024・6・2(8位は時節柄か、9・10位に極めて珍しいものが)

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