礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

徴兵検査合格者に対する抽籤は廃止すべし

2018-09-30 02:19:32 | コラムと名言

◎徴兵検査合格者に対する抽籤は廃止すべし
 
 話題を、松下芳男の『軍政改革論』(「民衆政治講座」第二二巻、青雲閣書房、一九二八)に戻す。今月二六日に、同書の第五章「兵役法の改正」、第四節「兵役法改正の要旨」の(イ)「特権兵役の廃止」を紹介した。本日は、それに続く(ロ)を紹介する。

   (ロ) 選兵方法の改正
 今日の選兵方法は体格本位である。即ち甲種乙種の合格者中抽籤に依つて現役入営の如何が決定されるのである。即ち今日の徴兵制度は要するに体格優秀者のみに課せられる義務である。是れ果して適当であらうか。
 此結果、先きにもいふやうに無産者がどうしても、より多く徴集される形になるが、必ずしもそれ故といふのではなく、今日の軍隊そのものの性質が、此体格優秀者のみを適任者としてゐるのではないことに、注意しなければならぬ。改めて説くまでもなく、今日の戦闘は肉体戦ではなくて機械戦である。体力戦ではなくて智力戦である。概括すれば智力を主として働く兵科と、体力を主として働く兵科とがある。又同一の兵科の中にも、智力を主として働かす職務と、体力を主として働かす職務とがある。それが機械の進歩と、戦闘技術の向上とに正比例して、その傾向が顕著になるのである。
 斯く考へれば、体格本位の選兵方法は、不適当以上に大【だい】なる誤謬である。体格は智力と同一の地位に評価されねばならぬと信ずる。軍隊の素質を向上するためには、単に体格本位ではいけない。どうしても体格と智力との複本位制でなければならぬ。此点に於いて、私は尚ほ多くを説く必要を見ないであらう。
 更に抽籤方法は頗る不良なほうほうである。年々の徴兵検査を受ける壮丁約五十五六万中、合格者は約二十二三万人であつて、此中から抽籤して実際入営するもの僅かに十二三万人である。師団整理の結果もつと減ちた筈である。即ち合格者中の約半数が、抽籤といふ偶然事に依つて、入営を免【まぬが】れることになつて、此不合理なことは先きにいつた通りである。私は此抽籤方法を廃止すべきであると信ずる。そして合格者中より更に入営者を決定するには、その家の生活内情に依るべきだと思ふ。即ちその家の生活程度の高いものより採用するのである。是れ社会政策上合理的な方法なりと信ずる。

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邪教とあらば邪教で差支へない(佐藤義亮)

2018-09-29 00:39:59 | コラムと名言

◎邪教とあらば邪教で差支へない(佐藤義亮)
 
 一昨日、昨日に続いて、新潮社の話題である。森達也さんと礫川との対談記録『宗教弾圧と国家の変容』(批評社、二〇一五)から、本日は、同書の一五八ページの「図版」から、「新潮社長 佐藤義亮」の「みんな変つて行く」という文章を紹介する。なお、この文章は、一九三六年三月一〇日に出版された『ひとのみちに対する誤解を一掃す』(発行人・佐藤義夫、発行所・扶桑教ひとのみち教団奉仕員連盟東京地方連盟)に載っていたものである。

 みんな変つて行く
   新潮社長 佐 藤 義 亮
 ひとのみちに入教して、真面目に精進する人の姿を見てゐるくらゐ、愉快なものはない。
 二ケ月、三ケ月、半年、一年――みんな変つて行く。遅い早いはあるが、みんな変つて行く。
 痩せてゐたものは、ドンドン肥りだす。
 青ざめた顔は、赤味を帯【ふく】んで、沢々【つやつや】しくなる。
 因循姑息だつた者が、実行第一と働きだす。
 人中で口のきけなかつた者が、演壇で大声でしやべる。
 まるで他人のやうだつた夫婦が、ニコニコ連れだつて来て、連れだつて帰る。
 家庭から学校から持てあまされた「赤」の青年が、いつの間にか 陛下の御徳【おんとく】を讃【たゝ】へだす。
 有髯【いうぜん】の紳士が、シヤツ一枚になつて、いゝ気持さうに家の掃除などをやつてゐる。
 等、々、々。みんな陰鬱を蹴飛して、明朗になるのだ。
 これが、ひとのみち人【じん】の真面目に精進する場合、例外なく変つて行く姿だ。
 これでインチキな教【おしへ】ならインチキ結構、邪教とあらば邪教で一向差支へない。私たちは、この絶対の幸福境にあることを歓天喜地するのみだ。

 次回は、話題を『軍政改革論』に戻します。

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新潮社に入社すると「ひとのみち」に入る

2018-09-28 02:32:47 | コラムと名言

◎新潮社に入社すると「ひとのみち」に入る
 
 昨日に続いて、新潮社の話題である。森達也さんと礫川との対談記録『宗教弾圧と国家の変容』(批評社、二〇一五)から、本日も、礫川が「新潮社」について述べている部分を抜いてみる(一六二~一六四ページ)。

礫川●雑誌ジャーナリズムにたずさわっている人たちが、相互に研究会などを持っているのかどうか知らないけれど、もう少し勉強したほうがいいのではないでしょうか。たとえば、戦中におけるジャーナリズムの歴史とか、戦中・占領中における検閲の実態とかを。
 新潮社の編集関係者だったら、新潮社というのは、かつて、「ひとのみち」とどういう関係にあったのか。今日の「社是」は、どのような系譜をたどって確立してきたのか。そういったことを、もっと研究したほうがよいように思います。
 おそらく、新潮社の従業員も、新潮社から本を出している文筆家も、そういうことは、あまり知らないのではないでしょうか。
 私は、昔、サンカの研究やっていて、三角寛【みすみかん】という作家を追っていたら、この人が、「ひとのみち文士」と呼ばれる、ひとのみち教団に属する文士であることがわかりました。当時、吉川英二、国枝史郎、下村悦夫といった作家も、「ひとのみち文士」であったと聞いて驚いたのですが、自分のまわりには、そういうことを知っている人は誰もいませんでした。ちなみに、当時、「ひとのみち文士」として、最も有名だったのは三角寛で、彼はひとのみち池袋支部の中心人物でした。
 それから、さらに調べてゆくと、ひとのみちと新潮社との深い結びつきが見えてきました。当時、牛込の矢来町【やらいちよう】に、ひとのみちの牛込支部があって、新潮社の佐藤義亮社長は、その支部の中心的人物。ちなみに、新潮社もまた牛込の矢来町にあって、ほとんど隣接していたという話もあります。新潮社に入社したら、ひとのみちに入るという不文律があって、新潮社に出入りしていた博報堂の社員もひとのみちに入ることを勧められたと言います。これらは、当時、大宅壮一が『日本評論』という雑誌に暴露していることです。(注52)
(注52)礫川『サンカと三角寛』(平凡社新書、二〇〇五)
 これに近い事例が、今の日本にあるのかどうかわからないけれども、一九九七年に経営破綻した「ヤオハン」の従業員は、全員、ある宗教に入信することになっていたという話を聞いたことがあります。
 また、パナソニックの創業者である松下幸之助が書いている本は、どれもこれも宗教臭く、彼が提唱したPHP運動というのは、一種の宗教ではないかと、私は捉えています。ちなみに、松下幸之助の生家は浄土真宗で、彼自身は、一九三二年(昭和七)に天理教の本部を訪ね、経営のヒントを学んだと言われています。(注53)この松下幸之助の影響力は、「松下政経塾」を通して、日本の政界にも及んでいます。
(注53)礫川『日本人はいつから働きすぎになったのか』(平凡社新書、二〇一四)
 というわけで、日本人というのは、意外に宗教というものと縁が深いようなのです。特に、「企業」に宗教色が強いように思います。『カルト資本主義』(文藝春秋、一九九七)という本を、斎藤貴男さんが書いておられるけれども、多くの日本人は、おそらくここに書かれている事実を、素直には受け入れないと思います。
 たまたま、オウム真理教のような教団があらわれると、ひどいバッシングにあいますが、企業文化の一部をなしているカルト主義は、なかなか批判の対象にはなりません。
 日本人は、「私は無宗教です」という人が多いわけですが、本当は、かなり宗教的なのではないでしょうか。

 ここに、大宅壮一の名前を出した。この対談の時点では気づかなかったが、大宅壮一は、かつて新潮社に在籍し、「社会問題講座」の編集にあたったという。ウィキペディア「大宅壮一」の項を参照されたい。なお、当ブログの二〇一八年六月一五日のコラム「『資本論』の完訳版を最初に出したのは新潮社」も、併せて参照されたい。【この話、続く】

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新潮社と「ひとのみち」教団

2018-09-27 01:26:32 | コラムと名言

◎新潮社と「ひとのみち」教団
 
 松下芳男の『軍政改革論』(「民衆政治講座」第二二巻、青雲閣書房、一九二八)を紹介している途中だが、いったん話題を変える。
『新潮45』休刊のニュースにともなって、新潮社という出版社に対する関心が高まっている。新潮社については、このブログでも、何度か言及したことがある。本日は、森達也さんと礫川との対談記録『宗教弾圧と国家の変容』(批評社、二〇一五)から、礫川が「新潮社」について述べている部分を抜いてみたい(一五八~一六〇ページ)。

礫川●週刊新潮というのは、いつも独特のスタンスで、報道してきたという印象があります。新潮社の創業者である佐藤義亮【ぎりよう】という人は、先ほどから何度も名前が出てきた「ひとのみち教団」の信者です。信者どころか、相当の幹部ですよ。弾圧を受けるまで、ひとのみち教団が出していた広報誌『ひとのみち』の裏表紙には、毎号、新潮社が出していた総合雑誌『日の出』の全面広告が載っていました。
 ひとのみち教団に対する弾圧は、新潮社にまでは及ばなかったようで、佐藤義亮は、ひとのみち教団が弾圧された後も、何事もなかったように『日の出』を出し続けて、戦後にいたります。ちなみに、『日の出』は戦後間もなく、廃刊しました。
 新潮社には、作家たちから「神様」として恐れられた齋藤十一【じゆういち】という編集者がいましたが、この人も、ひとのみちの信者で、その縁で新潮社にはいったと言われています。
 昭和初期の新潮社というのは、要するにひとのみち教団の別動団体だと見てもいいのではないかとすら、私は思っています。
 そういう経緯があるからかどうかは知りませんが、どうも新潮社というところは、創価学会という宗教団体に対しては敵対的ですね。
 ひとのみちは、中流上層を狙って布教していたのですね。それに対して、創価学会は、これは戦後のことを念頭において言いますと、中流下層を狙って布教していくわけですね。だから、性格的には合わないわけです。系譜としては、ひとのみちは、教派神道系で、創価学会は、日蓮正宗系です。国家観も違います。
 ひとのみちは、教育勅語を教典に採用するなど、反国家的な色彩はまったくなかったのですが、それでも、国家権力は、その存在を許さなかったのです。ひとのみち教団と強い結びつきを持っていた新潮社は、ひとのみち教団が弾圧されたあとも存続しますが、ひとのみち弾圧時のトラウマは、その後の社風の一部になったのではないでしょうか。
 今日、週刊新潮が、国家権力あるいは皇室に対してとっているスタンスは、どこか醒めたものがありますが、おそらくそのあたりは、新潮社の社風を反映しているのかもしれません。
 私は、新潮社というのは、ある意味で、権力の恐ろしさというものを、よくわかっている出版社ではないかと見ています。

 あと数回、この話題を続け、そのあと、『軍政改革論』の紹介に戻りたい。

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幹部候補生および短期現役兵の制度を全廃すべし

2018-09-26 03:20:08 | コラムと名言

◎幹部候補生および短期現役兵の制度を全廃すべし
 
 松下芳男の『軍政改革論』(「民衆政治講座」第二二巻、青雲閣書房、一九二八年一〇月)から、その第五章「兵役法の改正」を紹介している。
 本日は、その四回目で、同章の第四節を紹介する。第四節は、(イ)から(ト)までの七項からなる。本日は、その(イ)を紹介する。

  第四節 兵役法改正の要旨
   (イ) 特権兵役の廃止
 我々は先づ特権兵役の廃止を叫ばざるを得ない。即ち兵役法中より幹部候補生及び短期現役兵の制度を断然削除し、一切の日本男子をして同等の兵役に服せしむべきを主張する。即ち有産階級の特権を兵役より剥奪せんとするのである。
 先づ幹部候補生に就いていへば、有産階級なるが故により高い学校を卒業出来たのであるのに、更にその上兵役義務をまでその金力を以つて左右せしめて、在営の苦痛を一年ですまさせるといふは、不都合千万【せんばん】な制度である。有産階級なればなるほど、二年位の在営は物質的には何でもないことではないか。無産者を二年在営せしめ、有産階級を半減せしめることは、又社会政策上採るべき策ではない。
 又幹部候補生は元来予備後備役の将校同相当官を希望する者といふ条件であるが、之れを希望して志願するものは、先きにもいふやうに多少はあるかも知れないが、その多くは、在営を一年ですまさうとするを主眼としてゐるのである。加之【しかのみならず】、茲でも又金が物を云ふのであつて、実際将校になり得る実力あるものでも、金のないためにわざと不成績になつて下士で止【とま】るものがある。それは若し将校になると被服や何かで多額の入費【にふひ】が予想されるからである。現に最近私の知れる予備少尉は、約千円の支度金がかかつたといつてゐる。故に一年志願兵の心理は全く在営の一年といふことと在営間の優遇とが目当てであるといつても過言ではないと信ずる。是れ甚だ面白からざることではないか。
 陸軍当局は此制度を大に助長せんとするやに見える。けれども、斯くの如きことは軍隊内部にも恐るべき悪影響を及ぼすのであつて、頃者【けいしや】某新聞の投書記事に曰く『一年の志願兵(改正前【ぜん】の名称)が軍曹に進級して、馬術に、射撃に、軍刀術に、なに一つとして、現役上等兵に及ぶことない。それに何ぞや神聖なるわが軍隊において、金銭のために、階級を左右するとは、一般現役兵の士気を損ずる事、実に少なくない』と。尤ものことでなければならぬ。而も此声の年と共に高まるべきことは想像に難くない。曽つて兵卒中には志願兵に向ひ、『貴公等【きこうら】は金を出して一年で帰るのだから、序【ついで】に少々俺等【おれら】に金を借せ』とばかりに彼等から金銭を捲き上げたものもあつたのみならず、『俺も中学以上の教育を受けられるだけの家庭に生れ、僅かに二三百円の金があつたら、彼等同様に一年で家へ帰へられるだらうに……』と。人知れず悲嘆の涙に暮れ、兵役を呪ふものの如何に多いか。それが貧困の度の増すにつれて、その悲嘆が益々深刻になるは自明の道理である。
 私は予備役幹部を養成することに反対するのではない。それにはその方法がある。要は出身の如何を問はず希望の優秀者を以つて充てればいいのである。
 又或は此幹部候補生制度の理由として、学問あるを以つて普通兵卒の二年で修得することを、一年で修得出来るといふ理由を以つてするものもあるかも知れない。之れに対しては後の項で詳論するであらうが、要するにその理由は成立しないのである。
 次ぎに短期現役兵に就いても同様である。小学校教育に携はるの故を以つて、曽つては六週間、次ぎには一ケ年、今は五ケ月の在営期間のみで、直に国民兵役に編入され、予備役も後備役もない上に、希望者は予備役将校もなり得る途【みち】が開かれてゐるといふことは、余りに甚しい特権である。小学校教育の大切なこと、小学校教員の保護奨励は、素より何人【なにびと】も異存はないであらう。併しそのために兵役義務を犠牲にすることは断じて我々の採らざるところである。
 故に私は兵役を国民の平等の義務とする理由に依り、幹部候補生及び短期現役兵制度を直に全廃すべきであると信ずる。併し私はその特権を剥奪して、『焼けない家をも焼いて了へ』的の暴力手段を敢へてせんとするのではなくして、むしろ反対に一般兵卒をも全部今日の特権に浴せしめよといふのである。それは次ぎに段々述べて行く。

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