パパとりの雑記帳

酉年生まれの後期高齢者。健康不安を抱えながら、新聞、TV等からの情報を元に、好奇心に駆られて、近郊の社寺を中心に散策。

京都出町・妙音堂

2022年05月19日 | 日記
出町と言えば、高野川と賀茂川が合流地点で水の都を象徴する光景が見られます。
子供の頃から見覚えのあるのが、種苗園芸店と小さなお堂。
散策の途中、立ち寄りました。

  
賀茂川上流             鴨川下流

 
左 賀茂川 右 高野川 合流点・三角州(デルタ)

  
高野川欄干      賀茂川・鴨川の架橋名    「鯖街道口」石標


「青龍妙音弁財天」

宗派 臨済宗相国寺派 大本山相国寺塔頭 大光明寺飛び地境内
 本尊 「青龍妙音弁財天画像」(伝空海筆)           

 

『 本殿の本尊は青龍妙音弁財天画像で、西園寺公衡(1264~1315)の長女西園寺寧子(大光明院殿・広儀門院)が、
第93代後伏見天皇の女后に輿入れされた折に、西園寺家第二伝の念持仏として持参されて以来、伏見離宮に祀られ、   
光厳、光明、崇光天皇と伝承されて来た霊像である。                                
その後享保年間、伏見宮家第14代貞建(さだたけ)親王に至って伏見邸が河原町今出川下がる出町北鴨口に移転され、  
同時に本尊も奉遷されたのであるが、更に明治初年東京へ遷座の後、京洛の旧信徒再三の請願に依って、         
再び現在の地に堂宇を建て奉安せられた。                                     
世に伏見御所の弁財天と称され、京都七福神の一つとして特に技芸上達、福徳円満の勝益をもたらすものである。』    

 


本堂 本尊 弁財天像


本堂前立の「己」

  
六角堂(本堂裏)
本尊 絹本着色「青龍妙音弁財天画像」安置
(本尊画像は御朱印左下にうかがえます


御朱印.


「京洛七福神」の一つ 弁財天

 
境内には、豊川稲荷陀枳尼天が祀られています


弁財天はインドの神様で仏教の守護神(仏様)ですから、弁財天がまつられる所は、
お寺のはずです。でも、妙音弁財天の正面には鳥居があります。        
お寺と神社のどちらなんでしょうか。 正解は「お寺」です。         
現在、妙音弁財天は相国寺の飛び地になっていて、入口にこそ鳥居がありますが、
中は仏教式になっています(鈴でなく鉦を鳴らして拝む。線香台があります)。
ただし、弁財天は、一般的に仏教と神道が混合した形で祀られていて、     
   明確に線が引けるものではありません。  (出町観光ページより)          


  
六角堂本尊「青龍妙音弁財天画像」 本堂本尊「弁財天像」
(ブログの転載画像のため不鮮明ですが・・・)


掲額の相国寺有馬頼底管長による御朱印

参考 賀茂川鴨川架橋名前
柊野堰堤 庄田橋 志久呂橋 賀茂川通学橋 西賀茂橋 御園橋 上賀茂橋 
北山大橋 北大路橋 出雲路橋 葵橋 出町橋
賀茂大橋 荒神橋 丸太町橋 二条大橋 御池大橋


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押熊八幡神社

2022年05月17日 | 日記
平城ニュータウン・旧押熊地区の在所にある鎮守に祀られているのが
「押熊八幡神社」で、初詣には毎年参拝にでかけます。
久し振りに散歩がてら歩いてみました。
誰も居ない境内は、掃き清められ、野鳥の鳴き声以外は静寂そのもの。


境内付近案内図


参拝入口と狛犬

 
狛犬

 
屈強そうな狛犬


扁額「八幡宮」 八幡の「八は鳩」


本殿正面と狛犬


扁額「八幡宮」 

 
狛犬

 
狛犬


本殿 御祭神 誉田和気命

 
三社 御祭神 武甕槌神      祓戸神
                           木之花咲耶姫命                          市杵島姫命
 

押熊八幡神社「御神符」



押熊八幡神社に隣接して「忍熊王子、麛坂王子舊跡地」があります。    
おそらく、「押熊」の地名のもとになった「忍熊王」縁の場所なのでしょう。
近くに神功皇后の御陵が、八幡神・応神天皇を祀る神社境内に隣接するという、
皇位を巡り戦い、非業の死を遂げた「王子の舊跡地」があるのも皮肉ですね。
兄は大阪市北区の兎我野、弟は滋賀県大津市の瀬田で斃れたのに      
「押熊」が縁の地とは。                        



   

  


「説明板」によると
『日本書紀』によれば、忍熊王と兄の麛坂(かごさか)王は仲哀天皇の皇子で、母は
彦人大兄の娘、大中姫(仲哀天皇の后)である。
 仲哀天皇の崩御のあと、神功皇后は新羅出兵を終え、尽くしに還り誉田別皇子
(ほむたわけのみこ のちの応神天皇)をお産みになった。翌年春二月、皇后は皇子と
共に大和へ凱旋の途につかれたが、このことを知った押熊、麛坂(かごさか)両王は、
皇位が幼皇子に決まることを恐れ、皇后軍を迎え撃とうと、菟餓野(とがの、今の大阪市北区)
に出て、その吉兆を占うと狩を催したとき、兄の麛坂王は赤猪に襲われて亡くなられた。
 弟の忍熊王とその軍は、皇后軍のため次第に押され、莵道(宇治)まで退脚した。                     
一方皇后軍は三月の初めに山背へ進出し、莵道に至って河の北に布陣、
戦闘を始めようとした忍熊軍は謀略に欺かれて敗退。山背を退き近江との国境の             
逢坂におけるたたかいにも敗れ、忍熊王は瀬田の渡し場所付近で入 水、亡くなられた。                                      この『日本書紀』の伝承にある忍熊王は、当時、この地域を支配していた実在性の高い 人物、
王の一人であったと考えられる。 そして、
この地域にある日本有数の巨大な前方後円墳を 含む「佐紀盾列古墳群」との関わりも考えてみる必要がある。                 
古来より連綿として忍熊王を奉斎してきたこの地域の古い歴史を偲ぶことができる。             
忍熊王子神社の祭礼は4月18日で、当日は宮座も物が参列して古来の儀式により、         
お祭りをする。また、農家では、昔からこの日を「だんご休み」と言って農作業を休み、            
ヨモギ餅を作り祖先にお供えするとともに近隣縁者の家に配る風習がある。              
「押熊」は鎌倉時代に作成された「西大寺田園目録」の中の、添下郡京北三里の所に         
「押熊原」との地名がみえ、また「大和国添下郡京北班田図」にも「押熊里」の            
地名があることから、押熊が古代からの由緒ある歴史的地名であることに疑いはない。             
なお、この旧跡地に隣接する「カゴ池」「かご坂」は押熊の祖先、麛坂(かごさか)王            
にちなんでつけられた名称であろう。





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白峯神宮・(京都非公開文化財特別公開)

2022年05月10日 | 日記
白峯神宮は「保元の乱」に敗れ、讃岐に幽閉された崇徳天皇を祀る神宮です。

崇徳天皇については、次の3か所が聖地とされています。

陵(みささぎ)は、宮内庁により香川県坂出市青海町にある白峯陵(しらみねのみささぎ)に治定されている。
宮内庁上の形式は方丘。
• 所在地: 香川県坂出市青海町字御山2677番地

香川県の中央に位置する連山五色台の西側、白峰の北側中腹標高260m地点に位置し、
四国八十八箇所第八十一番札所白峯寺に隣接している。

白峯陵では毎年9月21日に御正宸祭(ごしょうしんさい)の儀が執り行われる。
崩御地である四国・讃岐に所在し、土御門天皇火葬塚を除けば四国で唯一の天皇陵である。
また、配流先で造営された陵墓のうち、
宮内庁に天皇陵として治定されたのは
白峰陵と兵庫県南あわじ市の淳仁天皇淡路陵の2か所のみである。

また皇居では、皇霊殿(宮中三殿の1つ)において他の歴代天皇・皇族とともに天皇の霊が祀られている。

崇徳天皇御廟
・ 所在地: 京都市東山区祇園町南側
毎月白峯神宮の神官による月次祭が執り行われている。

保元の乱に敗れた崇徳上皇は、讃岐に流され悲嘆の日々を送っていたが、
血書をもって都への還幸を願ったが、聞き入れられず、46歳で崩御された。
上皇の寵愛を受けた阿波内侍は上皇の遺髪を請い受け、この地に一塚を築き、
亡き上皇の霊をお慰めしたと伝えられている。

この頃、京では異変が相次ぎ、崇徳上皇の祟りと恐れられたため、御影堂や粟田宮を建て慰霊したが、
今では廃絶し、この地のみが上皇を偲ぶ御廟となっている。



白峯神宮
・ 所在地 京都市上京区今出川通堀川東入ル飛鳥井町


孝明天皇は幕末の国家動乱を避けるため、崇徳天皇の神霊を京都に奉還し鎮魂する白峯社の創建を決めた。
父帝の遺志を継ぎ、明治天皇は慶応4年(1868年)8月18日に自らの即位の礼を執り行うに際して
勅使を讃岐に遣わし、讃岐から京都へ、700年ぶりに崇徳天皇の神霊を迎えられた。
(明治6年(1873年)第47代・淳仁天皇の神霊を淡路から迎え合祀)

昭和15年(1940年)官幣大社に昇格し「白峯神宮」となった。

春の「京都市非公開文化財特別公開」で初めての公開とのことで行ってきました。蹴鞠、雅楽器、刀剣とともに
「崇徳天皇肖像画」一幅、「随身 源為義・為家肖像画」二福を拝観しました。
但し、残念ながら、実物は京都国立博物館で修復中とのことで、実物の写真と複製の軸が床の間に飾られていました。


実物の写真


複製の軸

(撮影禁止のため画像は他の方のブログより転載)

 
東京国立博物館蔵古画類集・崇徳天皇像画 

                      
白峯神宮蔵・随身源為義像画の実物写真?
従五位下左衛門大尉検非違使      


境内の「伴諸社」説明板  
闕腋(けってき)の袍・武官束帯
「為義(右 緋色装束・父)」
  「為朝(左 黒色装束・子)」  

随身の装束の色
 通常は、左手に黒色で四位以上の年配者、右手に緋色で五位以下が配置される。
 此処の随身像は右が父の為義で緋色、左が子為朝で黒色装束になっています。
   父為義の官位は従五位なので・・・?                   
 後からの作画と思われていますが、視線の方向から当初からの左右設定であろう。



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長岡京市・「走田(はしりだ)神社と勧請縄」

2022年05月04日 | 日記
寂照院の後方に寂照院の元鎮守「走田神社」がありました。




神社駒札
奥海印寺・長法寺両村の産土紙。式内社で、
「延喜式」にのる乙訓十九座の一つである。
祭神は天児屋根命・武甕槌神・経津主神・
姫大神の春日四柱を祀る。       
 かっては「妙見社」と言われ寂照院の鎮守
であったが、明治以後、正式に「走田神社」
と呼ばれるようになった。社名の「走田」は
初穂をつくる田を指し、早稲田の守護神であ
ったであろう。なお、正月十三日には御千度
詣りや弓講が行われる。また、明治初め頃ま
で同じ祭神を祀る小倉神社(大山崎町円明寺)
の神輿がこの社まで渡御し、その道がまだ古
老たちによって語り継がれている。    

 
鳥居            扁額

  
御神木と二の鳥居    階段上から御神木を振り返る


 
「勧請縄」
朱色に塗られた鉄のポールに青竹をとおした「勧請縄」が架けられてている。
        重いほどびっしりと「榊の枝」を付けた「小勧請」が十二束吊り下げられる。        
 一束が一月分で十二束で一年分の悪霊、災厄を防ぐとの意味合いと考えられる。
      通常は悪霊、災厄を防ぐために「道切り」と言い、集落の境界等に架けられている。  

           近隣の松尾大社では「脇勧請」と呼ばれ、鳥居の原型といわれています。             
          例年、榊の束は十二個あって、榊の枯れ方により、月々の農作物の出来具合を占ったそうです。  
       榊が完全に枯れると豊作で、一部が枯れ残ると不作なのだとか。             
             

  
手水舎              拝殿             本殿

     
狛犬 方向を変えて


 
乙訓景観十景 「走田神社」

   
稲荷社・春日社・・・・・                    


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長岡京市・寂照院

2022年04月30日 | 日記
初めて聞く寺院の名前です。
TV番組で「日本孟宗竹発祥之地」として紹介されたという。
今では、西山山麓一帯で筍の一大有名産地となり,嗜好されている。
下海印寺や奥海印寺という地名知っていましたが、寂照院はどんなお寺かと思って、
話題の地、縁の寺院に行ってきました。

戦国時代の戦乱で荒廃し廃寺になり、海印寺子院の寂照院だけが残っているという。
荒廃していたお寺を近年立て直されたものばかりで古刹という雰囲気はないが、
歴史的には、平安時代の創建で、鎌倉時代の仏像などを有している。
また、道元が中国より孟宗(もうそう)竹を持ち帰り最初に植えたところだそう。

寂照院について
宗 派 単立真言宗
山 号 木上山(こがみさん・このかみざん)
名 称 海印寺寂照院
本 尊 千手観世音菩薩
創 建 819年東大寺佐伯道雄(どうゆう)僧都により「海院三昧寺」が創建
    大寺院で寂照院は塔頭十院の一つ
変 遷 平安時代末期に衰微、鎌倉時代に1265年東大寺尊勝院末寺として「宗性」が復興
    
    【1227年「道元」が中国江南省地方原産の孟宗竹持ち帰りこの地に植えたという】

    室町時代、応仁、文明の乱で海印寺焼失、塔頭・寂照院のみが残るが荒廃
    江戸時代初期、真言宗に改宗

    現代、
     1965年 仁王門解体修理
     1995年 本堂再建工事・走田9号古墳発見
     1997年 本堂復興
     2004年 仁王門、薬王門再建

  
仁王門

  
吽形木造金剛力士像   阿形木造金剛力士像

目鼻立ちや筋肉の抑揚、衣の皺や動きをやや誇張気味に表現する様式
鎌倉時代の写実様式が形式化した頃の作例に特有のもの      
南北朝時代 1344(康永3)年 造立                

仁王門を潜ると参道が本堂への階段、左手に孟宗竹の石碑、
右手に本尊縁の椎の木が植えられています。      



 
                「日本孟宗竹発祥之地」 椎の木 (親木は1934年室戸台風で倒木)       

  
本 堂 本尊 千手観世音菩薩 (鎌倉時代作)
本尊の周りには「四天王立像」 
左に平安時代後期作「妙見菩薩座造」
 右に不動堂の江戸時代本尊「不動明王」

 
回向堂 本尊 阿弥陀如来
左に「水子地蔵尊」(日本最古、唯一)

  
薬王門と鬼瓦


日本で最初に植えられた「孟宗竹」の竹林
  
乙訓景観十景 奥海印寺「竹の小道」

 
竹の子

伽藍復興工事の際、古墳が見つかり、本堂を階段上に建設することになった。
古墳自体は、埋蔵物などは盗掘されており、発見されなかった。

走田神社から寂照院にかけての南斜面を中心に広がる古墳群。8〜10号墳が発掘調査によって発見された。
なかでも、9号墳の横穴式石室は残りが良く、玄室内には組合せ式家形石棺の部材が残されていた。   
      9号墳は現在、寂照院本堂の背後に保存され、家形石棺の部材は長岡京市埋蔵文化財センターで保存されています。           



 

 

 





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養父市・加保坂ミヅバショウ自生地

2022年04月29日 | 日記
兵庫県養父市にミヅバショウの自生地があるとのことで行ってきました。
自生地としては日本南西限と表記されています。
植物園は別として、規模の大きな鬼無里のミヅバショウは見事でした。
加保坂のミヅバショウは、1976年天然記念物として県の指定を受け
谷間の湿地帯、約4000㎡に2000株以上保護されています。
発見当初は「カラー」かな思われましたが、ボーリング調査の結果
「ミヅバショウの花粉」が1100年前の湿原地下の泥炭層から見つかった。
辺りは湧水豊富な「蛇紋岩帯」で構成された湿地帯であり、
ミヅバショウに含まれる「毒」に猪に食べられることもなく自生していたとのこと。

天気も良く楽しみにしていましたが、前日の風雨でダメージを受けており残念でした。
監視員の方の話では、今年は例年に比べ、先始めは低調、途中の暖気で一気に咲き、
もう終わりに近いとのことでした。

 
案内パンフレット


入園券

 
案内板                 グリーンロッジ加保坂

  
ミズバショウ自生地入口 


 

愛唱歌「夏の思い出」で知られるミズバショウは、国内では北海道や       
中部以北の高山などの湿原に多く分布しているサトイモ科の多年草である。             
 1975年、植物学者・矢野悟道教授らによって加保坂のミズバショウが確認され、            
湿原地下の泥炭層の花粉分析の結果、約11,000年前からの存在が明らかになった。                       
これにより、当地は日本でのミズバショウ分布の南西限となり、学術的に貴重な                        
自生地となった。 
                    


所 在 地 養父郡大屋町加保字加保坂58番地
面   積 3967平方メートル
標   高 520メートルから530メートル
ミズバショウの概要
 ミズバショウは雪どけの頃から成長をはじめ、4月下旬から5月上旬にかけて開花するミズバショウは、
これまで日本の南限が岐阜県とされていたがこの地が発見されて、日本の南西限となり学術上貴重な存在と
なっている。
ミズバショウの生育地は東向き緩斜面の長さ80から100メートル、幅30から40メートルの湿地で1メートル余りの
オオミズゴケの層でおおわれている。
当地でミズバショウが発見された理由として「湿地帯が蛇紋岩地帯で植物の生育が悪く、今日までほとんど人工が
加わらずに自然が残されたため」と思われる。


 

  

  

湧き水の流れる谷間と露出する蛇紋岩
   

ミズバショウを見に行く散策路には名前の分からない山野草が顔を見せています。
案内図では、「カタクリ」、「ザゼンソウ」も見られるようです。
今の時期は「イカリソウ」が、あちこちに沢山咲いていました。

 

 

ミズバショウの間に、多くの植物が伸びっています。
「ヤマドリゼンマイ」のようです.
ゼンマイは1つの株から胞子葉と栄養葉の2種類の若芽が出ます。
先ず、「雄(型)ゼンマイ」が発芽し、「胞子葉」と言われますが食用にはなりません。
次に発芽するのが「雌(型)ゼンマイ」で、「栄養葉」と言われ、食用になります。   

  

 

 

  


ヤマドリゼンマイ・・・
胞子葉は栄養葉より先に伸び出し、胞子が散布された後もしばらくは残るが
早く萎れ、夏までには枯れてしまう。
「ゼンマイ・発条」「銭舞」「銭巻」「千巻」等名前の元?になった
「綿帽子(頭部)」の写真しか撮れていません。 












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元興寺「カラタネオガタマ」

2022年04月26日 | 日記
4月26日、なら町を散策して、何度も来ている元興寺にやってきました。
今まで気付かなかったのですが、入口の近くに奉納された「カラタネオガタマ」が植栽され花が咲いていました。
以前来た時は蕾、今回はやや遅めでしたが、花を見ることができました。

  

 
2022.4.1 撮影 「蕾」

  
花の蕾は「芽鱗(がりん)」に覆われ、剥がれて蕾が現れる

  
開花
 

和名「カラタネオガタマ」
(唐種小賀玉・唐種招霊)

日本固有の「オガタマノキ」と区別して、渡来植物であることをしめしている。
(原産は中国南部で,江戸期半ばに渡来と推測)
植物分類 モクレン科オガタマノキ属
特  徴 常緑中木(樹高;3~5m)
     葉は短い葉柄の先に5㎝、2~3cm程度の楕円形 全縁、鋭頭 枝に互生
     葉表面には光沢 裏面の主脈上に褐色の毛
     5~6月頃に黄白色の花 開花時にバナナにも似た香

(GKZ植物事典を参照)
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西陣聖天・雨宝院

2022年04月13日 | 日記
地元では「西陣聖天さん」で知られたお寺。
最近では、桜の名所として観桜に訪れる人が多くなって来ています。
ズバリここの大きな「御衣黄桜」は見事です。


 

雨宝院について
 山  号 北向山 (ほっこうざん)
 正式名称 雨宝院  (うほういん)
 通称名称 西陣聖天
 宗  派 古義真言宗・真言宗泉涌寺派
 本  尊 大聖歓喜天(秘仏)
 創  建 弘仁12年(821年)
 開  基 弘法大師空海







 

  
「大聖歓喜天」                 「千手観世音」 


                                 


 
正面                             西門



  
「日本最初大聖歓喜仏」 本堂                    観音堂

雨宝院の境内は、さほど広くないにもかかわらず桜を楽しむのにはとても素晴らしいです。
「歓喜桜」、「観音桜」は「御室桜」と同種の「御室有明」。「御衣黄」、「松月」に
八重桜、一重桜、枝垂れ桜、濃淡の桜の花びらが楽しめます。

 

 


桜の花びらを敷いたような参道




西陣五名水(西陣五水)
西陣の智恵光院通を中心に南北400mほどの間に並ぶように
「西陣五名水」と呼ばれた井戸がありました。
 雨宝院境内には「染殿井」という今なお水のある井戸として公開されている。
 かっては、染物がよく染まると、西陣織職人に重宝されていました。
 ・「染殿井」 雨宝院境内に涸れることなく現存。清めの手水として使用
 ・「千代野井」本隆寺に井戸跡のみ
 ・「安居井」  比叡山東塔竹林院の里坊安居院ゆかりの井戸(非公開)
 ・「鹿子井」  民家内にあり(非公開)
 ・「桜 井」  桜井基佐邸址(現在首途八幡神社)にあったが、隣接公園に模造


  



<おさらい>
古義真言宗(こぎしんごんしゅう)では本地身説法(真言宗最高仏である大日如来が自ら説法するとする説)
新義真言宗(しんぎしんごんしゅう)は、空海(弘法大師)を宗祖とする真言宗の宗派の一つで、真言宗中興の祖と言われている
覚鑁(かくばん)(興教大師)の教えを元に高野山真言宗から分かれた宗派である。高野山内で新たな教義を打ち立てたため「新義」と呼ばれた。


真言宗十八本山

古義真言宗系
教王護国寺 - 東寺真言宗総本山
金剛峯寺 - 高野山真言宗総本山
善通寺 - 真言宗善通寺派総本山
随心院 - 真言宗善通寺派大本山
醍醐寺 - 真言宗醍醐派総本山
仁和寺 - 真言宗御室派総本山
大覚寺 - 真言宗大覚寺派大本山
泉涌寺 - 真言宗泉涌寺派総本山
勧修寺 - 真言宗山階派大本山
朝護孫子寺 - 信貴山真言宗総本山
中山寺 - 真言宗中山寺派大本山
清澄寺 - 真言三宝宗大本山
須磨寺 - 真言宗須磨寺派大本山

新義真言宗系
智積院 - 真言宗智山派総本山
長谷寺 - 真言宗豊山派総本山
根来寺 - 新義真言宗総本山

真言律宗
西大寺 - 真言律宗総本山
宝山寺 - 真言律宗大本山
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「石のカラト古墳緑地」

2022年04月06日 | 日記
天候に恵まれ、絶好の花見日和。
団地内の桜を観ながら、久しぶりに
国の史跡に指定されている「石のカラト古墳緑地」周辺を散策。

 
古墳緑地への歩道               散った桜の花びらの道

 


南に面した開口部

  
上段が円形で下段が方形の上円下方形

古墳周辺にはまだ少し早い感じの桜が開花し始めていました。

  

 


ツツジも数輪開花



石のカラト古墳 についての詳細
別名 カザハヒ古墳(風灰古墳)

奈良県北部・京都府南部、平城京北郊の平城山丘陵において、丘陵東斜面の棚状平坦地に築造された古墳である。
「カラト」の古墳名は、石室が唐櫃に似ることに由来するという。
これまでに盗掘に遭っているほか、1979年(昭和54年)に発掘調査が実施されている。
墳丘は2段築成で、版築による。
墳形は上段が円形で下段が方形の上円下方形で、
上段は直径約9.2メートル・高さ約1.6メートル、
下段は一辺約13.8メートル・高さ約1.2メートルを測る。
墳丘表面には川原石による葺石が認められる。
また墳丘周囲には暗渠・排水溝による排水施設が設けられている。
主体部の埋葬施設は横口式石槨(石棺式石室)で、南方に開口する。
盗掘のため副葬品の多くは失われているが、調査では漆片(漆塗棺か)のほか金・銀玉などが検出されている。
この石のカラト古墳は、古墳時代終末期の8世紀初頭頃の築造と推定される。
被葬者は明らかでないが、奈良時代に近い頃の貴族の墓と想定される点で重要視される古墳である。
古墳域は1996年(平成8年)に国の史跡に指定された。
現在は復原整備のうえで公開されている。

来歴
• 中世期、盗掘[3]。
• 1979年(昭和54年)ニュータウン建設計画に伴う発掘調査
   (奈良文化財研究所、1979年に概報刊行・2005年に報告書刊行)
• 1987年(昭和62年)復原整備
• 1996年(平成8年)7月16日、国の史跡に指定
埋葬施設
主体部の埋葬施設としては横口式石槨が構築されており、南方に開口する。石槨の規模は次の通り。
• 長さ:2.6メートル
• 幅 :1.04メートル
• 高さ:1.06メートル
石槨の構造は高松塚古墳(明日香村)に類似する。
石槨は組合式で、凝灰岩の切石16枚(天井4・床4・側壁各3・奥壁1・扉石1)から構成される。
天井部は屋根形に刳り込まれている。
石槨内からは金製玉1・銀製玉1・銀装大刀金具類3・金箔片・黒漆断片が、墓道からは須恵器が検出されている。

文化財 国の史跡 石のカラト古墳 - 1996年(平成8年)7月16日指定。

その他
江戸時代の「五ヶ村惣図」(享保9年(1724年))によると、
大和国超昇寺郷と山城国相楽郡との間で山論が起きた際に、
超昇寺郷が勝訴して相楽郡に舌状に張り出すこととなった。
これが本古墳が奈良県と京都府にまたがることになった要因とされる。

【ウィキペディア(Wikipedia)】
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テングノメシガイ

2022年04月06日 | 日記
昨年気が付いた「テングノメシガイ」、今年も庭の苔の間から顔を出しました。



 

 

 

 



テングノメシガイTrichoglossum hirsutum
テングノメシガイ科テングノメシガイ属
テングノメシガイは針葉樹林や広葉樹林の非常に湿気の多い場所の腐植やミズゴケの上などに発生します。
テングノメシガイは「天狗の飯匙」の名前の通り細長いスプーンのような形をしている真っ黒なキノコで
頭部の直径は4~15mm程度の大きさで浅い縦溝が入っています。絨毛状、柄部は微毛が密生する。
胞子は細長いミミズのような形で、15隔壁を生じる。
似たような仲間が多く、泣かせるきのことのこと。

参考
分類
界 : 菌界 Fungi
門 : 子嚢菌門 Ascomycota
亜門 : チャワンタケ亜門 Pezizomycotina
綱 : テングノメシガイ綱 Geoglossomycetes
目 : テングノメシガイ目 Geoglossales
科 : テングノメシガイ科 Geoglossaceae
属 : テングノハナヤスリ属 Geoglossum

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桜開花宣言・奈良

2022年03月26日 | 日記
令和4年3月25日、奈良地方気象台から桜開花宣言が発表されました。
観測地での開花宣言はそれぞれの観測地での「開花標本木」で測定されます。
「開花標本木」は正式には『植物季節観測用標本木』といいます。
奈良の標本木は、気象台が移転したので、2017年3月から標本木が、気象台近くの
奈良女子大付属中等教育学校の校内の桜が二代目に指定されています。
桜の開花測定は、「そめいよしの」の指定木が5~6輪咲くと「開花」となります。
また、標本木の80%が咲くと「満開」と宣言されるそうです。
因みに、沖縄地方、奄美地方では「ひかんざくら」を、
北海道地方では、「えぞやまざくら」が標本木となっています。
今年は、福岡気象台の3月17日が一番早く、東京が20日(靖国神社)、大阪が23日(大阪城西の丸庭園)、
京都が24日(二条城)、そして25日が奈良。
その間、中国、四国地方の気象台から開花が宣言されています。
、1月中下旬に沖縄、奄美の「ひかんざくら」が、
4月末前後には北海道の「えぞやまざくら」が開花するようで、いわゆる「桜前線の北上」です。

桜の標本木ではありませんが・・・

「奈良公園・片岡梅林の梅の標本木」

2020年4月17日、奈良町を散策していると、「奈良地方気象台」の建物がありました。
敷地の中に、当時の「植物季節観察種目・なのはな・すみれ」の観察中の表示がありました。
2020年12月で観測は終了しています。



(写真は当時のもの)


2021年(令和3年)1月より「植物季節観察種目」は、6種類9現象が対象となっています。
〇 あじさいの開花   〇 いちょうの黄葉・落葉 〇 うめの開花
〇 かえでの紅葉・落葉 〇 さくらの開花・満開  〇 すすきの開花

1953年(昭和28年)から全国で統一した観測方法で開始し、全国の気象台・測候所58地点で
植物34種目、動物23種目を対象に開花や初鳴き等観察されていました。
観測の目的は、季節の遅れ進み、気候の違い・変化を的確に捉えることでしたが、
近年は気象台・測候所周辺の生物の生態環境が変化し、植物季節観測においては適切な場所に
標本木を確保することが難しく、また動物季節観測においては対象を見つけることが困難と
なってきたため大幅に観測が見直されました。

《参考》
植物で終了されたもの
あんず開花・満開 かき開花 からまつ発芽 ききょう開花 くり開花 くわ発芽・落葉 さざんか開花
さるすべり開花 しだれやなぎ発芽 しば発芽 しろつめくさ開花 すいせん開花 すみれ開花
たんぽぽ開花 チューリップ開花 つばき開花 でいご開花 てっぽうゆり開花 なし開花
のだ開花 ひがんざくら開花・満開 ひがんばな開花 もも開花 やまつつじ開花 いちょう発芽
やまはぎ開花 やまぶき開花 ライラック開花 りんご開花

動物はすべて終了
あきあかね初見 あぶらぜみ初鳴 うぐいす初鳴 えんまこおろぎ初鳴 かっこう初鳴 きあげは初見
くさぜみ初鳴 くまぜみ初鳴 さしば南下初見 しおからとんぼ初見 つくつくほうし初鳴 つばめ初見
とかげ初見 とのさまがえる初見 にいにいぜみ初鳴 にほんあまがえる初鳴・初見 はるぜみ初鳴 
ひぐらし初鳴 ひばり初鳴 ほたる初見 みんみんぜみ初鳴 もず初鳴 もんしろちょう初見

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よく知っている言葉「以和為貴」

2022年03月14日 | 日記
「以和爲貴」言わずと知れた聖徳太子の「十七条憲法」第一条。
以前法隆寺の涅槃会で頂いた散華に押捺されていたのがこれです。




印には「以和爲貴」➪ 「以爲貴」と押されていました。

漢和辞典に掲載されていましたが「和」の「古字・異体字」と表記されただけの「」。
龢→和
漢和大字典の部首十七画に「龠」と字典の最終文字として掲載され
「ふえ」と読みがついています。

 ①名詞 ふえ ふえの一種。
         穴が三つで、合奏のときいろいろの楽器の音を調和するのに使う。
 ②名詞 ふえ ふえの総称。
 ③ 略


この部首をもつ文字として掲載されている字
「龠・龣・龡・龥・龢・鸙・・・」
どうやら「楽器」に関連した文字らしい・・・

「以和爲貴」正しくは「やわらぎをもってたっとしとなす」と読むらしい。

過日昼食に立ち寄った店(信貴山観光ホテル直営レストラン・ばんか)に置かれていたパンフレット

「龢 樂」

信貴山観光ホテルは「朝護孫子寺」の山内のホテル。
朝護孫子寺と言えば「聖徳太子」。
一七条憲法ゆかりの「龢」が用いられたのかも。



ちなみに、このお店のパンフレット「龢樂」に掲載されていた内容で
『冠山城を史実に仰ぎ・・・』とありましたが、冠山城って?
「大和郡山城」の別称だったとのこと。

通称・別名 冠山城、犬伏城、雁陣之城
所在地    奈良県大和郡山市城内町2-18
旧国名   大和国
分類・構造 輪郭式平山城
天守構造  型式不明[5重6階?/1583年築/焼失(火災)?]
築城主   郡山衆[雁陣之城]筒井順慶[郡山城]
築城年   応保2年(1162)[雁陣之城]、天正8年(1580)[郡山城]

通称・別名の由来

上田大和郡山市長によると
現代仮名遣いで「郡山」は「こおりやま」ですが昔は「かうり山」と書きやがて「かふり山」
さらには「かむり山」と変化するうち「かふり」や「かむり」に洒落で、「冠」の字を当てた
「冠山」がいつのころからか郡山の別称となり
郡山城も「冠山城」と呼ばれるようになったそうです。

西京丘陵南端
遠くから見ると丁度犬が伏せているように見える、犬伏岡(いぬふせノおか)の東端➪犬伏城

築城時期から見ると
1162年(応保2年)に、「郡山者件狼唳之輩張雁陣之城」(『東南院文章』)とある。
「狼唳之輩」とは郡山衆を指しており、雁陣の城を築いていると記載している。➪雁陣之城
この当時の城は盛り土と柵をめぐらした環濠集落のようなものであった。


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赤芽柳(振袖柳)

2022年02月24日 | 日記
毎年、この時期我が家に、春の訪れ近し…と感じさせてくれる木の芽が登場します。
赤芽柳(あかめやなぎ)またの名前が振袖柳(ふりそでやなぎ)。


  

  




ネコヤナギとヤマネコヤナギの雑種で、ネコヤナギより大きく、「赤芽柳」、
別名「振袖柳」(雌雄異株)です。
花芽は、最初は赤い皮(芽鱗)に包まれているが 早春、銀白色の毛に包まれた部分が出てくる。 

・柳科。ヤナギ属
・学名 Salix × leucopithecia  白猿のような

 Salix(サリックス)は、ケルト語の
 「sal(近い)+ lis(水)」が 語源(水辺に多いことから)といわれるが、
 ラテン語の「salire(跳ぶ)」が語源(生長が速いことから)との説もある。
 
・1657(明暦3)年の「明暦の大火(別名:振袖火事)」で火元とされた、
 本郷の本妙寺というお寺があるが、 その本妙寺に植えられていた本種を、
 新たに命名する際に「振袖火事」の名から「振袖柳」としたとの説もある。
・柳の葉っぱがたくさん垂れた姿を「振袖姿」にたとえたとの説もある。
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平城宮跡周辺散策

2022年01月30日 | 日記
広大な平城宮跡には多くの樹木、草花を見ることができます。
南門からの帰路見かけました。

 
栴檀の実

 
木斛の実


近鉄大和西大寺駅に向かう途中、「二条町」交差点「二条辻」での風景。
小さな祠が中央分離帯?になっています。

 
西に向かって       「二条兆交差点(二条辻)」      東に向かって


二つの祠

 
「歓喜寺地蔵尊」(細い道を北に進むと歓喜寺)                     「弘法井戸」(名前の由来は不明の井戸跡)
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平城宮大極殿院南門(大極殿門)

2022年01月29日 | 日記
復原工事が進められていた「平城宮大極殿院南門」の覆屋が東に移動し、
院の南門の全貌を見ることができるようになりました。
長安の都をモデルにした、平城京は大和郡山の「羅城門(復原不能?)」、平城宮入口の「朱雀門」、大極殿院入口の「南門」が
メインストーリート「朱雀大路」で一直線で結ばれていました。

(参考)南門復原工事現場公開時の資料









第一次大極殿

 
内側から見た「平城宮大極殿院南門」              右写真後方に「朱雀門」


第一次大極殿から見た南門

 
大極殿と南門覆屋

 
東から見た南門と覆屋


西から見た南門

 
南門正面                     南門の鴟尾と風鐸

(現場公開時の写真)

鴟尾



鬼瓦


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