『帆船日本丸(初代)「総帆展帆」於旧横浜船渠第1号ドック、天気には恵まれたが、周囲が高層ビルでは帆船の撮影は難しい!』
『港町「香港・パナマ・シンガポール」に通算22年間も駐在「船」を年がら年中、終日(ひねもす)眺めては、そこで脳裏をかすめたのが、夢と希望の帆船!』
先日(2025/4/29) 日本丸「総帆展帆」の写真撮影に行ってきました。
風速・数メートルの微風でも、帆柱も船体もここまで傾く!
帆を張ったら帆船は走るもの!

2025/04/30撮影
高層ビル群に封じ込められた帆船!
帆を張ったら帆船は洋上にあるもの!

2025/04/29撮影
数年前に写真撮影を試みましたが超高層ビル群が周囲に林立していますので、構図に悩んだ記憶がありました。今回も天気には恵まれたのですがやはりロケハンに終わりました。次回に満を持します。
総帆展帆(そうはんてんぱん)とは(ホームページから抜粋引用)
全ての帆を広げることをいいます(普段はたたんでいます)。現在の日本丸の帆(セイル)は全部で29枚あります。総帆展帆はすべて手作業で行われます。
作業は訓練を終えて登録されているボランティアの方々の協力で行っています。約2,000人あまりの方が登録されていますが、総帆展帆の時はその中から毎回80人ほどのボランティアの方々に参加いただいております。
※総帆展帆の作業を行う「展帆(てんぱん)ボランティアの養成訓練」を年2回(4月・10月)に行っています。募集はそれぞれ2月頃、8月頃に行います。
日本丸(初代)(ウエブ情報から抜粋引用)
日本丸(初代)は、航海練習船で4檣(しょう)バーク型の大型練習帆船。
1930/1/27、兵庫県神戸市の川崎造船所で進水。その美しい姿から、「太平洋の白鳥」や「海の貴婦人」などと呼ばれていた。日本丸は約半世紀にわたり活躍し、1984年に引退。航海練習船としての役割は日本丸II世が引き継いだ。姉妹船として海王丸がある。201年9月に国の重要文化財に指定された。
現在、横浜市西区みなとみらいの「日本丸メモリアルパーク」内の展示ドック(旧横浜船渠第一号船渠〈ドック〉、国の重要文化財)で展示・公開されている。
概要
昭和初期において日本の商船教育機関には、官立商船学校が2校(東京と神戸)、公立商船学校が11校あった。このうち公立商船学校で練習船を保有していたのは5校のみ。
設計は、当時の日本に西洋式帆船の技術的な蓄積が無かったため、スコットランドのラメージ・エンド・ファーガソン(英語版)、建造は神戸の川崎造船所が担当した。1930/1/27に進水した第1船は「日本丸」、1930/2/14に進水した第2船は「海王丸」と名付けられた。
太平洋戦争下、1943年に他の練習船とともに京浜地区の造船所で帆装艤装が撤去され、瀬戸内海航路の緊急物資輸送(若松港から尼崎港への石炭輸送)に従事し、一回に650トン程度の石炭を輸送した。
戦後は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の管理下に置かれ、SCJAP(Shipping Control Authority for Japanese Merchant Marine)ナンバーが付され、指令に基づく航海を通して訓練航海が実施されることになった。
1951年のサンフランシスコ講和条約後、1952年4月に遠洋航海を再開するに当たり、1953年1月から南方八島(南鳥島、サイパン島、テニアン島、グアム島など)への遺骨収集航海を閣議了解の下で実施した。
1974年以降は船体の老朽化に伴い遠洋航海の規模を縮小したものの、1970年代後半に2度の大規模航海を行った。その一つが1976年の「アメリカ建国200年祭」への参加(記念行事「オペレーション・セール」に参。もう一つが1978年)のカナダ・キャプテンクック 200年祭(太平洋横断最終航海)への参加。
1984/9/16に日本丸II世と交代し、1984/9/17に船籍港を横浜に移した。退役までに約183万kmを航海し、約11,500名の実習生を育てた。海洋練習船としての役割は後継の日本丸II世(現:日本丸)が受け継いだ。1985年から横浜市の所有となり、同市西区みなとみらいの「日本丸メモリアルパーク」内の展示ドックで展示・公開が開始された。
日本丸展示ドックに係留保存された後も、船舶安全法に基づく定期検査を毎年受検しており、平水区域を航行区域とする船舶として船舶検査証明書が交付されている。
日本丸の主要目 | ||
建造時 | 用途廃止時 | |
総トン数 | 2,283 頓 98 | 2257.72トン |
排水トン数 | 4,043 頓 | 4043.00トン |
全長 | 318 ft 41 | 97.05m |
垂線間長 | 260 ft 00 | 79.25m |
幅 | 42 ft 50 | 12.95m |
深さ | 25 ft 75 | 7.85m |
帆装 | 4檣バーク型 | |
機関 | ディーゼル | |
出力 | 600×2HP | |
速力(機走) | 11節4 | 10.0ノット |
定員 | 186名 | 196名 |
ウエブ情報から引用
表題の繰り返しですが、『港町「香港・パナマ・シンガポール」に通算22年間も駐在「船」を年がら年中、終日(ひねもす)眺めては、そこで脳裏をかすめたのが、夢と希望の帆船!』、でした。
最近見つけた本が大杉勇著「帆船讃歌 雲と波そして風 海に学ぶ」です。
冒頭にありました。
『「雲と波そして風 海に学ぶ」何を学んだのか?
10余年を練習帆船日本丸・海王丸で過ごしてきた著者が贈る16編のオマージュ。
『一言でいえば、シーマンシップ。「シーマンシップの教育には帆船に勝る場はない」ということです。帆船には「帆の教化力」があるのです。わずか半年間で若者たちからその潜在能力をフルに抽きだす力をもっているのです。そのことは、遠洋航海を修了し、下船してゆく彼らの眼の輝きを見ればわかります。日本丸や海王丸が遠洋航海から戻ると、我が子を一目見た両親は、思わず「逞しくなった!」というのです。その意味での「帆船讃歌」を綴ったものを、時には実習生自身の手記も引用してここにとりまとめてみました(本書より)。』
と、ありました。 まだまだ、これからも、帆船を『本の上』ではありますが。尋ね調べてみたいと思っています。
(記事投稿日:2025/04/30、#999)