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私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

階層と地位

2011-09-24 | 5考える
お彼岸の墓参りを済ませた休日、ぼんやりチャンネルサーフィンをしていたが、波にのりきれずとうとう放送大学の番組にまで行き着いてしまった。

いつもは、なにかしら古めかしい印象でスルーしてしまう番組なのだが、ちょうど社会学の専門講座で、社会階層と社会的地位についての講義がなされていて、興味深かったのでそのまま見続けた。

社会階層と地位を決定づける分類は、職業によることが多いらしい。

現代日本においては300ほどの職業分類がされているそうだが、それらの階層と地位を左右するのは収入による側面と威信による側面だという。

収入も高く、社会的威信もある職業であれば当然社会的階層も地位も高いということになるが、収入は高いが社会的威信は無い場合や、収入はそれほどではないが社会的威信はしっかりとある場合、収入と威信による基準の不一致が起こり、その階層や地位の評価は複雑なものとなるようだ。

羽振りがよい事業者と、収入は平均的だが武士はくわねど高楊枝的意識の公務員が、大抵相容れないのも、何に価値を置くかということの相違によるのだろう。

あれこれの人間関係を思い起こしながら、収入にも威信にもよらない第三の価値基準といったものは存在しないのだろうかと思いを巡らしている。
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おひとりさまの体質③

2011-09-15 | 5考える
他人に甘えるのが嫌だ。
他人に甘えられるのも苦手だ。

自分自身のことは、ギリギリまで自分で片づけたいと思うし、実際、今まで大抵のことを自分一人で処理して来た。

簡単に他人にお願いしてしまえる体質の方に接すると、羨ましく思える半面、自身の美学と相容れないのでその方との人間関係に距離を置かざるを得なくなる。

そうした私の行動パターンを、危険だという方もいる。

そうかもしれない。

助けを求めねばならない時には、もうどうしようもない状況に陥っているのは想像できる。
わかっているが、生き方の美学は譲れない。

私の生き方を「のほほんと生きている」と見る人も多いが、「のほほんと生きている」という風にしか他人には見せたくない。

民話の「鶴の恩返し」は、非常に日本的な民話だと思うが、人知れず自らの羽を抜いてはたを織る鶴(つう)の姿は、私の生き方の美学に通じる。
苦心する姿や不安に揺れ動く優柔不断な姿を他人に見せたくはない。

それ故に妬みやヤッカミをかい、理不尽な対応を受けることもあるが、それがどうした…と思う。

非常に利己的で、ひとりに慣れている人生なのだとつくづく感じている。
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おひとりさまの体質②

2011-09-07 | 5考える
負わねばならない責任から解かれ、身軽なおひとりさまになってから、とかく投げかけられるようになった問いかけがある。

「一人で淋しくはないか?」
「何かあった時不安ではないのか?」
「生活をどうするのか?」
「まぁまぁ、よくなさる」
といったもの。

私よりも年配の女性から問われることが多いが、彼女らにしてみれば、自分が人生をかけて築き守ってきた家族や卑属の全くいない生活は、想像するだに恐ろしく、心細く思われるのだろう。

私は、いずれの問いかけにも笑いながら返す。
「仕方ないよ、自分で出来ることはきちんとしているつもりだから、それが出来なくなったらもう仕方がない」
「最期まで、自分で自分のことが出来る人生でありたいよ」
「そのあとは、もうどうしようもない」と。

日本人は「不安遺伝子」とよばれる遺伝子をもっとも高率で持ち合わせている民族であるそうだが、厳しい自然環境に対応する為、それは高率に備えなくてはならなかった遺伝子であるかもしれぬ。

私にも「不安遺伝子」はあるだろうと思うのだが、漠然と不安を覚えることはあっても、具体的な不安と淋しさに縛られることは昔からあまりない。
淋しさや不安をより強く意識して来たのであれば、生物的本能の後押しがあったしかるべき時期に、折り合いのつけやすい環境に育った相手と所帯をもち、その生活を築き維持しようと頑張っただろう。

不安や淋しさに余り捕われず、もっと違うものにせき立てられて人生の様々な局面を越えて来たので、今こうしておひとりさまをやっている訳だ。

守るもべきものも、責任を持たねばならない存在もいないので、いざという時はもう仕方ない。
「死んだ後のことは知らない」とつぶやいても非難されることもあるまいと思っている。

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おひとりさまの体質①

2011-09-01 | 5考える
「女は女に生まれるのではなく女になるのだ」とはボーボワール女史のお言葉であるが、近頃思うのは「おひとりさまはおひとりさまになるのではなく、自らおひとりさまを選択しているのだ」ということ。

おひとりさまという言葉でくくられる人たちは増加の一途。
様々な様態のおひとりさまがいて、特に高齢者のおひとりさまについては、人生の終末期に色々な支障が生じるケースが量としてまとまったものになってきているのだろう、地方でも士業の方たちを中心に、高齢のおひとりさまをサポートする事業の立ち上げが始まっている。

高齢期にはまだもう少し間があるというおひとりさまには、地域社会やおひとりさま同士での連携をつくっておくことなどが言われているようだが、おひとりさま同士の連携や連帯は存外難しいものだ。

これは私の経験だが、似通った(基本的には皆恐ろしく個性的でありピンポイントの共通項があるにすぎない)幾人かのおひとりさまとの交流を断つことがある。

事情はケースごと異なるのだが、自分も含めてどのおひとりさまも非常にデリケートで頑ななのだ。

長く付き合いのある友人おひとりさまの場合は、時間やこちらの都合お構いなしで、まるで家族のようにボーダレスで頻繁に連絡をしてきた。
自らは非通知で電話をかけるが、相手からの電話は番号通知でないと受けない…という非常に身勝手でデリケートなタイプ。
こちらの状況を推し量ることはなく、私が話したことも余り記憶してくれてはいない。
ただだらだらと、あまり意味のない彼女周辺の卑近なあれこれを頻繁に聞かされることに、もう長い間辟易としていたのだ。

私に家族がいない気安さと、一方で抱えているだろう心細さを察して、家族同様に対応しようという想いは感じられたが、私は彼女に家族としての期待をしてはいない。

長くおひとりさま生活を続けていると、自分だけの生活リズムやスタイルが確立され、それを変革したり乱したりされることを嫌う傾向がある。

ある時とうとう我慢ができなくなり、時間を選ばず繰り返される余り重要でないコンタクトを迷惑だと伝え、私は静かで気ままなおひとりさま生活を取り戻した。
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週刊誌の可能性

2011-07-14 | 5考える
週刊誌なるものを何年振りかで買った。

週刊ポスト7/22.29号の「50年前の日本は放射能まみれだった」という副題に引きつけられたからだ。

テレビも新聞も、妙な自己統制や操作が鼻に付き、すっかり信じられなくなっているが、戦後間もなく二つの核爆弾の被害を受けてズタズタだった頃の日本の状況こそ、閉そく的な現在を考えるにあたり興味の深い視点であったから。

50年前の日本は、原子爆弾の影響だけでなく、世界的な核開発競争や原子力管理の甘さの為に、日本の放射能データは被爆地に限らず全国各地で恐ろしく高い値だ。

データ量が不十分である点は否めないが、それでも…である。

マスコミ不信からネット情報ばかりがもてはやされているが、週刊誌の可能性をたたえたい。

様々な観点や手段が維持されていることは、我が国の救いであり財産だと思う。
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被爆と被曝

2011-04-07 | 5考える
被爆と被曝。

読みは同じだが、意味は異なる。

前者が、核爆弾などにより被災し、一時的に大量の放射能も浴びる場合。
後者は、この度の原発事故などにより放射能にさらされる状態だ。

私の祖母や叔母達には被爆者が多い。
当然、被爆の後、しばらくの間に、被曝という状況にも置かれる訳だが。

40代で被爆し、愛する夫も家財も失ったという祖母。
気丈な明治女で、老いても美しく、長寿を全うした。

3歳のときに被爆し、祖父と祖母の手を引いて焼け野原を歩いたという叔母は、虚弱な体質だと言われているが、被爆していない私の親たちよりずっと健康で、おそらく長命であろう。

健康問題は、放射能云々より、やはり日頃の生活習慣に左右されることが多いだろうというのが実感だ。

怖いのは放射能に対する心理的差別や偏見。
国民をコントロールする為にことさら情報統制されるのは不快だが、独り歩きする過剰な対応はより恐ろしい。

私が子供のころ、チェルノブイリだったかスリーマイルだったか、はたまた水爆実験の所為だったか、雨に濡れるのは危険だからということで小学校のスケジュールが変更になったか指導があったかしたことがあった。

少し長じて、放射能をのせた大気が流れてくるので、海藻などからヨードをしっかり取っておこう…という事態になった記憶もある。

他国に起因した事態にはそうした対応をするけれども、自国に発すれば逃げるわけにもゆかない。
私は、日本列島と運命を共にする気満々の日本国民だ。

影響が最小限度に留められることを祈るばかりだ。
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引く勇気

2011-03-24 | 5考える
何かを始める時には大きなエネルギーが必要になる。

しかし、何かを終えて引く決断をする時には更に大きなエネルギーが必要になる。

引く勇気と決断が多くの局面で求められる時代になったと思う。
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何ができるだろう?

2011-03-16 | 5考える
関の西側にいては、直接的に協力できる手段を見つけにくい。

ミネラルウォーターなどは、当地においても被災地に優先的に配置するため既に手に入りにくくなっているが、その他の食品類についても無駄な買いだめをしないこと。

もちろん、被災地に優先的に手当てして欲しいし、下手な買いだめは復興の途においてはメーカーの足腰を弱める原因にもなる。

そして、信頼できるルートで義援金を寄付すること。
決して、こんな未曾有の事態に便乗して詐欺行為に走っている最低の輩の網にかからないこと。

あとは祈ることだろうか。
ニッポンを太古から守り続けているヤオヨロズの神々に。

某知事や某新聞社の元?現?解説員が「天罰」だの「政治が荒廃しているときに天災が古来から起こってきた」だの口になさっていた発言を、謝罪などされているけれども、感覚的にわからないでもないのだ。

阪神大震災の時だって、マツリゴトは乱れていた。
ますますどんどん荒廃して行ったというべきかもしれないが。

一人ひとりの国民が、ささやかな巫女となって祈るならば、この極東の国にはまだその祈りを聞き届けてくれる神が存在しているような気がする。

いかなる宗教も信じている訳ではないのだけれど、この断層の上に連なる島国に先祖代々生きて来た一人のニッポン人として、祈りは力になると信じたい。
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どうでもいい話

2010-11-21 | 5考える
食材を買い込むべく、車で数分の食材豊富なスーパーマーケットに出向いた。
休日の昼下がりは、長蛇とまではゆかないまでも、どのレジも大抵一人~二人待ち。

最初に並んだレジの列には、スーパーを回遊中幾度か進路を阻まれた茶髪の母と、へそ出しルックの娘(おそらくまだ中学生)がいて、その後に着くことに不安を覚えた私は列を移動した。

そのスーパー、厳しい生活を送られているだろうと思われる階層も、高級住宅に住んで移動は高級車という階層も混じり合って出入りするちょっとユニークな客層の店なのだが、移動したレジの列には、長財布の中からおよそ100枚はあろうという厚みの札束をのぞかせて支払いをするご婦人が…。

財布全開で、レジ係の女性とやりとりされている時間が長いので、思わず知らず視線がくぎ付けとなる。
恐らく注目していたのは、私ばかりではなかっただろう。

「危ないなぁ…」
と漠然と思いつつ、あの感覚はどうしたものだろうかと違和感を覚える。

生活に困っておられる方が目にすれば、その光景はある種の罪でさえある。

帰宅して
「自分でも説明しにくいのだけれど、何だか見ていてちょっとドキドキしてしまったよ」
と話をすれば
「私は持ってますよって誇示したい人もいるからねぇ」
という返答。

そんな風に考える人もいるのかなぁ…って、どうでもいいけれど思ったことでありました。
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今年も寒い季節がやってきた

2010-10-29 | 5考える
週末にかけて、旧知の友人宅を訪れる予定が、友人の風邪で中止となる。

この訪問、先々週は私の突然の発熱で中止となった。

こんな時には、行かざるが安全とも思うのだが、命あるうちに義理を果たしておきたい気持ちもあるので、年内には必ず果たしたい訪問である。

昨年より一週間早い冠雪が、山間部では見られたそうな。

昨年は今頃、直接見知ってはいないが、伝え聞いていたよく似た環境にあるおひとりさまが、新型インフルエンザに罹っていた。

死にいたる病となられ、人の命はあっけなく失われるものだと世の無常を思わざるをえなかった。

今年のインフルエンザ予防接種には、もう新型対応の成分が入っているとか。
何だかんだ言いながら、医療業界の皆さまは、きちんと命を守る為の働きを続けておられる…と頭が下がる。

この季節になると、センチメンタルになりながら、毎年色々なことを思うのだろうなとぼんやり考えている。
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