私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

おひとりさまの体質②

2011-09-07 | 5考える
負わねばならない責任から解かれ、身軽なおひとりさまになってから、とかく投げかけられるようになった問いかけがある。

「一人で淋しくはないか?」
「何かあった時不安ではないのか?」
「生活をどうするのか?」
「まぁまぁ、よくなさる」
といったもの。

私よりも年配の女性から問われることが多いが、彼女らにしてみれば、自分が人生をかけて築き守ってきた家族や卑属の全くいない生活は、想像するだに恐ろしく、心細く思われるのだろう。

私は、いずれの問いかけにも笑いながら返す。
「仕方ないよ、自分で出来ることはきちんとしているつもりだから、それが出来なくなったらもう仕方がない」
「最期まで、自分で自分のことが出来る人生でありたいよ」
「そのあとは、もうどうしようもない」と。

日本人は「不安遺伝子」とよばれる遺伝子をもっとも高率で持ち合わせている民族であるそうだが、厳しい自然環境に対応する為、それは高率に備えなくてはならなかった遺伝子であるかもしれぬ。

私にも「不安遺伝子」はあるだろうと思うのだが、漠然と不安を覚えることはあっても、具体的な不安と淋しさに縛られることは昔からあまりない。
淋しさや不安をより強く意識して来たのであれば、生物的本能の後押しがあったしかるべき時期に、折り合いのつけやすい環境に育った相手と所帯をもち、その生活を築き維持しようと頑張っただろう。

不安や淋しさに余り捕われず、もっと違うものにせき立てられて人生の様々な局面を越えて来たので、今こうしておひとりさまをやっている訳だ。

守るもべきものも、責任を持たねばならない存在もいないので、いざという時はもう仕方ない。
「死んだ後のことは知らない」とつぶやいても非難されることもあるまいと思っている。

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