goo blog サービス終了のお知らせ 

私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

無駄遣い

2014-05-18 | 5考える
消費税が8%になって、消費自体を絞っているということはないのだが、日常の買い物合計額が従前と比べて1,000円UPしているという印象があって、3%の心理的ボリュームは決して小さくはない…という認識でいる。

ところが、最近の私は無駄遣いが激しい。
国家財政の危機的流れにのまれれば、私個人の財務計画なんて吹き飛ばされてしまうという認識をもって以来、私の金銭出納の方向性が失われてしまったようだ。

最近遅ればせながらはまったドラマ、深夜食堂の原作漫画を大人買いする。
日本製モーター搭載で音の静かなミキサーやら精米機を立て続けに購入し、しばらく使っていない音の大きなミキサーやジューサーを廃棄する。
使わない大鍋を捨て、一杯分のミルクを温めるための小鍋を買う。
いつもは冷やかしでのぞくだけの雑貨屋で、ことさら不便は感じていなかったのに陶器製のコーヒー豆ストッカーを買う。

ちまちまと、ふてくされてつく溜息のように出費を重ねている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

断捨離の果て

2014-05-01 | 5考える
きっかけは、断捨離本著者の女性が、テレビ番組の中で台所を片付けながら「キッチンにはうるさい色が多くなりがち」とおっしゃったこと。

確かに、我が家のキッチンにも、調味料は冷蔵庫に移動させてしまって今やほとんど使わない真っ赤な調味料入れやら、稀にしか登場しない黄色いハカリやら…それを「うるさい色」と呼ぶ感覚に新鮮なものを感じたのだが、何とも調和のとれない道具類の多いことに気がついたのだ。

それから、毎週のように捨てる行為を繰り返す。
あれを捨て、これを捨て、時には捨てるために、新たに購入し…という行為を繰り返し、結果、我が家のキッチンは随分とすっきりとした。
もともと、整理はされている家だったのだが、捨てるという行為には一種の快楽が伴う。

キッチンに限らず、断捨離は和室にもリビングにも及び…あれもこれも捨てているうちに、際限なく空間が広がっていってしまうような気がして、恐れさえも覚えるようになった。

部屋がすっきりしてくると、ひとつ部屋が余計なのではないだろうかと思い始め、一部屋少ないマンション物件の間取り広告を、一生懸命にみている自分を見つけたりするのだ。

現在住んでいるマンションには、生涯を終えるか、いよいよ老人施設に新しい住まいするまで、ずっと住み続けるつもりでいたのに。

空間の広がりは、私の虚ろな人生をあらわにしてしまうようで、捨てることの快楽のはてにある現実の、なんと残酷なこと。
口では空虚を受け入れているかのような私の、その現実が顕わになることのなんとおぞましく恐ろしい。

断捨離の果てにあるものは、覆い隠し紛らわす事のできぬ現実。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

管理・把握される日

2014-03-22 | 5考える
近い将来、私たちは管理・把握されるようになる。
従順で穏やかな普通の日本人は、もう逃れようもない。

とりあえず、新規口座開設の時に、マイナンバーの確認がされることになるという。
落ち着けば、金融機関の本人確認作業が粛々となされたように、既存の口座についてもマイナンバー管理の網がかけられる。

我が国の管理システムは精巧で正確、そして現実に対応させてきた実績をもつ。

小市民の私は、脱税行為などには一切関係ないが、ささやかな私の財布の中であってもこと細かにのぞかれ、危機的な国家財政をまわしてゆく為のプランづくりの参考データとされるのは何とも歯がゆい。

日本社会が守ってきた、ある種の特権階級である専業主婦という優雅な存在は、これからどんどん減っていくだろう。
男女平等の名のものとに、高度に教育され鍛えられてきた半分の国民を、労働力として頼めないのは、国にとって大いなる損失であるから。
専業主婦でいることのメリットは、おそらく順次剥ぎ取られてゆくはずだ。

それは、我が国において本当の意味での男女平等への道を開くことになるだろうけれど。
男女雇用機会均等法なんて形式的な法のもたらすものとは次元の違う、生活底辺からの根本的な均等化が進むはずだ。

管理の触手はそこにもここにも伸びてきている。
小さな政策のひとつひとつが、小市民の私にも降りかかり、網の目に捉えられてしまうのを予感している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本人の価値観

2014-03-07 | 5考える
わたしは、推理ドラマや時代劇が好きだ。
勧善懲悪で、最後には悪い奴がつかまり、ハッピーエンドのストーリーが私を幸せな気分にしてくれる。
しかし、一方で、現実はそんな単純なものではなく、勧善懲悪の分かりやすい世界観が人間と人生を薄っぺらなものにしてしまうという認識も持っている。

白黒つけることは現代社会において必要なことだろう。
しかし、白とも黒とも判じが難く、灰色のまま存在している事象のなんと世に多いことか。
そうして、灰色のままあるものにこそ、真実は埋もれているような気がしないでもない。

歴史が勝者のものであるならば、敗者は歴史のなかでは必ず悪人となる。
白黒つける文化のなかでは、敗者である悪人を尊ぶことなどタブーであろうが、日本においては、敗者である悪人を丁重に弔い祀ることで、社会の守護とする文化が古より存在する。

善悪の価値観でその文化は理解されにくいだろう。
勝敗も善悪も超えたところに日本人の価値観はある。

出雲大社の神、大国主命も敗者であり、祟り神であった。
関東の強力な守護神である平将門も敗者であり、勝者からすれば悪人であった。
悪人は壮絶な死を迎え、祟り神となる。
そこで丁重に弔われ、転じて強大な力を有する守護神として尊ばれた。

こうした善悪を超えた文化を、現代世界の人々に理解してもらうことは大変難しいことだろうが、今こそ必要とされていることだと思われてならない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本当のことを話していないと

2014-01-23 | 5考える
本当の事を話していないと、頑張りはきかない。
嘘や取り繕うことで乗り切ろうとしても、粉飾は体に巣くう癌細胞のようにカロリーを必要とし、エネルギーを浪費するばかりだ。

それは年を経て、いささかの物欲が減少しても変わらない現実だ。

近年の細密な画像からは、隠しようもなく真実が透けて見える。
途中で逃げ出すことになるのは、疑いようも無い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恨みを糧に生きる姿は醜い

2012-08-15 | 5考える
恨みを糧に生きる姿は醜い。

最近、つくづくそう思う。

小さなニュースの記憶を積み重ね、教育でもなく操作でもなく、静かに固く冷え冷えとした認識がかたちづくられてゆく。

基本にあるのは、恨みを糧に生きておられるということ。

そんな人生、辛いだろう。

そんな人生、見ていて苦しく醜い。

いつまで恨み続けるのか。

そこにパワーの源を見出しているのだから、いつまでもいつまでも恨みを口にしながら生き続けるのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

嫌悪感は抑えられない

2012-07-29 | 5考える
今月、山間部にある某温泉に出かけた。
高速道路を使って出かける遠方の地域だが、温泉のある道の駅を中心に積極的な町おこしの取組が評判なところで、かなり期待して出かけたのだ。

駐車場に車を停め、足を地面につけた瞬間、口を突いて出たのは「何だか柄の悪い道の駅だなぁ」というもの。
たまたまその日がそうした巡り合わせだったのかもしれないが、集まっている客層がどうも下品な感じだったのだ。

あちこち出かけているが、山間の温泉地ではついぞ感じることのない印象だった。

食事をし、温泉にはいる。

湯上り、休憩室で涼をとっているとき、半袖の先からその筋の方々の好まれる古典的モンモンをのぞかせる男性を見た。

リアルモンモン…何年ぶりで見ただろうか。

温泉にはお二人、本格的なモンモンを背負った方がおられたそうな。


今日、何気にテレビを見ていると、反原発デモの中心リーダーだという方々が出ておられた。

安保闘争の時のような、操作された過激なものではなく、フツーの市民が大量に行動しているデモだと認識していたが、発言している女性のむきだしの腕には、でかでかと3つのタトゥーが刻まれている。

フツーの人か?

そんなリーダーを担いでいるとするならば、この映像は電力会社の思うつぼだ。

大多数のフツーの人は引いてしまい、デモを支持することを躊躇するきっかけになる。

その方の御出演をご遠慮願わなかったのは、あるいは強力なスポンサーである電力会社と放送局との間でなされた策謀ではなかったか?
…とうがちつつ、嫌悪感に耐えかねて番組を見続ける気は失せてしまう。


今週は、何故か沢山入れ墨をみた。

ショッピングアーケードを手をつないで歩くカップルの右前腕と左前腕に、柄をあわせてお揃いにした本格的なモンモン。

そんな二人に子供が生まれたとして、自分の子供がその子と仲良くなることに躊躇しないだろうか?

フツーの人は警戒し、防御する。
差別ではないのだ。


オリンピックに出場する一流のスポーツ選手の身体にタトゥーを見ることもある。
人気のミュージシャンの身体に刻まれた入れ墨を見ることもある。

やはり嫌悪感は抑えられない。

私は普通の人とは違う人間であると示すために刻まれた入れ墨。
感覚も、行動も、常識も、社会の標準からは大きく隔たっているということだ。
そんな意思表示を前に、フツーの対応はとれない。

辞書や百科事典で言葉の意味を引いてみよう。
差別ではなく、歴史的な裏付けのある文化認識だ。
それを見ることでフツーの人が抱える嫌悪感を、消しゴムで消し去ることは出来ないだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変わらないもの

2012-07-14 | 5考える
変わらないものが好きだ。

変わらないものにこそ価値があると思っている。

流行は淡淡と眺めているだけだし、人間社会に「絶対」なんて存在しないという観念を常に抱いている。

熱くならず、踊らされない。

で、出来る限り変わらないもの、普遍的なものを選択しようという心構えで生きてきた訳なのだけれども、確固たる基準であった私の信条も、頼み難い時代になったと感じている。

愈々、哲学や宗教(勿論妖しい新興宗教は除く)に帰依する時なのかもしれないなんて考えたりする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この世に生まれた責任

2012-04-20 | 5考える
死ぬるまでは生き続けなくてはならない。
それが、この世に生まれた命としての責任だと思う。

生き様は人それぞれだと思うが、たとえその生が空虚であっても苦を伴うものであっても、死が訪れるその時まで、其々の命を生き続けなくてはならないのだと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史的円高下の地産地消

2011-09-26 | 5考える
歴史的円高だ。

通販サイトやテレビショッピングでは輸入製品のセールが目白押し。

日本の株式市場も外資建であれば少々の下落は為替でカバー出来るわけで、全面的円高に株安、債券安、金安と雪崩を打っている現状には窮するしかない。

しかし、円高による輸入差益はどこかで発生してくるわけで、帳尻のあう局面もあるのだろうが、厳しいねぇ。

農産物で地産地消が言われて久しいが、工業製品についてもあえて地産池消を旨としたい。
保護主義ではないのだ。
我が国の材料で、我が国の職人によってつくられた製品に囲まれる暮らしは、贅沢で最もストレスのない暮らしだ。

まだ十分使えるが、外材で造られ、天板のセンターでたわみの生じた大陸産ユニット型の机を、純国産の製品に買い替えることにした。
そこの製品であれば、少々幅広の天板であってもたわみが生じることはまずない。

現在使用している机の四倍の価格であったけれども、生涯使い続けるだろう机だ。

ささやかだけれど、人生を折り返した最近、漸く芽生えつつある愛国心の私なりのもっとも素直な表現方法だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする