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私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

相場をうっかり見誤る

2022-09-13 | 5考える
昨年からフリマアプリを利用し、自宅に埋もれている品物を活用して頂ける方にお届けしている。
先日、使われぬままストックしていたMDディスクがあるのを思い出し、いつものように出品作業を行った。

重宝したウォークマンはスマホにとってかわられ、眠られぬ夜の友であったMD再生可能なデッキは故障。
部品もなく、修理も出来ずに過去のものとなってしまった。
製造も中止になっていて、オーダーメイドのような高価格帯のもの以外、新たに入手する術はない。

どこかに元気なデッキがあって、現在も使用されている方にご利用して頂けたら…と出品してみたのだが、供給がない状況で需要のみあって、MDディスク市場は引く手あまたであったようだ。
複数パッケージを、アプリの参考価格で出品するや否や、即刻売れてしまった。
アプリの参考価格は単品価格であり、私は複数パッケージを破格で出品していたのである。

購入された方はビジネスで仕入れられた方なのか、最初から最後まで全くノーリアクション。
相場を大きく下回る価格でうっかり出品し、姿が見えない相手のところに送り届ける事は、どうにも面白くない。
自分の不明を恨むしかないのだが「失敗したぁ」とぼやき続けている。

二十数年ぶりの円安。
あれもこれも価格は上昇しているのに、賃金だけ上昇気流に乗れず、ゼロ金利から抜け出せないでいるわが国。
先日満期になった定期預金の利息は、20円にも満たない額だった。
何とかしなくてはなるまい。
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身体の変化

2022-08-27 | 5考える
確実に年を経て、私の身体も日々変化している。
かなり以前になるが、女性は更年期を迎えると急激に女性ホルモンが減少し、70代では男性の方が女性より女性ホルモンの量は多いのだという記事を読んだことがある。
当時かなりショックを受けたのだが、私は男性化しているな…という現象が自身にも日々見つかるようになった。

もともと、フェミニンなタイプではないが、いよいよおっさん的な感受性に傾いている自分がいる。
髪の毛は豊かでなくなり、毛根のターンオーバーが阻害されて、若い頃は抜け落ちていた産毛が育つ。
成長した「おひげ」が見つかるのだ。

脱毛男子の姿をNHKのドキュメンタリーが追っていたが、私にも必要かもしれない。

何ともわびしい。
細胞が古くなったのだ。
それでも最後まで私の身体と寄り添い、ともに生き続けるけれど。

昔は全然問題なかった、牛乳にも敏感になった。
乳糖に反応し、冷たい牛乳を飲むと必ずお腹が緩くなる。
若い頃にひどく苦しんでいた便秘も解消しているので、全体的に消化器官の働きに変化が生じているのだろうが。
冷たい牛乳を飲むだけで、デトックスが可能だ。

朝晩は秋の気配が感じられるようになった。
食欲そそる色をした国産南瓜を見つけ、パンプキンスープを作る。
実りの秋がいよいよ始まる。
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必要とされる事を求めている私

2022-08-09 | 5考える
6時前に目覚めて、燃やせるゴミを取りまとめ、ゴミ置き場に運び出す。
スッキリ目覚めているのだが、このまま朝食をとると、一日のリズムが保てないような気がして、夏に愛用する氷枕を取り換え二度寝。
朝の経済番組がだんだん遠く聞こえて、すぐ眠りに落ちる。

夢を見た。
辞めたはずの仕事を二つ、掛け持ちしている私。
そして、その二つの仕事がバッティングして、連絡に右往左往している。

どちらでもしっかり仕事をこなしていたが、それぞれ辞めさせていただいた。
辞めることが出来てホッとしているのだが、何かしら淋しい想いがあるのは否めない。

そして、私というピースがなくなっても、それぞれの職場はちゃんと回り続けている。
空気もクオリティも若干変わった様に聞いてはいるが、それが社会というものだし、そうでなくてはならないが、どうやら私個人は、必要とされる事を求めているらしい。

それを、二度寝の二時間で見た夢が教えてくれた。
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出向いた時点で思うつぼ

2022-08-05 | 5考える
ここ数年でスーパーマーケットに対する認識を新たにした。
アプリケーションソフトをスマホに入れ込み、広告を丹念にチェックする。
クーポンを一覧し、お買い得商品をピックアップしておく。
ポイント加算を気にしつつ、本当にそれがお買い得なのか冷静に勘定する。

特売品は心に留めておくが、それを目的にスーパーマーケットに出向いても、特売品だけでお買い物は終了しない。
スーパーマーケットに一歩足を踏み入れた時点で、もう策にはまっているのだ。

食品メーカーが販売に力を入れる商品は、どのスーパーマーケットでも、時を前後して特売商品として上がるようになっている。
スーパーAで買い逃しても、スーパーBの特売に近々上がってくる可能性は高いので、がっかりする事はない。

また、スーパーマーケットの客寄せ商品ばかりを扱う業者というのが存在する。
大抵、平台と呼ばれる一押しコーナーに展開される商品であり、百貨店では見かけないが、スーパーマーケットでは系列に関わらず、不定期に並べられる商品。
流通をスーパーマーケットに絞って営業している業者だ。
それらの商品の賞味期限をチェックすると、店舗の商品管理が適切か否かが見て取れる。
賞味期限切れ間近で、必ず大量にプライスダウンされる店舗は、担当者のチェックが緩いという証明に他ならない。

スーパーマーケット毎に、得意分野はある。
格段に値引き率が大きい分野、常にお買い得になっている商品。
それらを把握し、スーパーマーケットの戦略を認識しつつ買い物するべきだ。
計略通りに買わされないよう、お買い物を楽しむのは、ある種スーパーマーケットとの知恵比べかもしれない。
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カレンダーの斜め線

2022-07-31 | 5考える
日にちと時間に縛られなくなり、ぼんやりひぐらししていると、認知状態に不安を覚える事がある。
このままつかみどころない人になり、干からびてしまうのではなかろうか…と。

その危険性は大いにある。
しかし、さほど憂うべき事でもないとわかってもいる。

危うさを覚え、いつからか卓上カレンダーに斜め線を入れる習慣が出来た。
「今日も一日無事終えました」という想いで、その日の終わり、斜め線を書き込み、明日が何月何日かを確認して眠りにつくのである。

ところが、先日テレビドラマ「先生のおとりよせ」の録画を見ていたところ、向井理演じる小説家の先生が、くさやを焼くタイミングを計るべく睨んでいたカレンダーに、やはり斜め線が記されていた。
カレンダーにはゴミ出しの予定が書きこまれ、私と同じ斜め線も書き込まれていた。
「同じだ!かくなる習慣は私に限らず多くの人が…」と、わずかに共感を覚え笑みがこぼれた。
だが、作家先生の斜め線は、一日の始まりに書き込まれており、本日欄に最新の斜め線が記されている。
私は一日の終わりに書き込むので、本日欄はその日を終えるまで空白なのだ。

同じ習慣だが、方向性が全く異なる斜め線。

知人に「一日の始めにマークするのと終わりにマークするのはどちらがスタンダードか」と尋ねてみたところ「一日の始めにマークするのが標準」とすかさず回答があった。

そこで、私も標準スタイルに改める事とした。
明日から、いよいよ八月である。
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新たなリズムを整えねば

2022-07-17 | 5考える
しばらくお世話になっていたアルバイト先での仕事を辞めた。
2か月前に辞めさせてほしいと願い出て、漸く勤務がなくなり、更に1か月の有給休暇消化を経て、名簿から私の名前は消えた。
3か月掛かった。

いけずな人の少ない、比較的居心地が良い職場ではあった。

しかしながら、短時間勤務なのに、頻繁にSNSに業務連絡があり、四六時中勤務先の状況を気にかけねばならなかった。
常に緩い緊張を強いられる日々。
そして、時々「何で!」と驚愕する指示を受ける。
気が付くと、高血圧症状は常態化しており、集団検診の結果データも過去最悪のものであった。

まだ倒れたくはない。
父と同じように、長く不自由な生活を強いられることだけは避けたい。

ストレスを軽減し、いつの間にか増えている体重を絞り、もうしばらく人生を楽しんで、穏やかにフェードアウトするのが望みだ。

集団の一員として、常に縛られている不自由さの一方に、集団に所属する安心感や心地よさはあった訳で、それらを失った喪失感は存在する。
ポツンと一人、心細い暮らしになったことを感じながら、生活のリズムを再建する事が至上命題となっている。
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編集する?編集しない?

2019-04-18 | 5考える
マツコデラックスさんがMCを務める番組を時々見る。
最近増えすぎているような気もするが、切り口が独特で、基本的には常識があってお行儀良い点に安心感を覚える。

先日、録画で見た番組では、お茶碗に思い入れの深い方が出演されていた。
良い印象をもって見始めたのだが、「スベラカ」とおっしゃる。
どうやら「滑らか(なめらか)」を「スベラカ」とおっしゃっているのだ。
嫌だなと感じたが、繰り返し繰り返し「スベラカ」という言葉が発せられる。
誰も訂正しない。編集もない。そして、それは幾度も繰り返される。
もう、先を見続ける気にならなかった。

昔、ある講座で講師の先生が「キジャク」という言葉を好んで説明に使用された。
違和感を覚えたが、お気に入りフレーズのようで「キジャク」と繰り返される。
どうやら「脆弱(ぜいじゃく)」という言葉を、誤って認識しておられたようだ。
相手は講師のお立場で、誰も指摘することはできない。
しかし、講座は一度では終わらず、その誤りを繰り返し聞かされる事になった。
すっかり熱意を失い、冷めた思いで講座に出席することになった。

素早く、お相手のプライドを傷つけず、うまく編集して差し上げることは出来ないものか。

我がお気に入りの時代劇ドラマ。
華やかで、リズムがあり、しっかり作られているドラマがある。
そもそも昔の時代劇には、色香が過剰で今では不快に感じるものも多いのだが、このお気に入りの時代劇の最近の再放送で編集が行われている。

気のいい役者の男が、性的被害にあってしまう場面。
LGBTについての認識が、ほんの少し前の時代までわが国では大変緩かった。
戦国時代に男色はある種の文化としてあったし、やはり男社会の認識が時代劇には強いのだが、その苦笑いを誘う場面はもう今の時代には受け入れられなくなったという事だ。
「あれは冷たいし酷いな」と感じながら、非常に印象的な場面であった箇所がカットされ、受け入れられやすい場面を加えた編集が施されていた。
時代の流れを感じながら、問題化する事を避けるため編集せざるを得ないケース。

娯楽文化の表現は、善悪やモラルに縛られると幅がなくなり面白味を欠くだろうに、致し方ないのだろうか。

編集の可否を考えるこの頃である。
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危うい天然木の鍋敷き

2019-03-21 | 5考える
天然木の鍋敷きを買った。
磁石が埋め込まれており、鍋底に自動的に接着する点が便利とうたったものだ。

スーパーでお買い物額に応じて配布されるシールを集め、お買い得価格で購入したのだ。

ところが。勝手に接着する…という利便性をさほど感じないうちに、捨てざるを得ない事態になった。

ジャストサイズの鍋に、それが接着していることを認識しないまま、ガスコンロの火にかけてしまったのだ。
寝ぼけていた訳でもないのだが、ジャストサイズであった為、その存在が見えていなかった。

そして、ガスコンロの炎がいつもと違う色で、鍋を包み込んで燃え上がる様子を見て、とうとうガスコンロも買い替えサインが出ているのだろうか?と思った。
しかし、炎はどんどん大きく高くなる。
危険を感じた瞬間、鍋底で燃える鍋敷きの存在に気付いた。

真っ黒に炭化した、よく燃えた天然木。
使用回数は片手で数えるほどだった。

危なかった。
そうして、何より火事にならなかった事が幸いだった。

昨日、ご近所で火事があり、亡くなられた方があったようだ。
私と同じ鍋敷きを使っておられなかっただろうかといぶかる。
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胸にとどまった言葉

2015-02-09 | 5考える
風が吹きすさぶ寒い日。
いつものように墓参をし、ふと見つけた言葉。

私がその日見つけただけで、それはもう何か月も前から貼り出してあったのだろう。
貼紙のふちどりは、もう色あせている。

「何をしでかすかわからないのが人間。
どうなるかわからないのが世の中。」

性善説にはたっていない。
あたたかくもないし、道も示されてはいない。
けれども、おそらく現実とはそうしたもの。

私がどうなるか、この社会がどう変化してゆくのか…分かるはずもない。

ただ、妙なことをしでかさないように自戒しながら、一日を積み重ねてゆくしかない。
それが、生きること。
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ちょっとだけガツガツを志向する

2014-07-06 | 5考える
私はのんびりしている方である。
あまりにのほほ~んとしている為に、時に周りの人々からは「怪しい人物」といぶからられることさえある。

決して御大身ではなく、ごくごくフツーの日本人であるが、昨今の世情に洗われ、大陸や半島の方々のように少しガツガツと儲けることを志向するべきではないのだろうかと思い始めている。

そう、日本人はのほほ~んとし過ぎているかもしれない。
ある程度の金額を得ると、日本人はもうよろしいとばかりほどほどを指向する。
「程を知る」「足るを知る」というが、それが日本人の良さであり、弱さでもあるような。

故に、日本人のお金持ちは高がしれている。
一生どころか、何生も左うちわで豪快に過ごして余りあるような所得を目指すお金持ちが、大陸や半島の人々に比べて日本には極端に少ない。

ガツガツしなくても、日本の為政者は国内統治において酷に過ぎなかったという歴史があるからだろう。
ヌルイと言われればそうだろうけれど、敗者もまた同じ同胞として内包されていく文化は、政権を追われ敗者となるや一族郎党とことん追いつめられ、剥ぎ取られる文化の異国とは決定的に違う。

しかし、最近私は思う。
もうすこしガツガツしてもいいのではないかと。
そんなことを考え始めたのには、あるきっかけがあった訳ではあるけれども。
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