斎藤秀俊の眼

科学技術分野と水難救助、あるいは社会全般に関する様々な事象を一個人の眼で吟味していきます。

霞提か。それは減災のはなしであって、防災ではない

2020年07月17日 07時29分35秒 | 斎藤秀俊の着眼
今ほど、テレビで霞提の話題をやっていました。
昔の先祖の知恵であり、限られたリソースの中でいかに災害による損害を減らすか、という観点で優れた考え方です。
ただ、これを現代に持ってくると、防災ではありません。減災のための手段です。防災は遍く全員が被害を受けないように目標を立てるのであって、減災はどこかは「ごめんなさい」の考え方です。

「上流の田畑に水を溢れさせる」
農家にとって、田畑は職場です。この観点はぜひ言葉として取材してほしかった。
車の工場に洪水を誘導するといって、その会社は納得するでしょうか。
職場であり、生活の糧であり、そこに大雨が降ったら、浸水させますと言うこと、どうでしょうか。
同じお願いするにしても、田畑は大切な職場、大切な生活の糧という認識がお願いする方にない限り、この昔のアイデアは成り立たないでしょう。
残念。

農地を水浸しにすれば、わが国全体の食糧問題にもかかわります。
かといって、宅地も守らなければならない。

大昔から、治水は政治の重要課題だったと社会で習いましたよね。
要するに、どうやって当事者に予想される被災をお願いするか、納得されなかったらみんなでお金を出して立派な利水事業をやる、という歴史の繰り返しです。


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