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男子厨房に入る ー 独り言

近頃のシニアは元気がいいのです。まだまだ体力のある間はと動き回っていろいろと感じた事を書き綴っています。

中坊記 12

2012-09-10 | Weblog
R365(北国街道)
2002/05/12

若葉の薫る時期です。沖縄はもう昨日、梅雨に入ったとのニュースを聞き、東海地方も、もうそろそろかと、慌てて今年初めてのショートツーリングに出かけました。行く先は、家の近くを通っているR-365(起点三重県四日市市 終点石川県加賀市 全長231.2Km)を北へ北へでした。いつも近くを走っていて、それがどんな所を通っているのかを一度は自分で走って確認したいと思っていました。別名北国街道です。名前が良いですね、なにかしら私の知らない北の国に導いてくれそうなネーミングです。冬の間は閉鎖の峠も、もうこの時期は大丈夫でしょう。家で出発前にざーっとルートを確認しただけで、出発は午前9時です。今日の目的は何処によるでもなく、ただただ楽しく走るのみです。道中には余呉湖、夜叉が池、温泉もたくさんあるのですが、今日はもう純粋にライドを楽しむことです。ひたすら走り続けるだけでした。木之本を過ぎ北陸自動車道を右手に見ながら走る辺りからは車もぐっと減り快適な走りが楽しめました。椿坂峠、栃の木峠ではワインディングもスムースで快適の一語でした。峠の通過記念に頂上で、小さな税金を立って支払ってまいりました。天気予報は晴れでしたが、雲がかなり低くこれは少し雨にあたるかなと心配をしましたが、快適なサンシェードの役目をしてくれました。服装はジャンバーとトレナーでしたが、首もとから入り込んで来る風がどことなくヒンヤリして気持ち良いくらいでした。福井県今庄町に入ったとたん蕎麦祭りの幟が道路沿いにたくさんはためいていて、時刻も丁度お昼時で、通りかかりの食堂で小休止。もちろん注文はおろし蕎麦。でも、お味はまぁまぁの感じでした。その後R365を武生まで直進しR8との合流点で左折し帰路につきました。帰路は、敦賀湾を見ながらトンネルも適度にあるこれもまた快適なライドが楽しめます。敦賀湾が見えなくなったかと思うと次は琵琶湖が迎えてくれる本当に楽しいコースでした。機会があれば武生の先、終点加賀市までを走破したいと思っていますが、私の地図では福井県越前町以北はR365の文字が消えてしまっています。これは、R305との重複を意味しているのだと思いますが、ちょっと不安です。前半のR365は山間のルート、帰路は水辺のルートでライダーを退屈させないツーリングでした。総走行距離は288キロ、帰着は午後6時でした。その夜は夢の中でもワインディングで身体を右に左に揺らしていました。


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中坊記 11

2012-09-10 | Weblog
旧道が楽しい!
2001/04/28

 交通量の増加に伴い、以前は細い街道を走っていたのが、郊外を迂回してのバイパスや、峠などコーナーが厳しい所はトンネルができたりで、より安全にそして道路周辺の住民の方々への環境回復などが行われています。このお陰で私達は快適にそして安全に車の運転を楽しむ事ができるのです。それは大変良い事なのですが、新しい物ができると古い物がすっかり忘れられてしまうのも、事実です。そこで、今回のバイク行はゆっくりとそんな忘れられた旧道をゆっくりと走ってみました。鈴鹿から奈良県生駒市までを、普段乗っているCBR600からデュアルパーパスタイプに乗り換えて楽しんできました。ルートはR25(自動車専用道路の名阪国道と並行して走る)、R163島ヶ原、笠置トンネルの旧道、木津市内です。R25はR1の東海道関宿で有名な西の追い分けより左折するとすぐに山間を走ります。R25は、途中に土砂処理場があり土をつんだダンプカーの往来が激しいのと、コーナーにこぼれた土砂がたまっており、バイクのコーナリングは細心の注意が必要です。それと、センターラインが無い所が多いので4輪がかなり寄ってきますので、これも要注意です。名阪国道では関、加太のトンネルで超える所を連続コーナーで山間を抜けて行きます。集落の中を走る雰囲気は旧道の懐かしさが一杯です。自動車専用の名阪国道はタンデムは禁止ですが、こちらはOKですので、タンデムの場合はこちらをゆっくりと走るのが良いですね。上野からはR163に移り島ヶ原を目指します。島ヶ原の旧道はすっかり車が姿を消してお年寄りが道路の脇をもどかしい足取りで歩いていて、以前は危険で想像もできなかった風景が見れ、村の人達が生活道路を取り戻した感じがしました。笠置の旧道はトンネルが出来る前に通っていた道を4輪は入れないようにしてあるので、バイクならでは道になっています。木津川の様子が良く見えますし、以前で考えられない位に木が道路の上に被いかぶさる位に茂っています。枯葉が道路端にたまっていますので、これまたバイクはスリップに要注意です。枯葉の道を走るのって林道でも走らなければ経験できませんが、こんなところにもあるのですよ。所どころにベンチや屋根付きの休憩所もあり、木津川の岩と流れを愉しみながら一服するには良い所です。距離は短いですが、ゆっくりと景色を楽しめながら走れる旧道の存在を再確認しました。時間に追われてバイパス、専用道路、高速道路をどんどん走るのも結構ですが、たまにはゆっくりと旧道を走るのもバイクのもう一つの愉しみですね。生駒までの往復約5時間のツーリングでした。
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中坊記 10

2012-09-10 | Weblog
湖東トンネル紀行
2001/04/26

私は、バイクに乗って一番楽しい時期の一つは梅雨に入る前の4、5月ではないかと思っています。道を走れば花と青葉若葉が眼に入り、気温は暑くなく、寒くなく最高です。そんな4月の末に今年、21世紀最初のツーリングに、私の好きな場所の一つの湖東(琵琶湖東岸)を走って参りました。今回のハイライトはつい数日前に開通した、R303の八草トンネルです。このトンネル開通前は狭くてタイトなコーナーの連なりで通り抜けるのに40分位かかったのが、わずか数分で岐阜県と滋賀県を繋ぐトンネルです。今回もお大師さんのお言葉通りの同行二人のタンデムです。背負うは妙音天様です。こちらうまれて始めてのバイクライドで、もう出発前からかなりのハイ状態です。大丈夫かいな?で出発しましたが、上手くバイクのゆれに合わせて動いてくれています。R365を木之本まで上り、東に折れR303へ乗り早速最初のトンネルに入ります。関西電力の工事車輛が頻繁に行き来しておりますが、ガードマンの方がコーナー毎に配置されていて、知らせてくれます。集落の中の道は細く車との対向はきついですが、いくつかの退避所がありますので、飛ばさない限りは安全な道路でしょう。そろそろ頂上かなと思いタイトなコーナーを一気にあがった途端目前に真新しいトンネルが飛び込んできました。八草トンネルです。暗闇の中に突入、ずいぶん先に岐阜県側の明かりが見えます。ところが、走れど走れどこの明かりが寄ってきません、トンネル内の気温がだんだん下がってきてこのまま走り続けると辛いなあと思いつつ走行していると、滋賀県と岐阜県の県境の表示が見えました。出口はまだか、まだかと思っていると、やっと岐阜県側の出口に到着です。そこには、今年の積雪の多さをしめす残雪がまだありました。開通して間がないので、何人かの方が立ち止まって写真を撮っていました。このまま坂内村、藤橋村、と行きたかったのですが、まだ他のトンネルが残っていますので、しばし立ち止まってそのままUターンで再度八草トンエルを引き返しました。行きは長い長いと感じたものも、帰りはあっと言う間に通過した感じでした。この滋賀県側の出口は出た途端にカーブで旧道につながりますので、減速を十分していないと、ガードレールに激突必至ですね。ご注意ください。次のトンネルはR303杉本から余呉に抜ける県道です。こちらのトンネルは車1台しか通れないにも関わらず、信号も内部照明も何もなくもし対向する時は丁度トンネルの中程にある、退避所で待ってて対向するしかなく、バイクにとっては真っ暗やみの中での退避でかなり恐怖が楽しめる感じでスリル満点です。次のトンネルはR305からR8に抜ける柳ヶ瀬トンネルです。こちらは北陸自動車道の下での信号で交互通行です。本当にずいぶん昔に造られた感じが路面の鋪装をみても良く分かります。対向車がないので安心して走れますが、幅が狭く長いので、「トンネルと抜けるとそこは別世界、異次元へのタイムトンネル」を彷佛させるにピッタシの楽しめるトンネルです。R8とR161の合流地点を過ぎ敦賀に入ったところの弥次喜多で昼食を頂き、その後、敦賀港で小休止して引き返しR8賎ヶ岳トンネル、R365上石津トンネルを駆け抜けて、鈴鹿帰着は午後6時過ぎ、走行距離は290キロ。2001年最初のツーリングとして、快適で感動的なコースを楽しむ事ができ、至福の1日でした。背中の妙音天様は帰着後も臀部にバイクの振動がビリビリと残っていて、ハイな一夜を過ごされたそうです。ありがたや、ありがたや。


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中坊記 9

2012-09-10 | Weblog
9.瀬戸内随想(2000.8.27)
 
今は各家庭でのお風呂が普及し、内湯とか外湯とかの言葉も聞かれない事が多いのですが、私の子供の頃は町中の長家住まいでしたので、お風呂と言えば銭湯でした。銭湯に入ると壁のタイルに富士山と湖の絵が書かれていたのを記憶しています。この絵の印象が強かったのか、小学校に入っての図画の時間に描く私の絵にはいつも山と池、湖でした。その後、富士山と富士五湖のある風景が本当に有るのも知りました。それと、水のある風景が何かしら自分を心地よい気持ちにするという自己を発見したのです。それは、西瀬戸自動車道(しまなみ海道)を幾度か行き来するたびに海の見える風景を見るにつけ気持ちが和むのを感じたからです。同行する姉も同じ事を言っており、同じ母親から生まれた性か、母親の生まれがこの瀬戸内の町だからなのか、同じ銭湯に通っていたからか、もっと広く考え人類が母の体内で羊水に揺られていたからなのか、いろいろと考えさせられました。スキューバダイビングで水中に潜り、中性浮力でゆらゆらしている状況はまさしく羊水の中ではないかと、実感するのは私だけでしょうか。海とか、水辺の見える風景が嫌いな方もいらっしゃるのでしょうか?今回の旅は87歳の母親がずっと寝たきりで、”次に容態が悪化すると覚悟を”、との医師の話より見舞いに来たのです。母は何も話せませんが、意識はしっかりしていて、問いかけに手を握り返して反応してくれました。でも、おそらく”これが最後!”になるのかと思いつつ、皺の幾重にも入ったまぶたの奥の細い眼をジッと見つめました。そんな状況が感受性を鋭敏にさせたのか、特に今回は瀬戸内の見える場所で、母親の体内に戻って来たような感傷的な気持ちになったのでした。
      平成12年12月22日(金) 午前1時他界 享年89歳でした。
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中坊記 8

2012-09-10 | Weblog
8.二の瀬峠越えはルンルン(2000.5.26)
 
2月末より5月末まで超多忙の一時期を過ごし、やっと昨日その状況を解決しました。今日からまた、以前のSOHO生活に戻りました。やはり他の会社の中に入って仕事をさせていただくというのは、厳しいものがあります。全てが新しい環境の中で直ぐに結果を出すことを求められる。そして期待に違えばお役ごめんです。アウトソーシングとか、派遣社員の厳しさを実感しました。
ん~てな事で、気分転換をする為にバイク(CBR600逆車)で一走りしてきました。ルートは私のお気に入りコースのひとつ、北勢南濃線です。こちらのルートは、週末ともなると特に岐阜県側は自転車野郎にバイク野郎で一杯ですが、今日はまだウイークデーで、私一人の専用道路でした。途中自転車の人が岐阜県側から登ってきているのを見ただけでした。往路、庭田公園のトン先で大垣の方の下界を見たのですが、生憎のもやで眺望は今ふたつくらいでした。南濃方面への下りです。ギアーを4速に落としエンジンブレーキを効かせながらスムースに下降です。4ストの大人しくも高い回転音とその震動が大腿部に伝わってきて快調な走行でした。南濃側に降りたところで小休止。このまま帰るのはまだ時間が早いし(10:00am)、大垣まで足を延ばして、今開催中の大垣博を見て帰ろう。そして、もしかするといつもネットでお世話になっているメルフレにも御目文字できるかもしれないと更に北に向けて出発です。”俺の行く先は?””バイクに聞いてくれ”、ってな計画性のない行動です。唐突な行動でメルフレとの交流はありませんでしたが、大垣博ではNHKの葵徳川三代の関が原の合戦を再度見ることが出来ました。丁度、大垣城といい関が原といい、400年前は大変な歴史的な意味のある、場所だったのを思い知らされました。本当に”兵どものが夢の跡”が、あの辺りだったのですね。
帰路の二の瀬もまた爽快で、視野180度が緑に囲まれた世界に突入してゆくような感じで南濃から一気に上り、降りてきました。あのワインディングのコーナーでぐっと車体をインに倒し、そして直ぐにその反対のインに身体を動かしてコーナーをクリアーする感覚、最高でした。次は最近入手した新車(オフ)で行ってみたいところです。

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