人生、いくつになっても、学ぶこと、教えられる事が尽きないです。ネットで調べてみると、「当たり前」と「感謝」は対義語であることを知りました。確かに、私たちの周り、そして自分自身に関わる「当たり前」に、感謝をしていない自分が在る事に気付きました。健康、安全、平穏などなど、「当たり前」と思って、気持ちさえその方に向かない事もあります。「当たり前」に「感謝」の念を示すのは、ただそれが失われた時です。その時、すでに遅し、とならない様にしたいです。私のアメリカ人の友人から聞いた言葉ですが、「今日1日の価値は、何度サンキューを言ったか?」です。身の回りのすべての「当たり前」を探して「感謝」します。
このお正月おせち料理を作られたご家庭は多いと思います。我が家も平素は夫婦二人の生活ですが、お正月は、久し振りに、離れて住む子供達が訪れるから、と心尽しのおせち料理を作ったのです。ほんの僅かです(田作り、伊達巻、松前漬け、筑前煮など)。でも、幕内が明けようとする今も余っているのです。さすがに朝食ではそれを食しませんが、昼食、夕食はお節料理の残りを始末する為に食べなくてはならないのです。皆さんのお宅では如何ですか?食生活が飽食の日本ならではの悩みかもしれません。
人を指示する代名詞「私」「あなた」「彼、彼女」など人代名詞の言葉です。外国人がこの代名詞の使い方で日本語の難しさの一端をを語っています。確かにそう思います。シニアの私は今でもその使い方で戸惑っています。言葉が人格を現すなどと言われると、特に一人称「自分」その使い方に気を使います。上司、目上の人との間、同僚との間、年下、部下との間と、相対する相手によってその表現が異なってくるからです。英語的に考えれば「私」で良いのですが、現実はそうならないのが悩みです。方言や文体などでも違ってくるのでしょうが、浅学な私には理解不十分です。2人称となるとこれまた違ってくるのです。