私がオギャーと生まれてから、ズーーと一緒だった、左目の水晶体を昨日、人口のモノ(水晶体)と交換しました、そして、先ほどその人工水晶体を目を開けて初めて体感しました。それは無色でクリアーです。一方、古き良き右目は、年季のせいでしょうか、少しスモークが入っているようです。この違いも次第に慣れてそんなに感じなくなっていくのでしょうか?ただ今、新しい部品の慣らし中です。
「アイガー北壁」何度目の鑑賞でしょうか?事実に基づく映画だけに、胸が打たれます。国益国家の意気高揚のためと挑戦したのでした。愛する人が目の前で宙吊りになったまま、助けられずに死んで行く、考えられない悲しさでしょう。できれば、次は登頂に成功する映画を観たいです。
香りのせいか、好き嫌いが分かれるのが、ミョウガです。納豆、鮒寿司,ほや、くさや・・・香りで嗜好を二分させる食品は他にもたくさんあります。今日は我が家に植えてある茗荷を収穫しました。何の世話もせずの放ったらかしでしたが、まずまずの出来でした。早速、お好きなお方に差し上げましたら、流石ですねぇ好きな人は、薬味だけでなく、それなりにレシピ(今回は、“きゅうりと、ミョウガのナムル“・・)をお持ちで、ご賞味できたようです。やはり「好きこそ、モノの上手なれ」デスカねぇ。素晴しい腕前です!
ご存知と思いますが、「ガチャガチャ」とはスーパーの出入り口、そしてスマホにも組み込まれている「ガチャ」から来ています。9月17日(木)の朝日新聞朝刊28面に、哲学者の古田徹也さんが書かれた、「言葉と生きる 綺麗事突き放す「ガチャ」」から、引用しました。これには今の大学生たちの物事の捉え方の一端が伺えます。
前略、中略 「・・・ 彼らの手にはいつもスマホがある。そして、その中で回るガチャが、自分の人生の寓意になっている。これは、一歩引いたところから自分や社会を捉える諧謔であり、皮肉であり、同時に、深い諦念でもあるように思われる」
考えさせられる内容です。
暑い夏は植物にとっても過酷なのでしょう。元気に咲いた花があまり見られません。そんな中で「サルスベリ」は目立っています。そのせいかどうかは判りませんが、いくつかの名前で呼ばれています。一番ポピュラーなのが、木の肌が、木登りの上手な猿でも滑るだろうと「サルスベリ」、またその木肌が掻くとくすぐったそうなので「くすぐりの木」。中国の物語では、恋人同士が100日後に会う約束をしていたのに、その前に命を落とし、その後に咲いたので「百日紅」、同じ100日でも日本の方は100日間咲くから「百日紅」です。私的には、ロマンティックに中国の説を取りたいのですが、皆さんはいかがですか?
最近刊のJAF Mateに載っていた記事です。オランダ(ダッチ)の人の知恵と書かれています。車から降り時に、ドアを開ける手をドアから遠い側の手で、身体をひねりながら開けるという事です。そうすることで、後方に注意が向き、後続の自転車などとの衝突を防ぐために、考えられたと記されています。早速試してみましょう。