昨夜は道の駅「いんない」に宿泊したが、青の洞門からナビが案内した道が、どうも昨年の大雨による洪水の影響で通行止めになっていて引き返すことに。
さらに、違う道を探してもナビは同じ道を案内しようとして、どうもうまくいかない。時間も遅くなってきたので、近くの温泉を探すことに頭を切り替えた。
ところが、車1台がやっと通れるような道を案内、木の枝が車体に当たる音が聞こえる。新車だ、やめてくれと心で叫びながら、何とか目的地に到着。
温泉の人曰く、地元の人は通らない道だそうだ。帰りはナビに逆らって、教わった広い道を通ってきたが、何度も迷って、道の駅に着いたのは夜の11時過ぎになった。
今日は昼の12時に別府駅で人と会う約束があるので午前中の時間内に1ケ所どこか行こうと考えていた。地図を見てすぐに目的地が決まった。
宇佐神宮の歴史
祭神:一の御殿 八幡大神(応神天皇)、二の御殿 比賣大神、三の御殿 神功皇后
祭神である八幡大神は応神天皇の神霊で、571年(欽明天皇の時代)に初めて宇佐の地に ご示顕になった。
725年(神亀2年)、現在の地に御殿を造立し、八幡神をお祀りされた。これが宇佐神宮の創建。
宇佐の地は畿内や出雲と同様に早くから開けたところで、神代に比売大神が宇佐嶋にご降臨されたと『日本書紀』に記されている。
比売大神様は八幡さまが現われる以前の古い神、地主神として祀られ崇敬されてきた。
八幡神が祀られた6年後の731年(天平3年)に神託により二之御殿が造立され、宇佐の国造は、比売大神をお祀りした。
三之御殿は神託により、823年(弘仁14年)に建立された。応神天皇の御母、神功皇后をお祀りしている。
八幡大神の御神徳は強く顕現し、三殿一徳のご神威は奈良東大寺大仏建立の協力や、勅使・和気清麻呂公に国のあり方を正してゆく神教を賜ったことで特に有名。
皇室も伊勢の神宮につぐ第二の宗廟としてご崇敬になり、勅祭社16社に列されている。
呉橋
寄藻川に架けられた呉橋、宇佐神宮西参道からの入口にあたるが、昭和初期まではこの通りが表参道であった。
創建年代は不詳で、中国「呉」の人が架けたと伝えられている。屋根のついた神橋は全国的に少ない。
手水舎
春宮(とうぐう)神社
応神天皇の御子神、勉学に励み寵愛されていた。学問の神。
祓所
大祓式などの祭典の祓の儀式を行う所。
宇佐鳥居
この鳥居は宇佐古来の形式をもつ鳥居として有名で、額束はなく、台輪を柱上に置いています
西大門
文禄の頃(1592年~)改築されたといわれ、国宝の本殿、勅使門などとともに宇佐神宮の景観を象徴する建物。
南中楼門(勅使門)
神宮内郭の南正門。高良大明神、阿蘇大明神の二神を御門の神としてお祀りしている。
上宮
向かって左側から、一の御殿 八幡大神(応神天皇)、二の御殿 比賣大神、三の御殿 神功皇后が祀られている。
奥に国宝の本殿があるようだが、皇室の方が2年後に来られるためシートを張って工事をしている。残念ではあるが内部は全く見えない。
近くを通った巫女さんの話では平常時でも見えないということなのであきらめがついた。
大元神社遙拝所
左手奥に見えるのが宇佐嶋とも呼ばれる御許山(馬城峰)。
宇佐神宮発祥の地として摂社大元神社が鎮座している。
祈祷殿
祈祷殿の右側に「絵画館」がある。
和気清麻呂公については名前は知っていたが、いつの時代をどう生きてきたのか、また、日本の歴史をどう動かしたのか全く知らなかった。
絵画館のすばらしい絵とその説明により、その人物像を理解することができた。
このあと、清麻呂公縁の神社に行くきっかけとなり歴史の聖蹟に立てたことは大きな喜びであった。
おみくじ
下宮
嵯峨天皇の弘仁年間(810年代)勅願によって創建され、上宮の御分神をご鎮祭になったことがきっかけで、八幡大神様・比売大神様・神功皇后様は上下御両宮のご鎮座となった。
「下宮参らにゃ片参り」と云われる所以です。
若宮神社
応神天皇の若宮、仁徳天皇とその皇子をお祀りしている。除災難・厄難の神様。
兆竹(さましだけ)
神事や豊穣、国家の大事を決するときの神意の卜占を、若宮神社の拝殿にて対馬の卜部が亀甲を焼いて行っていた。
その際、この下の宮の境内の竹を用いて熱した亀甲を「冷ました」といわれている。
力石
古くから神社・寺院で石を担いで力自慢を競っていた。
頓宮
和気清麻呂公の碑
摂社 大尾神社
神護景雲3年(769)7月11日、和気清麻呂公が弓削道鏡の事件に際して勅使として当地に参向。
「我国は開闢以来君臣の分定まれり、天津日嗣は必ず皇儲をたてよ。
無道の者は速やかに掃い除くべし」という八幡大神より御信託を受け、道鏡の野望はくじかれ皇統が守護された。
末社 護皇神社
道鏡事件の際八幡大神の神託を受け国家の危機を救った和気清麻呂を祀っている。
参拝者もなく荒れ果てた感じのある神社であるが歴史を知ると価値が出てくる。
一隅を照らすこれすなわち国宝なり。階段で息が切れたが貴重な時間を過ごすことができた。
撮影 平成25年5月18日
さらに、違う道を探してもナビは同じ道を案内しようとして、どうもうまくいかない。時間も遅くなってきたので、近くの温泉を探すことに頭を切り替えた。
ところが、車1台がやっと通れるような道を案内、木の枝が車体に当たる音が聞こえる。新車だ、やめてくれと心で叫びながら、何とか目的地に到着。
温泉の人曰く、地元の人は通らない道だそうだ。帰りはナビに逆らって、教わった広い道を通ってきたが、何度も迷って、道の駅に着いたのは夜の11時過ぎになった。
今日は昼の12時に別府駅で人と会う約束があるので午前中の時間内に1ケ所どこか行こうと考えていた。地図を見てすぐに目的地が決まった。
宇佐神宮の歴史
祭神:一の御殿 八幡大神(応神天皇)、二の御殿 比賣大神、三の御殿 神功皇后
祭神である八幡大神は応神天皇の神霊で、571年(欽明天皇の時代)に初めて宇佐の地に ご示顕になった。
725年(神亀2年)、現在の地に御殿を造立し、八幡神をお祀りされた。これが宇佐神宮の創建。
宇佐の地は畿内や出雲と同様に早くから開けたところで、神代に比売大神が宇佐嶋にご降臨されたと『日本書紀』に記されている。
比売大神様は八幡さまが現われる以前の古い神、地主神として祀られ崇敬されてきた。
八幡神が祀られた6年後の731年(天平3年)に神託により二之御殿が造立され、宇佐の国造は、比売大神をお祀りした。
三之御殿は神託により、823年(弘仁14年)に建立された。応神天皇の御母、神功皇后をお祀りしている。
八幡大神の御神徳は強く顕現し、三殿一徳のご神威は奈良東大寺大仏建立の協力や、勅使・和気清麻呂公に国のあり方を正してゆく神教を賜ったことで特に有名。
皇室も伊勢の神宮につぐ第二の宗廟としてご崇敬になり、勅祭社16社に列されている。
呉橋
寄藻川に架けられた呉橋、宇佐神宮西参道からの入口にあたるが、昭和初期まではこの通りが表参道であった。
創建年代は不詳で、中国「呉」の人が架けたと伝えられている。屋根のついた神橋は全国的に少ない。
手水舎
春宮(とうぐう)神社
応神天皇の御子神、勉学に励み寵愛されていた。学問の神。
祓所
大祓式などの祭典の祓の儀式を行う所。
宇佐鳥居
この鳥居は宇佐古来の形式をもつ鳥居として有名で、額束はなく、台輪を柱上に置いています
西大門
文禄の頃(1592年~)改築されたといわれ、国宝の本殿、勅使門などとともに宇佐神宮の景観を象徴する建物。
南中楼門(勅使門)
神宮内郭の南正門。高良大明神、阿蘇大明神の二神を御門の神としてお祀りしている。
上宮
向かって左側から、一の御殿 八幡大神(応神天皇)、二の御殿 比賣大神、三の御殿 神功皇后が祀られている。
奥に国宝の本殿があるようだが、皇室の方が2年後に来られるためシートを張って工事をしている。残念ではあるが内部は全く見えない。
近くを通った巫女さんの話では平常時でも見えないということなのであきらめがついた。
大元神社遙拝所
左手奥に見えるのが宇佐嶋とも呼ばれる御許山(馬城峰)。
宇佐神宮発祥の地として摂社大元神社が鎮座している。
祈祷殿
祈祷殿の右側に「絵画館」がある。
和気清麻呂公については名前は知っていたが、いつの時代をどう生きてきたのか、また、日本の歴史をどう動かしたのか全く知らなかった。
絵画館のすばらしい絵とその説明により、その人物像を理解することができた。
このあと、清麻呂公縁の神社に行くきっかけとなり歴史の聖蹟に立てたことは大きな喜びであった。
おみくじ
下宮
嵯峨天皇の弘仁年間(810年代)勅願によって創建され、上宮の御分神をご鎮祭になったことがきっかけで、八幡大神様・比売大神様・神功皇后様は上下御両宮のご鎮座となった。
「下宮参らにゃ片参り」と云われる所以です。
若宮神社
応神天皇の若宮、仁徳天皇とその皇子をお祀りしている。除災難・厄難の神様。
兆竹(さましだけ)
神事や豊穣、国家の大事を決するときの神意の卜占を、若宮神社の拝殿にて対馬の卜部が亀甲を焼いて行っていた。
その際、この下の宮の境内の竹を用いて熱した亀甲を「冷ました」といわれている。
力石
古くから神社・寺院で石を担いで力自慢を競っていた。
頓宮
和気清麻呂公の碑
摂社 大尾神社
神護景雲3年(769)7月11日、和気清麻呂公が弓削道鏡の事件に際して勅使として当地に参向。
「我国は開闢以来君臣の分定まれり、天津日嗣は必ず皇儲をたてよ。
無道の者は速やかに掃い除くべし」という八幡大神より御信託を受け、道鏡の野望はくじかれ皇統が守護された。
末社 護皇神社
道鏡事件の際八幡大神の神託を受け国家の危機を救った和気清麻呂を祀っている。
参拝者もなく荒れ果てた感じのある神社であるが歴史を知ると価値が出てくる。
一隅を照らすこれすなわち国宝なり。階段で息が切れたが貴重な時間を過ごすことができた。
撮影 平成25年5月18日
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