今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

皇大神宮<伊勢神宮 内宮>(三重県伊勢市宇治館町)

2013年08月07日 | 神社・仏閣
旅の最終日は伊勢神宮と決めていた。出雲大社と伊勢神宮が同時に式年遷宮が行われるという記念すべき年になるからだ。
駐車場の混雑具合も考え早い時間に駐車場に入ったが、すでに満車に近い状態で運がよかった。


神宮(伊勢神宮)の歴史
伊勢神宮は、三重県伊勢市にある神社。神社本庁の本宗とされ、正式名称は地名の付かない「神宮」である。
伊勢神宮には、太陽を神格化した天照坐皇大御神(天照大御神)を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの正宮があり、一般に皇大神宮は内宮(ないくう)、豊受大神宮は外宮(げくう)と呼ばれる。
 
内宮と外宮は離れているため、観光で内宮のみ参拝の人が多いが、まず外宮を参拝してから内宮に参拝するのが正しいとされている。

皇大神宮は通称「内宮」といい、神路山・島路山を源とする五十鈴川の川上に鎮座している。ご祭神は、天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)。
国の内に隈なく光が照り徹ると称えられる皇大御神の御神体は、八咫鏡で、八坂瓊勾玉と草薙剣を加えて三種の神器と呼ばれる。


宇治橋
内宮への入口、五十鈴川にかかる宇治橋は、日常の世界から神聖な世界へのかけ橋といわれている。
宇治橋外側の正面から見る大鳥居の姿は感動的であり、身も心も正して清浄な宮域に入る心構えの大切さを感じさせてくれる。




宇治橋は20年毎に、かけ替えられる。
宇治橋の外と内に高さ7.44mの大鳥居が立っているが、内側の鳥居は、内宮の旧正殿の棟持柱が用いられ、外側の鳥居は外宮のものがあてられる。
さらに20年たつと、内側の鳥居は鈴鹿峠のふもとの「関の追分」、外側の鳥居は桑名の「七里の渡」の鳥居となる。
ともに正殿の棟持柱となって以来、60年の勤めを果たす。




宇治橋を渡り右方向に進んでいく。



第1鳥居が見えてくる。



五十鈴川と御手洗場(みたらし)
清らかさの象徴、内宮参道の右手のゆるやかな斜面を下りていくと、元禄5年(1692年)徳川綱吉の生母、桂昌院が寄進したものといわれる石畳を敷き詰めた五十鈴川岸の御手洗場にでる。



神路山を水源とする神路川と、島路山を源とする島路川の二つの流れが、合流して五十鈴川となる。
神域の西側を流れる五十鈴川は別名「御裳濯(みもすそ)川」と呼ばれ、倭姫命(やまとひめのみこと)が御裳のすそのよごれを濯がれたことから名付けられたという伝説がある。
五十鈴川の水で心身ともに清めてから参宮。




さらに進むと第2鳥居が見えてくる。



内宮神楽殿
参道の左側、銅板葺・入母屋造の建物で、向かって右端から「神楽殿」「御饌(みけ)殿」「御神札授与所」がある。
参拝者の申し出により、神恩感謝やご祈願の御神楽の奉奏、御饌(みけ)を奉奠しての御祈祷や献金、皇大神宮の御神札(おふだ)・御守・暦・御神号軸などの授与を取り扱っている。
内宮参拝記念の御朱印もここでいただく。







正宮



垂仁天皇26年にご鎮座してから、2000年。4重の御垣に囲まれた一番奥にある正殿に、天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)が鎮座している。
唯一神明造と名付けられる建築様式の正殿はじめ付属の殿舎ならびに御垣は、20年に1度、式年遷宮の大祭を行って建て替えられてきた。
遷宮によって、2000年昔と変わらない姿を今も拝することができる。




以前、訪れたときは確か階段からは撮影禁止となっていたはずだが、写真撮影は階段右で行って下さいと書かれていた。
時代の流れでこうなったのかとその時は思っていた。




しかし、階段の右側から堂々と撮影していると「撮影禁止です」と厳しく注意された。
写真が右側から写っているのはそのような理由から。




参拝客の多くはこの木に触れていく、係の人の話しでは特に意味はないとのこと。



外幣殿



荒祭宮 

 




神楽殿の方へ戻り御朱印をいただく。






ここでも多くの参拝客が立ち止まり手を合わせていた。



宇治橋からみた風景。



おかげ横丁
比較的早い時間帯だったので通行人は少なかった。



大好きな赤福を購入。美味に満足。



撮影 平成25年5月27日

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