今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

柞原八幡宮(大分県大分市大字八幡987)

2023年08月30日 | 神社・仏閣
訪問日 令和5年5月29日

柞原八幡宮(ゆすはらはちまんぐう)
豊後国一宮
この神社を訪れる前に参拝した神社「西寒多(ささむた)神社」も同じく豊後国一宮
互いに豊後国一宮を主張していたというのも面白い



案内板の日暮門近くの駐車場を探したが、農道・林道に迷い込み酷い目にあった
この案内板の前に三度目に来たときにバイクに乗った女性に声を掛けた



近い場所に駐車場はあるが、初めてなら石段をお勧めしますと言われた



鳥居
地元の女性で毎月お参りに来ているという
20代だと思うが私のペースに合わせて歩いてくれる気持ちが嬉しい
鳥居の額には「菊の御紋」が掲げられている



南大門(重要文化財)
別名・日暮し門
この門の彫刻が素晴らしいと説明してくれた



西門(重要文化財)



私をここまで案内してくれた女性
久し振りにバイクに乗ることができたので感謝と安全祈願にきたという
この後も社殿の案内をしてくれた(感謝)



西門の彫刻



申殿(重要文化財)
西門から入ると正面に見えるのが「申殿(もうしでん)」



本殿・東宝殿・西宝殿(重要文化財)
残念ながら修復作業中であった



楼門(重要文化財)
中央の高い建物が案内図によると楼門になる



拝殿(重要文化財)
中央の小さな建物が拝殿になる



東回廊・西回廊(重要文化財)
楼門を境に東回廊・西回廊と分かれている



「獅子吼」と書かれた額
母校の寮歌に出てくる言葉で、足が止まってしまう



奉納額
回廊には多くの奉納額が掲げられている
























申殿・本殿(重要文化財)
東回廊から申殿・本殿を観る



拝殿前には若い女性が数分間手を合わせお参りをしていた



拝殿内部
天長4年(827年)延暦寺の名僧・金亀和尚が宇佐神宮の参篭にて神告を蒙り、柞原山に勧請したのを創設起源としている
祭神:応神天皇「誉田別命」(ホンダワケノミコト)
   仲哀天皇「帯中日子命」(タラシナカツヒコノミコト)
   神功皇后「息長帯比女命」(オキナガタラシヒメノミコト)



ここまで案内してくれた女性が、立ってお参りすると見えないが
座ると天狗の姿を拝めると教えてくれたので言葉に従った



大友宗麟奉納開運大太鼓



戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。キリシタン大名
洗礼名は、ドン・フランシスコ。豊後の王と称された



境内の写真
中に入ると全体像が把握できず写真整理に役だった



九州の神社の社殿配置(楼門・拝殿・申殿・本殿)は独特である



柞原八幡宮のクス(国指定 天然記念物
樹齢3000年を越えると伝えられる
伊能忠敬は全国の測量の途上で文化8年1月3日(1811年1月27日)に柞原八幡宮を訪れ
日記に「由原八幡宮境内に大楠あり周十四間」と書き残している



南大門<日暮門>(重要文化財)



日光東照宮の陽明門は いつまで見ていても見飽きないところから「日暮の門」ともよばれている



故事逸話や子供の遊び、聖人賢人など多くの彫刻がほどこされている















実際は薄暗いのだがデジカメだと鮮明に撮ることができる
目視であれば懐中電灯が必要な場所もある
























熱心にお参りをしていた女性であるが、この南大門にいたる石段に佇んでいた
私が歩くと距離をとって歩き出す



額には「由原八幡宮」
「柞原」の文字を使っていない



石段を下りると例の女性が窓を開けた赤い車に乗っていた
目が合うと笑顔で一礼して去っていった
しばらくして気付いたのだが、短い足でヨロヨロしていた老人を見守ってくれていたのだと(笑)



撮影 令和5年5月29日
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