今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

皇宮山 蚶満寺(秋田県にかほ市象潟町象潟島)

2016年06月23日 | 神社・仏閣
7・8年前の秋、酒田市の土門拳記念館に向かう途中に偶然立ち寄った寺である
持っていたカメラが急に動かなくなり、悔しい思いもあり再び訪れることになった

皇宮山 蚶満寺(かんまんじ)
駐車場に車を駐め、四方を眺めながら、往時の記憶をたどってみる



この日は「九十九島」散策後に、旧参道から山門へと向かった



参道を覆う木々の奥に山門が見てくる



山門
木造切妻造瓦葺の八脚門(12坪)。年代不詳だが江戸中期の建立と推定



この扁額、薄くて読めず受付の人に聞いて「羽海法窟」と書かれてあることを知る
その意味も聞いたはずなのに、記憶の奥底で眠っている



以前、 蚶満寺を訪れ、この山門を撮っているときに突然カメラのシャッターが反応しなくなってしまった



その時の苦い出来事を思い出しながら、慎重にシャッターを押す
 


山門から中に入る



「地震供養地蔵尊」



位牌堂






夜泣きの椿



本堂
仁寿3年(853年)に天台座主円仁(慈覚大師)の開創と伝えられる



本堂扁額「蚶満珠禅寺」
蚶方(きさかた)の美景と神功皇后の伝説によりこの地を占い、皇后山干満珠寺と号したという
 


司馬遼太郎は、『街道をゆく』でかつての同級生に会うため蚶満寺を訪れたことがある



鐘付堂



観音堂









「木登り地蔵」  木と木の間に小さな地蔵が置かれている



目視では難しいが、その部分を拡大してみると、確認することができる



「北条時頼公のつつじ」



出世稲荷堂



「タブの木」



「親鸞聖人腰掛の石」  肥前島原の西方寺にあった親鸞が腰掛けたとされる石。



安永6年(1777年)切支丹ノ変を避けるために信者が蝦夷地に輸送中、時化にあい、象潟に陸揚げしてここに納めたといわれている
腰掛けたいという衝動もあったが恐れ多くて断念



「芭蕉句碑」 元禄2年6月、俳聖松尾芭蕉が訪れて『奥の細道』のなかで、「九十九島」と呼ばれた当時の象潟の景観を絶賛している
「象潟や 雨に西施が ねぶの花」
 


「舟つなぎの石」



「西行法師の歌桜」



境内には多くの石仏が置かれている






「猿丸太夫姿見の井戸」



「紅蓮尼の碑」






袖掛地蔵堂
神功皇后が三韓征伐の帰路、大時化に遭って象潟沖合に漂着したとき、濡れた着物を乾かすため掛けたのではないか



お世話になったボランティアガイドの方から、境内では一番古いお堂との説明を受けた



藤の花が咲いているので見ていったらいいと案内された。曲がりくねった枝の先に…



美しい花が咲いている



閉門時間の午後5時。居心地が良い寺でつい長居をしてしまった



近くに温泉付の道の駅もでき、便利になった
受付の女性、ガイドの男性の郷土愛溢れる親切な対応はすばらしい。また、訪れることになるだろう



撮影 平成28年5月15日

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