今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

居合神社(山形県村山市林崎85)

2024年04月16日 | 神社・仏閣
訪問日 令和5年10月17日

この神社を訪れる前夜、車中でパソコンを開きながらダラダラしていた
その時、高校時代に部活動でご指導頂いた恩師から突然Facebookの友達申請の連絡があった
反射的に背筋が伸び両手は膝の上にのっていた(一瞬高校生に戻っていた)

居合神社
その恩師が現在、居合道の師範をされていると高校時代の友人から聞いていた
翌朝になり、居合道について気になったため、調べていくうちに「居合神社」があることを知った
この日は宮城県の道の駅にいたが、仙台市を経由して向かうことにした



鳥居の額には「熊野 居合両神社」
古くは熊野明神、林崎明神とも呼ばれていた



社号標
社号標には「日本一社 居合神社」と刻まれている
居合道発祥の地として全国で唯一の「居合神社」である



狛犬






手水舎



由緒・沿革



拝殿



額には「林崎大明神」



いつものように、隙間からレンズを入れて様子をうかがう



拝殿内部



額には「居合神社」と書いているのか(自信がない)



室町時代から、居合道の始祖「林崎甚助重信」が祀られている
毎年、境内にて居合を中心とした奉納演武が行われている
様々な流派・団体から沢山の方が全国から参加しているという



幣殿・本殿
居合道の祖林崎甚助重信という人物だが、天文11年(1542年)現在の山形県村山市林崎に生まれる
幼少の頃に父が暗殺され、父の仇を討つために剣術の稽古に励む
弘治2年(1556年)に林崎明神に百日参篭 して抜刀の神伝を授かる
※神憑り状態 になったと伝えられている



本殿
永禄2年(1559年) 元服して林崎甚助重信と名を改め仇討ちの旅に出る
永禄4年(1561年)19歳の時、京都にて仇討ちを果たして帰郷
愛刀であった 「信国」を林崎明神に奉納する
「信国」は三尺三寸 (99.99cm)と云われている。通常は2尺4寸 (75.75cm)くらいが一般的であるから、長い刀であった



永禄5年(1562年)母が病により亡くし、重信は再び剣を抱いて旅に出る
この後、 重信は日本全国を旅しながら多くの門弟を育て、居合術を広く伝えていった
その途中で加藤清正に招かれ加藤家の家臣を指南したとも伝えられる



塚原卜伝より「鹿島新当流最高秘伝天下第一之剣」、卜伝一之太刀を授かる
晩年は山形に住み慶長年間に故郷で没したとしている

現在は生まれ育った山形県村山市にある熊野居合両神社 (通称:居合神社) に祀られている



石碑・顕彰碑
「居合大神 林崎甚助源重信公」



各流派












竹駒稲荷神社












意外な人物の名前が……
調べて見ると「全日本居合道連盟」の初代会長が内閣総理大臣 池田勇人だった



高校生活、大学進学や就職と恩師には大変お世話になり多大なる影響を受けてきた
この神社を訪れることができたのも恩師の導きであると考えている(感謝)

撮影 令和5年10月17日

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