コメントのやりとりだけにしておくのは勿体ないと思うので、また記事にさせていただく。
まず、昨日の私のnanakagoさんへの下記のコメント返しに
nanakagoさんへ (biko)
2017-10-21 11:01:12
nanakagoさんのブログのコメント返しも読ませていただきました。
難聴であられるのにお仕事続けていらっしゃること尊敬します。
こういう障害はパートなどのほうがより厳しいと思います。
私は上の二人の子供が小学生のころ、障碍者枠で大きな会社に勤めました。
そういうところは最初から障害があることを条件に採用していますから配慮もありました。
が、第三子の次男出産のため退職し、その後、パートの仕事を探したのでしたが、難聴だというと、どこも雇ってくれませんでした。
そういう意味で、難聴者にはパートの仕事こそ大変ということを肝に銘じました。
お仕事のあることはお幸せなことと思いますが、でも、あまり無理なさらないでくださいね。
一番大事なことは自分を労わってあげることだと思います。自分を愛してあげることだと思います。
聞こえないと、自己評価を下げがちになりますが、だからこそ、自分を愛しんでやることが大事だと思うのです。
ーーーーーーーーーーーーーー
に対して、
mamakagoさんから再度コメントいただきました。
いただいたmamakagoさんの再コメント
今朝、出勤の電車の中でbikoさんのコメントを読んで泣きそうになりました。
自分を愛してあげること…
わたしは若い頃は不幸は不幸を呼ぶような人にしか起こらないと信じていたような人間でした。
苦労知らずな。しかも想像力の乏しい自分勝手な。
だから全然他人に優しくない人間でした。
そんなとき、次から次へといろいろ苦労が重なってきました。そして年と共に少しは人並みな優しさも身に付いて来たかと思っていたのに、この難聴になりました。
少しは人に優しくしていきたいと思っていたのに、それからはそんな余裕などなくなってしまいました。
そうです、普通の健聴者と同じようにしなければと無理をしていたんですね。
回りを気にすればするほど
その隙間がどんどん広がったのは、わたしの見栄と自分否定にありました。
だからbikoさんのコメントを読んで涙が出そうになったのだと思います。
もう無理をしないで自分を労ることにしよう!
そう肩を押されたような気がして今日は
出勤しました。お陰で
落ち着いて仕事に挑むことができ、多忙な一日でしたが、心の疲労感は無かったです。
同じように悩み苦しみ分かってくださる方がいると分かっただけでこんなに勇気が出るのですね!
同僚に同じ程度の難聴の人がいますが、お互い心を割って話せません。わたしは弱みを見せることが出来ません。
少し距離をおいて、ああ彼女も頑張っているのだなと見ています。
そんな関係です。
こんな風にここでお話しするように語れません。
不思議ですね、bikoさんとは、お会いしたこともないのに。
でも、とても伝わってきましたよ!
bikoさんはわたしの先を歩んでいらっしゃり、大変な思いをされて来られたのですね…
だからbikoさんは深く分かってくださるのだと。
台風が接近しての悪天候、耳が塞がったり耳鳴りが爆音で困ります。
でも今夜は心穏やかに眠れそうです。
ありがとございました。
どうかbikoさんも良い睡眠がとれますように…
おやすみなさい。
ーーーーーーーーーーーーーーー
に対して、
nanakagoさんへ
いいえ、私こそ見栄っ張りで、そのために今でも苦労しています。
ただ難聴だけは、もう隠しようがないほど進行してしまったから、開き直れたのだと思います。
そういう意味では、ドン底に落ちるのも、一つの救いになるのかもと思ったりします。
難聴の軽かった若い頃は、聴覚障碍者って恰好悪いと、自分が難聴であることを隠しまくっていました。
が、そうして隠そうとすることは自分を認めないということにもなるのですね。
大阪に住んでいたころ、同じ聴覚障碍者である短歌の友人に大阪難聴者の会を紹介されたのでしたが、プライドの高い私は、その会に参加する自分が認められなくて、結局脱退してしまいました。
皆さん、温かく迎えてくださっていたのに・・・。
今から考えると、本当に申し訳ないことをしたと思います。
しかし、そうやって聴覚障害であることを否定している間は、自分自身を否定していることになるのですね。
いま現在でも、そういう面がまったくないというと嘘になりますが、しかし、ここまで落ち切ってしまうと、もう隠しようもありませんから、認めざるを得ません。
nanakagoさんは、まだ私よりはだいぶん軽そうでいらっしゃるから、私よりずっと葛藤は強いだろうとお察しします。
でも、人生には落ち切った安らぎっていうものもあるんですね。
そのことにやっと最近気づきました。
また年齢も重ねたから、難聴であるから恥ずかしいとかいう気持ちも弱まったと思います。
これは長く生きてきた特典かとも思います。
私も来年は70歳になります。
長寿の方から見ると、まだまだ若手の部類かもしれませんが、しかし、この年齢になると、難聴にしろ何にしろ、障害のあることが恥ずかしいなんてことは決してないと悟れます。
余談ですが、私の長男の長女は脳性麻痺で生まれました。
最初は、長男夫婦のみならず、私どもも大変な衝撃でありましたが、しかし、育てているうちに、この孫の笑顔の可愛さに、最初の衝撃など、どこかに消えてしまいました。
あるがままの姿でいいのだと、この孫に教えてもらえたような気がしています。
まして聴覚障害などは、ひとつの個性くらいに考えてもいいかとまで思えるようになったのです。
難聴者をバカにする人は世間にごまんといるかもしれませんが、そんな人たちこそ、実は気の毒な人たちであるかもしれません。
私も、かつては、その気の毒な人であったかもしれませんが、現在では、この難聴を、私の個性と捉えています。
とは言っても、現実は、いまだにその不便をかこっていますが・・・。
とにかく大事なことは、そんな自分をも含めて自分を愛してやることだと思います。
自分を愛することのできない人間は人をも愛することができません。
まず自分をとことん愛してやりましょう。
以上、自戒を込めて。
まず、昨日の私のnanakagoさんへの下記のコメント返しに
nanakagoさんへ (biko)
2017-10-21 11:01:12
nanakagoさんのブログのコメント返しも読ませていただきました。
難聴であられるのにお仕事続けていらっしゃること尊敬します。
こういう障害はパートなどのほうがより厳しいと思います。
私は上の二人の子供が小学生のころ、障碍者枠で大きな会社に勤めました。
そういうところは最初から障害があることを条件に採用していますから配慮もありました。
が、第三子の次男出産のため退職し、その後、パートの仕事を探したのでしたが、難聴だというと、どこも雇ってくれませんでした。
そういう意味で、難聴者にはパートの仕事こそ大変ということを肝に銘じました。
お仕事のあることはお幸せなことと思いますが、でも、あまり無理なさらないでくださいね。
一番大事なことは自分を労わってあげることだと思います。自分を愛してあげることだと思います。
聞こえないと、自己評価を下げがちになりますが、だからこそ、自分を愛しんでやることが大事だと思うのです。
ーーーーーーーーーーーーーー
に対して、
mamakagoさんから再度コメントいただきました。
いただいたmamakagoさんの再コメント
今朝、出勤の電車の中でbikoさんのコメントを読んで泣きそうになりました。
自分を愛してあげること…
わたしは若い頃は不幸は不幸を呼ぶような人にしか起こらないと信じていたような人間でした。
苦労知らずな。しかも想像力の乏しい自分勝手な。
だから全然他人に優しくない人間でした。
そんなとき、次から次へといろいろ苦労が重なってきました。そして年と共に少しは人並みな優しさも身に付いて来たかと思っていたのに、この難聴になりました。
少しは人に優しくしていきたいと思っていたのに、それからはそんな余裕などなくなってしまいました。
そうです、普通の健聴者と同じようにしなければと無理をしていたんですね。
回りを気にすればするほど
その隙間がどんどん広がったのは、わたしの見栄と自分否定にありました。
だからbikoさんのコメントを読んで涙が出そうになったのだと思います。
もう無理をしないで自分を労ることにしよう!
そう肩を押されたような気がして今日は
出勤しました。お陰で
落ち着いて仕事に挑むことができ、多忙な一日でしたが、心の疲労感は無かったです。
同じように悩み苦しみ分かってくださる方がいると分かっただけでこんなに勇気が出るのですね!
同僚に同じ程度の難聴の人がいますが、お互い心を割って話せません。わたしは弱みを見せることが出来ません。
少し距離をおいて、ああ彼女も頑張っているのだなと見ています。
そんな関係です。
こんな風にここでお話しするように語れません。
不思議ですね、bikoさんとは、お会いしたこともないのに。
でも、とても伝わってきましたよ!
bikoさんはわたしの先を歩んでいらっしゃり、大変な思いをされて来られたのですね…
だからbikoさんは深く分かってくださるのだと。
台風が接近しての悪天候、耳が塞がったり耳鳴りが爆音で困ります。
でも今夜は心穏やかに眠れそうです。
ありがとございました。
どうかbikoさんも良い睡眠がとれますように…
おやすみなさい。
ーーーーーーーーーーーーーーー
に対して、
nanakagoさんへ
いいえ、私こそ見栄っ張りで、そのために今でも苦労しています。
ただ難聴だけは、もう隠しようがないほど進行してしまったから、開き直れたのだと思います。
そういう意味では、ドン底に落ちるのも、一つの救いになるのかもと思ったりします。
難聴の軽かった若い頃は、聴覚障碍者って恰好悪いと、自分が難聴であることを隠しまくっていました。
が、そうして隠そうとすることは自分を認めないということにもなるのですね。
大阪に住んでいたころ、同じ聴覚障碍者である短歌の友人に大阪難聴者の会を紹介されたのでしたが、プライドの高い私は、その会に参加する自分が認められなくて、結局脱退してしまいました。
皆さん、温かく迎えてくださっていたのに・・・。
今から考えると、本当に申し訳ないことをしたと思います。
しかし、そうやって聴覚障害であることを否定している間は、自分自身を否定していることになるのですね。
いま現在でも、そういう面がまったくないというと嘘になりますが、しかし、ここまで落ち切ってしまうと、もう隠しようもありませんから、認めざるを得ません。
nanakagoさんは、まだ私よりはだいぶん軽そうでいらっしゃるから、私よりずっと葛藤は強いだろうとお察しします。
でも、人生には落ち切った安らぎっていうものもあるんですね。
そのことにやっと最近気づきました。
また年齢も重ねたから、難聴であるから恥ずかしいとかいう気持ちも弱まったと思います。
これは長く生きてきた特典かとも思います。
私も来年は70歳になります。
長寿の方から見ると、まだまだ若手の部類かもしれませんが、しかし、この年齢になると、難聴にしろ何にしろ、障害のあることが恥ずかしいなんてことは決してないと悟れます。
余談ですが、私の長男の長女は脳性麻痺で生まれました。
最初は、長男夫婦のみならず、私どもも大変な衝撃でありましたが、しかし、育てているうちに、この孫の笑顔の可愛さに、最初の衝撃など、どこかに消えてしまいました。
あるがままの姿でいいのだと、この孫に教えてもらえたような気がしています。
まして聴覚障害などは、ひとつの個性くらいに考えてもいいかとまで思えるようになったのです。
難聴者をバカにする人は世間にごまんといるかもしれませんが、そんな人たちこそ、実は気の毒な人たちであるかもしれません。
私も、かつては、その気の毒な人であったかもしれませんが、現在では、この難聴を、私の個性と捉えています。
とは言っても、現実は、いまだにその不便をかこっていますが・・・。
とにかく大事なことは、そんな自分をも含めて自分を愛してやることだと思います。
自分を愛することのできない人間は人をも愛することができません。
まず自分をとことん愛してやりましょう。
以上、自戒を込めて。
*
難聴がなんだ誰でも歳取れば難聴になる足萎えになる
聞こえない文化はありて手話をする人は両手で花を咲かせる
人よりも聞こえないとふ個性もて生き続けなむ命の限り
聞かなくてよいことかもと思ほへるわたしの耳に聞こえぬそれら
聞こえない耳もて人に相対し目で見てその人確かめ愛す
いつしらに人を見る目は常永久(とことは)に研ぎ澄まされてわれら神様
苦労することで近づく神様の境地けふより明日へ明日より明後日