堀詰めというところから大橋通↑の前まで歩いてきた。ピンボケだが、アーケード街がお分かりいただけるだろうか。相変わらず雨が降り続けている。
大橋通アーケード街を北に抜ければ私の母校がある。
が。左折して、それとは逆の南向きに歩く。
昔、ここらあたりは片町と呼ばれる街であったらしい。看板があった。
↓天神橋のたもとに到着。
この橋を渡れば、筆山の麓に菅原道真の令息、菅原高見さんの潮江天満宮がある。
↓橋のたもとに、また昔の町名を書いた看板が。
朝鮮から連れてきた人たちを住まわせていたから、西唐人町と呼ばれていたらしい。
↓橋のたもとから見る鏡川。
↓ここを右折すると築屋敷(つきやしき)というお金持ちの屋敷が並ぶ鏡川沿いの町になる。
↓今日の集まりが開催される「臨水」という料亭もこの中にあった。
「臨水」の前にタクシーが停まった。よく見えないが昔の仲間達だろう。
↓「臨水」の前の鏡川は、文字通り、鏡のようだ。川向こうの山は山内家の墓所がある筆山。
↓暗くなる前に、もう一度「臨水」を撮影。左側の高い建物は三翠園ホテル。
このあと、「臨水」の建物の中に入った。
大橋通アーケード街を北に抜ければ私の母校がある。
が。左折して、それとは逆の南向きに歩く。
昔、ここらあたりは片町と呼ばれる街であったらしい。看板があった。
↓天神橋のたもとに到着。
この橋を渡れば、筆山の麓に菅原道真の令息、菅原高見さんの潮江天満宮がある。
↓橋のたもとに、また昔の町名を書いた看板が。
朝鮮から連れてきた人たちを住まわせていたから、西唐人町と呼ばれていたらしい。
↓橋のたもとから見る鏡川。
↓ここを右折すると築屋敷(つきやしき)というお金持ちの屋敷が並ぶ鏡川沿いの町になる。
↓今日の集まりが開催される「臨水」という料亭もこの中にあった。
「臨水」の前にタクシーが停まった。よく見えないが昔の仲間達だろう。
↓「臨水」の前の鏡川は、文字通り、鏡のようだ。川向こうの山は山内家の墓所がある筆山。
↓暗くなる前に、もう一度「臨水」を撮影。左側の高い建物は三翠園ホテル。
このあと、「臨水」の建物の中に入った。
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