神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

日本の暗い未来~高齢化にどう立ち向かうか

2015年12月16日 17時10分01秒 | 私の意見
我が家は新聞は購読しているが、私は最近はほとんど読まない。というより読む時間が取れない。

が、水曜日の曽野綾子さんのエッセイ「透明な歳月の光」だけは逃さずに読むようにしている。

私より一回り上の年代の曽野さんのものの見方、考え方は、とても参考になる。

今日のエッセイのタイトルは「日本の暗い未来」。

今後深刻になるであろう高齢化社会の介護問題に対しての意見と、最近の日本の様々な分野における無責任工事の行く末を心配しておられる。

さしづめ私の考えさせられたことは、今後われわれシニアは、どのように高齢化社会に立ち向かっていくかということ。

どんなに立派なことを言っていても、老後は万人に等しく訪れる。

元気なときには何とでもいえる老後のことだが、実際自分の足腰が立たなくなったとき、どうすればいいか考えている人はどれだけいるだろうか。

若い者の世話にならないと偉そうなことを言っていても、足腰が立たなくなったら、世話にならざるを得ない。

私の卑近な例では、姑はおしゃれで毒舌家の一面があったが、認知症になってからは人が変わったようになった。

元気な頃は私に意地悪を言い放題だったが、認知症になってからは私の姿を追いかけまわす幼子のようになった。

私はそんな姑の姿を見て来たから、お嫁さんたちには絶対意地悪は言わないように心がけている。

既に難聴という弱点をもった私は、お嫁さんたちだけではなく、人に意地悪はできない境遇である。

これは、ある意味、幸いなことであるかもしれない。

実家の母も、長女で生れて、一族のことは何でも自分が決めてきた人だったが、それが年取ってからも、相変わらず采配を振るおうとするから問題が起こる。

自分でも不本意だろうと思うが、振り回される周りもたまったものではない。

それでも、姑は最後まで足腰が立ったから、下の世話が要らなかった。現在の実家の母も同様である。

これが、下の世話までしてもらわなければならなくなるとすれば、私は安楽死をさせてほしいと思う。

曽野綾子さんも、介護の一番の難儀は下の世話だと書かれている。

慰問で、コーラスを聞かせたり、踊りを見せたりすることよりも、当たり前のことだが、介護で重要なことは下の世話だそう。

人は生れてオムツの世話になり、死ぬ前にまたオムツの世話になる。

赤ん坊の頃のオムツの世話は親が喜んでしてくれるが、年取った親のオムツの世話は子供には迷惑だ。

  始まりも終わりもオムツであることの人の一生(ひとよ)はひたすら哀し  biko

最近の公共工事などの杜撰さに対しては、もっと子供の頃からの人間教育に力を注ぐべきだろう。

そのためには、われわれシニアも一肌脱いだほうがいいかもしれない。

日本最初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹などは、幼い頃に、お祖父さんが論語の素読とかしてくれたとか。

それをするためには、まずわれわれシニアが勉強をしてからという泥縄的な状況になりそうだが・・・。

金権社会に成り下がっている日本は、もっと日本人としての誇りを取り戻さなければならないと思う。

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