実家の母は、年末から腰椎骨折で入院中である。
これは怪我をしてなる骨折ではなく、年取ると骨粗鬆症になり、自然になる骨折であるらしい。
それで、病院からしばしば電話をしてくるのだが、私は電話を聞くことができないので、夫が受けることになる。
そのとき、いつも一番に言うことは「bikoは元気?」なのだそう。
心配してくれるのは嬉しいが、しかし、私は母のことが心配である。
何でも兄嫁のメールによると、私達が今月帰省することを当てにして、いろいろ計画しているらしいのだが、主治医の先生のお話では、「現在、背骨の2番目の骨がつぶれていて、12月末からの治療で痛みは取れたようですが、これからが大事な時期なので、春まではあまり動かないでいてもらいたい」とのこと。
さらに「今動かれると、次の骨折につながるそうで、次は大腿骨、足にくる」のだそう。
それなのに、母は、こちらには、「先生から退院の許可がおりたから、帰省したら退院の荷物を運んでほしい」と言ってくる。
兄嫁の話とは違う。
母は、昨年末には、我が家に鰹たたき、干物、芋けんぴなど、次々と送ってきてくれた。
私は91歳になっても呆けもしないで大したものだと思ったのであるが、入院してからは少し様子が変だ。
認知症になっているのではないだろうか。
一昨日、母校の後輩のブログを読ませていただくと、「計算ばあちゃん」という記事があって、ケアホームで日がな計算ばかりしているお婆さんのことが書かれてあった。
そのお婆さんは、皆が歌を歌っているときなども、独り計算をしているのだそう。
複雑な計算も間違えないでするというから、計算能力は呆けていないのだろう。
しかし、全体的に見て、他の人たちが楽しんでいるときにも計算ばかりしているという、そのこと自体が変である。
私の母も、未だに大学や高校に生け花を教えに行っている。家の片付けなど一切できないのに・・・。
「頑張っていますねえ」というと褒め言葉だが、しかし、少し変ではなかろうか。
母は電話のたびに私のことを心配してくれるらしいが、私は母のことが心配だ。
母は、認知症になっているかもしれないのに、体の弱い娘の私のことが未だに心配でならないようだが・・・。
心配をされる私は心配す母は認知症ではないかと biko
これは怪我をしてなる骨折ではなく、年取ると骨粗鬆症になり、自然になる骨折であるらしい。
それで、病院からしばしば電話をしてくるのだが、私は電話を聞くことができないので、夫が受けることになる。
そのとき、いつも一番に言うことは「bikoは元気?」なのだそう。
心配してくれるのは嬉しいが、しかし、私は母のことが心配である。
何でも兄嫁のメールによると、私達が今月帰省することを当てにして、いろいろ計画しているらしいのだが、主治医の先生のお話では、「現在、背骨の2番目の骨がつぶれていて、12月末からの治療で痛みは取れたようですが、これからが大事な時期なので、春まではあまり動かないでいてもらいたい」とのこと。
さらに「今動かれると、次の骨折につながるそうで、次は大腿骨、足にくる」のだそう。
それなのに、母は、こちらには、「先生から退院の許可がおりたから、帰省したら退院の荷物を運んでほしい」と言ってくる。
兄嫁の話とは違う。
母は、昨年末には、我が家に鰹たたき、干物、芋けんぴなど、次々と送ってきてくれた。
私は91歳になっても呆けもしないで大したものだと思ったのであるが、入院してからは少し様子が変だ。
認知症になっているのではないだろうか。
一昨日、母校の後輩のブログを読ませていただくと、「計算ばあちゃん」という記事があって、ケアホームで日がな計算ばかりしているお婆さんのことが書かれてあった。
そのお婆さんは、皆が歌を歌っているときなども、独り計算をしているのだそう。
複雑な計算も間違えないでするというから、計算能力は呆けていないのだろう。
しかし、全体的に見て、他の人たちが楽しんでいるときにも計算ばかりしているという、そのこと自体が変である。
私の母も、未だに大学や高校に生け花を教えに行っている。家の片付けなど一切できないのに・・・。
「頑張っていますねえ」というと褒め言葉だが、しかし、少し変ではなかろうか。
母は電話のたびに私のことを心配してくれるらしいが、私は母のことが心配だ。
母は、認知症になっているかもしれないのに、体の弱い娘の私のことが未だに心配でならないようだが・・・。
心配をされる私は心配す母は認知症ではないかと biko
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