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神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

芥川賞

2013年01月23日 05時07分30秒 | 
第148回芥川賞は75歳の黒田夏子さんに決定というニュースを見て、本当に嬉しかった。

まだ読ませてもらっていないが、今度図書館に行ったときに読ませてもらうことにしよう。

最近は、この芥川賞に限らず、私のやっている短歌の世界でも、若手の活躍ばかりが目立って、少し寂しい思いがしていたので、75歳で受賞された黒田夏子さんの快挙には心からの拍手を送りたいと思う。

芥川賞ではないが、一昨日長男の家に行った折、この芥川賞が掲載されている『文芸春秋』と同じ出版社から出ている『オール読み物』という雑誌の新人賞を、長男が以前勤務していた住宅メーカーの同僚が受賞したという記事を見せてもらった。

長男と同期入社で同じ設計部門に所属していて、ときどきお名前も耳にしていた人なので、とても身近に感じる。

こちらも、まだ読ませてもらってはいないが、黒田さん受賞に負けず劣らず嬉しく思った。

私も、ときどき短歌の賞に応募しているのだが、なかなか上位には食い込めないので、投げ出したくなるときもあるが、お2人を見習って、コツコツ続けていこうと思い直した。

テネシーワルツ

2013年01月04日 06時19分48秒 | 


Tennessee Waltz         テネシーワルツ (訳詞: ゆうこ)

I was dancin' with my darlin'          わたしは 彼と 踊っていた
To the Tennessee Waltz            テネシーワルツの 曲にあわせて
When an old friend I happened to see   そして ばったり 旧友に出会い
I introduced her to my loved one       彼女を 彼に 紹介した
And while they were dancing         すると 二人は 踊りだし
My friend stole my sweetheart from me   わたしは 彼を 盗られてしまった

I remember the night              思い出す あの夜のこと
And the Tennessee Waltz           そしてあの テネシーワルツ
Now I know just how much I have lost   今になってわかる 失ったものの大きさが

Yes, I lost my little darlin'            そう わたしは 彼を失った
The night they were playin'           そのとき 流れていた曲は
The beautiful Tennessee Waltz        あの美しい テネシーワルツ

I remember the night              思い出す あの夜のこと
And the Tennessee Waltz           そしてあの テネシーワルツ
Now I know just how much I have lost   今になってわかる 失ったものの大きさが

Yes, I lost my little darlin'            そう わたしは 彼を失った
The night they were playin'           そのとき 流れていた曲は
The beautiful Tennessee Waltz        あの美しい テネシーワルツ

”テネシーワルツ”のパティ・ペイジが亡くなったという。

”テネシーワルツ”は、幼いころに子守唄のように巷でよく聞いた歌だ。

われわれの親の世代の若い頃の歌といってもいいかもしれない。

この歌は、曲を聞くだけでも何かしら胸がキュンとなってしまうが、長じて歌詞を知るに及んで、より心に響く歌になった。

私は、若い頃は内気だったのと、親がそういうことには厳しかったので、恋愛らしいこともしないまま結婚してしまった。

中高校時代は、女子校だったこともあって、異性と知り合うきっかけはなかった。が、夏休みなどに兄の友人達が訪ねてきたときなどに、自室に隠れていたけれど、胸をときめかすことはあった。

短大のときも、銀行に勤めていたころも、ひそかな片思いはしたけれど、それ以上のことはなかった。

私は、親に従順な娘であったので、結婚は、お見合いしか許されないと思いこんでいた。また、おとなしく地味な娘だったので、異性の目を引くということもあまりなかった、と思う。

だから、この歌のように恋人を奪われるというところまでもいかなかった。

恋愛結婚だけが幸せになれる結婚というわけではないとは思うが、現在も私の中には永遠の憧れとして恋愛はある。

年賀状

2013年01月01日 17時56分12秒 | 
年賀欠礼を出していたのに、年賀状が30枚ほど届いた。

夫宛てがほとんどだが、私宛てのも4枚あった。

うれしかった。だから撮影した(笑)。

まだ届くと思う。年末に、「年賀状出してしまった。ゴメン」というメールをくださった方もあったから(笑)。

ところで、明日は次男がくるというので今からおせち料理を作る。いや、主なものは31日に作ったのだが、若者向けのは作っていなかったから。こういうとき元旦からスーパーが開いているのは有り難い。

独身の次男は、お正月は、さすがに一人でいるのは寂しいのだろう。

明日は、たっぷり”おふくろの味”を食べさせてやらなくては!

七慢

2012年12月27日 10時35分41秒 | 
       人には七慢があるという。すなわち、

1慢(まん)・・・・・・・・・人を馬鹿にする心

2過慢(かまん)・・・・・・・同じ程度なのに、自分のほうが優れていると思う心

3慢過慢(まんかまん)・・・・相手のほうが明らかに自分より優れているのに認めない心

4我慢(がまん)・・・・・・・自分の間違いに気付きながら、むりやり自分の意見を押し通す心

5増上慢(ぞうじょうまん)・・悟りを開いていないのに、悟ったと自惚れている心

6卑下慢(ひげまん)・・・・・卑下しながら、どうだこんなに謙虚な人間はいないだろうと思う心

7邪慢(じゃまん)・・・・・・自慢にならないことを自慢する心



      結局、どんな人も、自分のこととなると

      偉そうにしていても、謙虚そうにしていても、

      自惚れ心から離れ切れないということらしいです。

薬を忘れて

2012年12月25日 07時34分52秒 | 
夫が徳島に出張中なので、昨日は近江八幡の観光をして、その後長男の家に泊めてもらうはずだった。

なのに、夕食後、心臓の薬を忘れてきたことに気付き、夕食後の分はともかく、朝食後に飲むべき薬は、飲み忘れると命に関わる薬なので、もう既に午後9時過ぎだったが、帰ることにした。

新快速の電車で片道1時間半、川西池田の駅前からはタクシーで帰ったが、昼間歩き回って疲れていたので、やっと帰り着いたという感じだった。

心臓の薬は、これまで必ずハンドバッグに予備を入れていたのに、心臓の手術をして9年あまり、最近、馴れて気が緩んでいたのか、昨日は荷造りをする際もうっかりしていた。

本当は、今日も近江八幡の観光の続きをしようと思っていたのだが、まあ、仕方ない。

近江八幡は、今まで何回か行っていて、長男に車でめぼしいところは案内してもらっている。しかし、この由緒ある町を自分の足で歩いて味わいたかった。

夫と車で行くと長男の家だけで帰ってくることになりがちなので、昨日は、一人で電車で行き、歩いて観光したのだった。

その目的は達したので、まあよしとしよう。自己満足かもしれないが、ブログで街の一部の案内もできたので・・・。

運動会

2012年10月07日 22時27分27秒 | 
今日は、地区の運動会であった。

今年は班長をしているわけではないが、班長をしているお向かいさんに、「嫁いだ娘の出産予定日と重なっているので、お昼のお弁当を配るのを替わりにやってほしい」と頼まれていたので、お昼前に会場の小学校に出向いた。

だいぶん暑さは和らいだといっても、まだ晴天の日中は暑い。

暑さには、からきし弱い私なので、正午になるまで校庭の隅の木陰で運動会を眺めていた。

すると、私と同じように、木陰で運動会を眺めていたお婆さんが話しかけてきた。私は、若い女性の高音の声は聞き取りにくいが、お年寄りの低音の声は比較的聞き取りやすい。それでも、運動会の、うるさい拡声器の合間を縫って話をしたのだが、大正13年生まれで当年88歳だといわれる。私の実家の母より一つ年上だ。なのに、未だに一人暮らしで自活していられるという。

「それは偉い。ところでご家族は?」とお聞きすると、「電車で3駅のところに息子夫婦が住んでいます」といわれる。そして、「息子の嫁さんは、とてもよくできた人です」とおっしゃる。

「じゃ、なぜ一緒に暮らされないのですか?」とお聞きしたかったのだが、聞かぬが花と思って止めた。

別々に暮らしているからこそ互いに尊敬しあうことができるけれども、一緒に暮らすようになったが最後、きれいごとだけではすまされない部分が出てきがちだということを、そのお婆さんは解っていられるから同居されないのだと思う。

お名前もお聞きせずにお別れしたが、ああいう運動会の場であったから会話できたのであって、ふだん道で会っでも会話する機会は得られないだろう。そう考えると、ああいう場に行くのもそれなりにいいものだと思った。それは、その一人暮らしのお婆さんにとっても、そして、これから、ぼちぼち本格的に老人の仲間入りをさせていただく私にとっても・・・。

真夜中の散歩

2012年09月19日 04時56分19秒 | 
最近、夜中に蒸し暑くて目覚めることが多い。目覚めたついでにブログに日記を書いたりしているのだが、さらに、そのついでに散歩することもある。真夜中の散歩だ。

誰かに会うということは、まず考えられないので、めがねも補聴器も外して、裸で歩く。

あ、服は着ているのだが、装着を外していくのだ。そうすると、ふだん見慣れているはずの近所の様子が夢の続きのように思える。ご近所の家の黒い輪郭、それぞれの庭の木々の黒い輪郭などを眺めながら歩いていると、思索に没頭することができる。

京都に、西田幾太郎が名づけた「哲学の道」という道があるが、私の、この夜中の散歩は、哲学の散歩かもしれないなどと思いながら、歩いている。いや、思索する内容は、西田幾太郎とは「月とすっぽん」であることは、もとより承知である。(苦笑)

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と、この真夜中の散歩のことを夫に自慢して話すと、叱られてしまった。「危ない!」と。(^^;

般若心経

2012年06月10日 08時44分30秒 | 
この5月11日に亡くなった義母は、49日が過ぎるまでは中陰で、まだこの世と彼の世をさまよっているらしいから、私は折をみて般若心経を上げている。

以前、ものの本で、お経を上げるのは、仏様のためではなく、実は、この世に遺されたわれわれのためという下りを読んだ記憶がある。

般若心経は、音読と訓読とで上げているが、たしかに訓読のほうを上げていると、そのことを実感する。

たとえば、次のようなことが書かれている。

「人は私や私の魂というものが存在すると思っているけれど、実際に存在するのは体、感覚、イメージ、感情、思考という一連の知覚・反応を構成する5つの集合体(五蘊)であり、そのどれもが私ではないし、私に属するものでもないし、またそれらの他に私があるわけでもないのだから、結局どこにも私などというものは存在しないのだ。しかもそれら5つの要素も幻のように実体がないのだと。」

読み上げているうちに、お釈迦様が私に言い聞かせてくださっているように感じる。