自遊空間、 ぶらぶら歩き。

日々見たこと、聞いたこと、読んだこと、考えたこと

ルミナリエの消灯

2004-12-27 | 社会・時事
毎年見続けている神戸ルミナリエの灯り。
10回目の今年、初めて最終日の消灯に立ち会った。

子どもたちの『しあわせ運べるように』の歌声のあと、
鎮魂の歌が流れ、2週間点り続けた灯りが消えた。

タメ息とも小さな悲鳴ともつかない声があがった。
真ん丸の月の光が鮮やかになった。


家にもどると、インド洋での津波のニュース。
なんで、また……。
これでもか、というように人が亡くなっていく。





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落 日

2004-12-27 | 社会・時事
運命が変わったりする ダイエーのアルバイト

ダイエーのある店舗に掲げられていた結構大きいタレ幕に書かれていたアルバイト募集のキャッチフレーズだ。
本文を読むと、ここで働くと新しい出会いがある。いろいろな世代とのつながりがある。学校では学ぶことのできない「商売」のおもしろさを知ることができる。……云々とある。

でも、ビジュアルは若い男女が向かい合い、見つめ合っているのだ。古いっ!ここで彼氏、彼女を見つけようみたいな感じだ。
なんだかなぁ。ダイエーに入ったことで運命変わっちゃいそうな人が多い今、時期にそぐわないのでは?
ある種ブラックユーモアか?
なんといっても、創業者まで運命変わってしまうのだから。

ダイエーの創業者、中内功さんが残った最後の名誉職「ファウンダー」も退任して、保有する株式、田園調布の美術館と見まがうような大豪邸、芦屋六麓荘のお屋敷、マンションなど個人資産を処分してダイエー再建に充てるそうだ。どうも焼け石に水のようなんだけれど、親族名義に変更して、財産を何が何でも守ろうとする人が多い中、さすが大人物だ。

ダイエーが自主再建を断念したのには経営陣に問題があったのだとは思うが、国や銀行の動きを見ていると判官びいきしたくなる。ダイエーの発祥地は神戸だし、震災・復興をともに闘ってきた同志のような気もする。

忘れられないシーンがある。阪神淡路大震災で私の住む地域はまさしく孤島になった。震災後すぐ再開したダイエーに入るための長蛇の列におそれをなして、私がお店に入ったのは次の日の夕方ぐらい。精肉売場に小さなパックに入ったひき肉が置いてあったのだ。電気こそ地震があった日の夕方に復旧したけれど、ガス、水道、交通機関は長い間復旧しなかった。ひき肉など置かれても調理しようという気にならなかったころだ。

それをニーズに合わないこととして非難するむきもあるかもしれないが、私は普段どおりの品揃えを始めたダイエーにすごく励まされた気がした。

だからダイエー頑張れ!と応援したいのだ。日は沈んでもまた上る。ちょっと気障?




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