癒しの森 湯布院(仙人の健康相談室)  


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NO862・・・因縁と怨念

2020-02-19 | ヒーリング
 私の父方の家系は武士で大友家の家臣として仕えていました。母方の家系は、大友家の側女として仕えていました。そして父の叔母の姉妹二人は四国の八十八か所霊場の一つのお寺で修行を行い、郷里に帰へり参り所(霊場)を行っていた家に父と母は取り子取り嫁として養子に迎えられ、母が跡取りとして毎朝1時間修行(般若心経)を行っていたそうです。(父の叔父は天理教の小倉支部長をしていました。叔父・叔母の二人とも私が墓守りしているお墓に安置されています。因縁でしょうか?)

 順調にいけば、私も本寺に修行に出されていたのでしょうが?・・・親父が大の宗教嫌いで叔母の死後霊場は閉鎖し、空海さんの像を埋めてしまったと7歳上の姉から聞かされていました。その天罰が母に降りかかり、その後、母は入退院の繰り返しの悲惨な半生を送る事になったのです。(母親がいないと子も悲惨ですよ。)

 私も事業(薬業)を行い、大分県でも注目されるほど順調だったのですが、もう一つの心はインドに引っ張られ、心ここにあらずで、最後は経営者失格と自分で決断し54歳で私的整理を行い今日に至るのです。が後悔は一切していませんし、今の方が幸であり、私の代で先祖の過ちの清算を行うべきと日夜努力していますので、よろしくお願いします。

 教学担当の生徒さんから資料を調べて頂きましたので参考にして下さい。
須藤先生へ
因縁と怨念の話がブログされていましたので、知っていたら申し訳ございませんが、幽魂問答(幽顕問答鈔)1839年を紹介します。著者の宮崎大門氏は平田篤胤門下の方で、福岡の老松神社の神官です。物語は鎌倉時代くらいに割腹自殺をした武士の霊である泉熊太郎氏の武士の埋まっていた場所に屋敷を建てた庄屋一家に起こった怨恨の話です。数百年祟った後に天保10年に庄屋の息子に憑依して無念を語るものです。著者の宮崎大門氏は平田門下だけあって霊学も学んでいたので審神者の役をして、その顛末を問答として残しております。この後、心霊研究会の浅野和三郎氏によって幽魂問答として西日本新聞社の前身である筑紫新聞社にて活字本にされたものです。
http://www.books.x0.com/bunko/b02/contents.shtml

平田篤胤氏は僧契沖や荷田春満氏、賀茂真淵氏、本居宣長氏といった国学の系譜につながり、国学の大人として名前を残しております。しかし裏では神秘主義者でもあり、中国の神仙思想や異界記録を集めていて、多くの神主神官に影響を与えました。また、平田篤胤氏は神秘家で久延毘古神(天勝国勝奇霊千憑彦命)を敬信しています。その門下生だけに鎮魂法?や審神者には長けていたのでしょう。
幽魂問答は、私は10代に読んだことがありますが、サイトで全紹介されているので、改めて見てみると参考になるものもありました。


鎮魂の玉が完成しました。少しでもお役に立てれば幸いです。
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