癒しの森 湯布院(仙人の健康相談室)  


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NO863・・・複雑な関係

2020-02-20 | ヒーリング
 父の叔父は北九州(小倉)で薬種商(薬局)を営みながら天理教を信奉していた。大正時代の薬種商であるから相当儲けていたそうで、父も叔父からかなりの援助を受けており、常に感謝の言葉を聞きながら幼少時代を過ごした。その叔父が死んだあと様子伺いに小倉を訪れたら、息子(親父の従妹)のだらしなさに立腹し骨壺を持って帰り、我が家のお墓に収めたと聞いている。これも金持ちの道楽息子の成れの果てで、死んでも死にきれなかっただろう。

 また、家養子に入った叔母は真言宗であるはずであり、当然遺言としては葬式は真言宗で行うように言われていたはずだが、それを実行した形跡はない。それよりも家養子に入った時点で真言宗に改宗していなければおかしいのであるが、聞きそびれたまま父は他界した。

 私が墓守をしているのであるが、宗派は親鸞聖人の浄土真宗であるゆえにお経も浄土真宗のお経で行っている。が、なるべく「般若心経」も唱えて頂けるようにお願いしているのであるが、それに不安を感じる時がある。なんといっても天理教と真言宗と浄土真宗の3つの異なる霊が収められているのである。

 それもかなりの信仰を行った人達の霊が収められているのでありますから、複雑であるのです。いくら宗教は一つと言っても。お墓に安置されている霊魂に納得して頂けるであろうか?いい加減に信仰を行った霊なら、大した問題はないであろうが?お墓の中で宗教論争を行っているかも知れない?

 長い年月をかけ、理解して頂ける人を呼び寄せていたのかも知れない。私が気が付くようにエネルギーを送り続けられているのかも知れない?よくよく考えたら親父のやった事はめちゃくちゃである。これによって親父も苦しんでいるかも知れない。生きている時は気が付かない事も、死んで気づくことが沢山あると言う。私が救わなければ、私も親父と同じく「後の祭り」になるかも知れない。死んで見なければ分からないが?南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏!これも子孫に降りかかる業であり、清算を行わなければと思っているところです。仏壇には、今でも三つの宗派の位牌が収められているのです。

参考:■先祖霊と運命と病気女性専科・魔除け・開運
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