まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

建築の価値とは(3)ー再び前川建築と松本電気館ー

2022-03-27 23:16:17 | 建築・都市・あれこれ  Essay

曲がりなりにも、用を終えた建築の価値についての整理を試みた(建築の価値(1)、(2))。

 

ここで再び最初の問題意識に戻る。

松本電気館では「建築的価値がない」ので歴史を伝えるファサード以外は改築してしまおうとしているようだが、本当に「建築的価値」はないのだろうか。

すでに調査がなされているのであれば、私が余計な口を出す必要もないし、現場で取り組んでおられる方々に失礼なことである。しかし、もし調査がまだなのであれば、小幡楼も私たちが調査する前には「建築的価値」がないといわれていたということもあったので、少しだけ、部外者からのコメントをお許しいただきたい。

電気館のある地元上土商店街の方も触れられていたように、大正前期(関東大震災前)につくられた松本電気館は、大正後期(関東大震災後)から昭和初期に流行りとなった「看板建築」的な姿をしてる。創建時からそうであったのか、震災後に改築されたのか、どちらなのか。看板建築名付け親の藤森先生によると、常設映画館が生まれた20世紀初頭から全面看板建築というスタイルがあったという(藤森2019)。改修の痕跡なども含めて調べてみるといろいろわかるのではないか。

また看板建築だとしても、ファサードだけに価値があるということはあるのだろうか。ファサードの背後にどのような建築形式や使い方があったのか、ファーサードだけは別という考え方がどういう構法を生み出したのかなど興味は尽きない。江戸東京博物館にある看板建築も決してファサードだけを移築展示するのではなく背後にある生活空間と一体のものとして、看板建築をとらえているということも、大きな示唆を与えてくれるのではないか。

前回のブログで曲りなりに整理した価値のうち、「典型性、代表性にかかわる価値」や「作品としての価値」についてもぜひ、調査をしていただけると、いいのではないか・・・部外者の勝手な希望をのべた。

 

またもう一つの関心事である前川建築。これはすでに書いた通り、建築的価値は、神奈川県音楽堂も世田谷区民会館も十分に関係者に認識されている。

振り返ってみると、神奈川県音楽堂も、価値を認識しているにもかかわらず、1990年代に取り壊して高度利用しようとされていた。検討をリードされていた方は、高名な都市計画家であり、建築の価値も十分に認識されていた(大変優れた業績をお持ちの方)。しかし、その当時には「高度利用・土地の有効活用」という価値観も広く共有されているところであった。前川建築が保存継承される方向に舵を切ったのはその都市計画家のリーダーシップ故であったかどうかは知らないが、背後に県民の無言の支持があったのであろう。

無言の支持という点では、弘前の前川建築も市民の支持を受けてきちんと保全、継承されている。市役所を見学した時に案内してくれた市職員が「耐震補強をすれば使えるし、市民の財産ですよ。壊すなんて誰も考えませんでした」といっていたことを思い出す。

残念ながら世田谷区民会館・区役所には区民のバックアップがなかったということだろうか。それにしても21世紀のこの時代に、膨大な廃棄物を生み出して、巨大な構造物を無理やり狭い敷地につくろうとしている区の感覚には、驚きしかない。

同じような驚きは、鶴岡まちなかキネマの劇場空間や多目的に使われるエントランスホールを解体して事務室などに使うという計画を聞いたときにも感じた。「美しい劇場空間を壊して事務室にするなんて、価値のわからない人のすることだ」というUさんの言葉が胸に突き刺さる。Uさんは私が長々と書いてきた、建築の価値についてたった一言で表現してくれた。建築の価値を理解するということは、簡単なようで、意外と難しいということをつくづくと感じている。

 

参考文献

藤森照信2019『藤森照信のクラシック映画館』青幻舎

 

高谷時彦 建築・都市デザイン

Tokihiko Takatani    arcitectre/urban design

 

 

 

 


建築の価値とは(2) 用を終えた後の建築の価値

2022-03-25 23:15:53 | 建築・都市・あれこれ  Essay

前回は、同じ時期の同じ建築家によってつくられた2つの建築が、一方は価値ある建築なので残してうまく活用していこうと判断され、もう一つは積極的に残すだけの価値がないと判断されていることに、不思議な感慨、あるいは理不尽さを覚えたことを記した(前川圀男の神奈川音楽堂と世田谷区民会館)。また私自身がリノベーションに取り組んだ建物(酒田市日和山小幡楼)が、当初は「建築的に価値がない」といわれていたこと、そして全く同様な評価が、現在再利用を試みている松本市電気館についてもなされていることを紹介した。

以上の経験から、「建築的に一定の役割を終えた後の建築の価値」とは何なのか、あるいはある程度のお金がかかっても破壊せずに残して使おうとされるのは、建築がどのような価値を持っていると認識される場合なのか、この辺りを考えてみたいと思った。

ただ、私が考える対象としたいのは、重要文化財などの文化財に指定されるようなみんなが価値を認めている建築ではない。どちらかというと役割を終えた普通の(普通に見える)建築である。

この点からすると、前川圀男設計の神奈川音楽堂など学術上の重要性が認められている建物と、日和山小幡楼などを同一平面上で扱うことには無理があるかもしれない。ちなみに、先日の神奈川音楽堂・図書館の見学会では、この2つの前川建築が神奈川県の指定文化財(神奈川県の指定文化財は国と同じように重要文化財と呼ばれる)になったばかりであることを、知った。実は壊されようとしている世田谷区民会館も、日本建築学会や日本イコモス、地元の建築家の皆さんなどの活動により、歴史的あるいは学術的に貴重であることは、区の幹部たちも認めざるを得ない状況であった。それにもかかわらず、巨額の税金を投じて巨大な区役所に建てかえたいという大きな流れが変えられず、同時に区民の関心はそれほどに盛り上がらなかったということである。

ちなみに国が指定する重要文化財(建築)は歴史上、芸術上、学術上価値が高いものとされ、次の5つの基準が示されている。

①意匠の優秀さ

②技術の優秀さ

➂歴史的価値

④学術的価値

⑤流派的または地方的特色において顕著なもの

取り壊しをすべきか、リノベーションすべきかが問われる普通の建築の価値についても、上記の条件で判定できるはずであるが、ここでは、実践者の目で、自分の言葉で整理をしてみたい。壊されるかもしれないところから幸運にも再生工事を経てよみがえった二つの建築(日和山小幡楼と鶴岡まちなかキネマ)を例にして具体的なイメージとともに、考えていきたい。

 

1.社会の求める機能を果たせる器であるのかどうか:利用価値 潜在的な可能性を含めた効用

今使われていない建築は、機能を満足させる「道具」としての役割は一旦終えたといえる。以前建築家の槇文彦先生が「道具」としての建築と「器」としての建築について考察しておられたことを想いだす。道具性が強いものというのは、用や機能と形態、形状との関係が1対1に近いもの。家電製品などはその代表であろう。それに対して建築はいろいろな活動を許容する「器性」が強いという。

例えば小幡楼は料亭建築であったが、その骨格の特性を生かしたまま、ベーカリ―カフェになることができた。これは小幡楼の原点となる町家建築の「器性」の高さを証明するものである。また、絹織物工場であった工場建築が、映画館になることができたのも、大スパンの小屋組みを桁行方向に1間ごとに連ねるという構造あるいは構法システムの「器性」が高いということである。

しかし、忘れてならないのは、改修が可能という場合でも、後段で述べる建築の価値を損なわないことを前提にならなければいけないということである。例えば、まちなかキネマの大スパン建築の映画館も、(閉館後まさに行われようとしているように)床と天井を設けたうえで、小さく間仕切ることは物理的にできないことではない。しかしこれは、後段で述べる建築の価値を著しく損壊させる行為である。

あくまでも、「建築的な価値」を尊重しながら活用できる場合に「器としてやくにたつ」価値を持つと考えなければならない。

 

2.歴史の証言者であること:まちの物語、個人の記憶

今使われなくなってしまった建物は、少なくとも何十年かの歴史を持っている。歴史的建築と総称してもよいだろう。歴史的建築は様々な意味で歴史の証言者となる。

わかりやすいのは、歴史上の事跡に関係する場合である。小幡楼のように明治の文人墨客の逗留があるというのはわかりやすい例である。またアカデミー賞映画の撮影に使われたというのも、歴史的な事績にかかわる。小幡楼の大きな座敷は、酒田市の電灯事業の完成祝賀会の会場として増築されたものである。大正期に増築された洋館は、大正期に流行ったデザインを色濃く感じさせる。本格的なフレンチレストランとして出発したという時代の雰囲気を使える証人であろう。

また、まちなかキネマの中央部に越屋根があり、6件の大スパンを持つ小屋組みは、大正から昭和にかけての絹織物工場の姿をそのまま伝えている。時代に応じた増築の跡がきちんと残っているというのも、絹織物やその後の繊維産業の歴史を物語ってくれるものである。

以上は少しフォーマルな歴史であるが、より個人的な物語や歴史もあるだろう。まちキネで昔女工をしていたので懐かしいとか、小幡楼の2階で結婚披露宴に参加したという話も聞いた。個人の思い出、記憶のよりどころになるというのも、建築が歴史の証言者であるということであろう。

私たちが暮らすまちには、歴史文化の厚みが必要である。歴史を失った「記憶喪失のまち」(後藤治先生)ではつまらない。

 

3.典型性、あるいは代表性をもっていること:これを見たければここへ来なさいといえること

今回リノベーションを行う中で理解できたのが、小幡楼が町家を出発点に、複雑な料亭建築に成長してきたという事実である。町家から料亭へと変化を遂げた建築の総体がここにある。今回のリノベーションで学術的にじっくりと調査することはできなかったが、ひとつの典型例が発見できたように思う。希少性や唯一性に関しは、不明であるが、今後研究していくことも可能であろう。

また、まちなかキネマの構造体でも面白いことに気付かされた。まちなかキネマの原型は松文産業鶴岡工場であり、松文産業本社の勝山にも、全く同形状の工場が多く残っている。同じ雪国なので小屋組みもがっしりしたものであるが、柱と梁の関係を見ると、勝山本社では京呂組であるのに対し鶴岡では折置き組が採用されている。おそらく、昭和初期まで鶴岡では折置きの組み方がなされていたのであろう。ちなみにこの地域には今でも棟を受ける鏡差しという短い梁で受ける特徴的な小屋の組み方が行われている。そのように地方の特色を示す代表的な建築であるというのも一つの価値であろう。

「こういう事例が見たければここに来なさい」という価値である。

 

4.良い作品であること:創作物としての出来映え、作品としてすぐれていること

建築は彫刻のような芸術作品のように、一人の芸術家の作品という見方はなじまない。しかし、建て主や、設計者、施工者(そこには親方から職人まで)など多くの関係者によって創作される一つの作品であることも確かな事実である。創作された作品である以上傑作もあれば駄作もある。良し悪しには、建て主の思いや意志、設計者の思想や時代のとらえ方、デザイン力、施工者の技術力や、素材、また職人の技、職人を育てる仕組みなど様々な要素がかかわってくるだろう。

作品は以下のような観点から評価できる。

 

A:美しく人に喜びを感じさせること

建築は人間の活動の舞台となるものである。美しく、喜びを感じさせることが必要である。芸術作品的な美しさもあるであろうしそこにいること、あるいはその建物を眺めることが、そこはかとない心地よさを与える場合もあるであろう。様々な要素が総合された作品としての完成度が建築の価値を左右する。この価値は顕在化されていることもあるが、増築や改変により見えなくなっていることもある。その美しさを顕在化させることも、リノベーションの役割の一つである

小幡楼は、朽ち果てた状態ではその良さが分からなかったが、再生工事を経て作られたみせ土間に入ると、その歴史的な雰囲気と現代的なベーカリーの共存する、空間的な面白さが、人々に小さな感動を与えている。小幡楼は、潜在的な美しさを持っており、再生工事によりそれが顕在化したのである。

まちなかキネマもエントランスホールでトップライトに照らされた小屋組みを見上げて、多くの人が、その雰囲気を味わおうとする。天井が張られた状態では気付かなかった本来の美しさが、新たに加えられたトップライトにより、浮かび上がったといえよう。

 

B:構築物として優れていること

建築は自然環境の中で、人が暮らしていくためのシェルターである。シェルターは重力に逆らって地上に立ち上がり、また風や地震に耐える完結したシステムをもつ一つの構築物でもある。構築物をつくるためには、技術や技法、素材、構法、生産のシステム、それを支える職人のシステムなど様々な要素が絡んでいる。これらを一つの構築物としてまとめ上げるのは、設計者や施工者の力量である。素材の特性を生かし、地域の技術で丁寧に作られた作品は、地域のアイデンティティにも、影響を与え、地域の宝とも呼べる。反対に、インターナショナルな思想に基づき、プレファブリケーションされた工業製品をうまく活用して、普遍的な価値を獲得して居る場合もある。

作品としての形態はさまざまであるが、構築物として優れているものはその価値を尊重しながら、保存継承していかなければならない。

小幡楼2階座敷では、平行弦トラスを木造で組み、その上に迫もちトラスを載せるという、酒田地震にも耐えうる大変完成度の高い技術が用いられている。構築物としての傑作である。

 

C:思想や考え方がいきていること

小幡楼の洋館外観には、大正の名物女将の意志が込められている。設計者はわからないが、女将の意向を受け、古典的様式と新しいモダンな感覚の装飾を取り入れたデザインを試みたことは間違いない。その時代の建築思潮の申し子である。

神奈川県音楽堂や世田谷区民会館なども、近代建築運動のエポックであるCIAMの思想を展開した建物である。

建築を多くの人が関係する創作物としてみると、建築を一つのすぐれた作品にまとめ上げるには、何らかの思想や考え方が貫かれていることが多いように思う。もちろんそれは伝統や地域性であることもあるが、モダニズム以降は、ムーブメントとしての建築思潮であったり、一人の建築家の個人的思想である場合もあるだろう。そういうことも含めて、建築の価値は考えられなければならない。

私は、前川作品には遠く及ばないにせよ、鶴岡まちなかキネマの構築空間も多くの方々の手になる見事な作品だと認識している。ここに映画館を復活させたいという建て主の思い、困難な工事に丁寧に取り組んでくれた施工者や職人さんの技術力と職人魂の結実した佳作である。私たちも微力ながら絹をテーマとしたデザインで配置計画から、椅子、スピーカーボックスの細部に至るまでオリジナルにこだわってまとめ上げた。その集成がまちなかキネマの劇場空間やエントランスホールとして現前する。この作品としての価値を完全に無視するような改修は、私たちが取り組むべきリノベーションとは呼べない。

 

概ね以上のような整理となった。現時点ではひとまずこれを前提としよう。

 

(続く)

高谷時彦  建築・都市デザイン

Tokihiko  Takatani        architecture/urban design

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


建築の価値とは(1)ー2つの前川建築と2つの映画館の運命からー

2022-03-24 22:06:47 | 建築・都市・あれこれ  Essay

先日のブログに書いたように、同じ時期に建てられた2つの前川建築の運命が大きく異なるものとなっている。1954年にできた神奈川音楽堂と県立図書館は、みんなに愛されて今も使い続けられている。正確に言うと、県立図書館は新図書館ができるため間もなく図書館としての役割は終えるがそのあとは「前川圀男」の名がついた県立の施設として使い続けられるという。なんと幸せな建築(下の写真は神奈川音楽堂の外と中。だいぶ昔に見学したときの写真)。

 

一方、その数年後に誕生した世田谷区役所と区民会館は新区役所建設のため壊されてしまう。こちらも正確に言うと区民会館はかろうじて外形を保つことになるが、その周りを巨大建築が取り囲んでしまい、神奈川音楽堂と同じような「広場」はなくなってしまうことで最早原型をとどめるとは言えない。不幸な建築である。私も保存や取り壊しの議論をする最後の委員会に学識経験者の立場で加わったが、どんな議論があろうとも現存する建築を取り壊して新しく巨大な区役所を建設するという区の意志は固く、それを覆すことはできなかった(下の写真は世田谷区民会館と区役所でつくられる市民広場)。

下の写真は、親子連れがが良く遊んでいた噴水広場と欅の木立(噴水がすでにない!撤去されアスファルトで舗装されている)。

 

一人の建築家により、同じような思想とデザインによりできた二つの建築が、一方は価値があり大切なものとして受け継がれ、一方は価値がないものとして巨大な廃棄物となろうとしている。価値を決める主体により、全く正反対の結末が生まれている。人々が建築に求める価値とは何なのか?あるいは耐震補強などにお金がかかっても、建築を壊さず使い続けていこうとする場合、人々は何をその建築の価値だと考えているのだろうか(下の写真は弘前の前川建築。こちらも幸せに過ごしている。上は公会堂。下は市役所。世田谷と同じ構成)。

 

実は「建築の価値」について考えさせられる出来事が数日前にもあった。少し長くなるが経緯も含めて紹介したい。

 

数年前まで山形県鶴岡市にある東北公益文科大学大学院の教員をしていた関係で、公益大と研究交流をしている松本大学の連続講座で話をする機会をいただいた。お世話になった公益大T先生のご紹介である。松本大学では市民の皆さんとともに、大正期に開館した松本電気館というもと映画館であった建物を活用しようという取り組みをされているという。たまたま私が鶴岡で鶴岡まちなかキネマを設計していたので、その誕生から閉鎖に至るまでを話してほしいとのこと。本当は私の話より、今再開に向けて頑張っておられるMさんの話の方がいいのだが、Mさんはまだ話せるところまで行っていないと固辞された。まずは私が露払いと思い、お話しさせていただいた。映画館の話なので、まちキネを紹介する前に、私としては最新作となる日和山小幡楼についても少しだけ話をした。小幡楼はアカデミー賞映画「おくりびと」のロケ地として有名だから、松本の皆さんに共通の話題を提供したいと思った次第。

70分ほどの私の話が終わったところで、地元で電気館の再開に尽力しておられる方が、現在の計画案について教えてくださった。ZOOM形式で、カメラの向こうに図面のようなものを掲げて説明してくださるが残念ながらほとんど見えない。ただ、私は説明の中でのつぎの一言が強く印象に残った。「電気館は古くてみんなの思い出に残っているが、建築的には価値がないと判定されたのでファサード(その方は建物の立面を意味する建築用語をお使いになった)だけ残してあとは改築して有効に使っていこうと考えています」。

 

私は、詳細が分からないのでその計画の良しあしについてはコメントできないが、印象に残ったのはその言説が、先に紹介した日和山小幡楼でも用いられていたからである。ZOOM会議の途中、私は強い既視感に襲われていた。以下に説明する。

 

日和山小幡楼は市の所有となっていたが、腐朽が著しく、その維持費が市の負担となっていた。市の方にお聞きすると、「建築的には価値がないので、映画に登場したファサードだけ残してあとは解体したい」とおっしゃる。松本電気館と全く同じである。なぜ価値がないのですかと聞くと「専門家に見てもらったが、料亭特有の贅を凝らした材料や意匠がない。床柱も床框も大したものではない。おそらくそんなに古い建物でもないと判断した」とのこと。私は、その判断に違和感を感じたが、詳細も知らないので、反論できる材料もなかった。ただ、贅を凝らした和風建築、いわゆる近代和風建築が世の主流となるのは、西洋一辺倒の文明開化を経て再び「日本、和」の文化に目が向いたころ、すなわち日清戦争や条約改正を経た後だという認識があったので、もしかするとそれ以前の古い建築ではないかという思いがあった。ちなみに酒田では、日清戦争の明治27年に酒田大地震があり、今酒田に残っている料亭建築はその直後につくられ、いわゆる贅を凝らした意匠を誇っている(下の写真はリノベーション前の小幡楼)。

 

 

酒田日和山小幡楼の場合「価値がない」と思った人は、「歴史がないこと=価値がない」という判断をしたことになる。人々の思い出は、確かに映画に出てきたファサードに集中しているので、ファサードだけ残してあとは解体するというのは、(仮に古くないという判断が間違っていなかった場合には)ある種合理的な判断である。市役所の人は税金の使い道として妥当な解を求めたともいえる。松本電気館でも同様の事情であろう。

しかし、小幡楼の場合は、その後市長の判断で一度きちんとした調査を行ったうえで、利用するとしたらどういう可能性があるのか議論してみようということになった。その結果、酒田大地震以前の貴重な建物であることが判明した。歴史的な価値が見いだされたうえで残してうまく活用することになったのである(下の2枚はリノベーション後の小幡楼)。

 

 

松本電気館で「建築的価値がない」という話を聞いた時に私は、以上のように酒田の小幡楼のことを思いだしたのである。しかし、同じ言説であるが実は、判断の基準は違うことにも気づかされた。

 

酒田の場合は「古くないだろう」ということが「価値がない」という判断に結びついていた。これはわかりやすい。一方、松本電気館は大正期の創設(おそらくその後改修はあったのだろう)なので、映画館としては十分古い。映画草創期に浅草にあった電気館と同じ名がついていることからも、希少な古さであることが推測される。そのことは地元の皆さんが認識しているので、ここで「建築的に価値がない」というのは歴史的な価値はあるにしてもそれ以外の部分での「建築的な価値」がないということを言っているのだ。もともと一番大事な社会にとって役に立つという価値はいったん措いての話なので、役に立つかどうかでも、また古いかどうかということでもない別の「建築的価値」について語っておられるということである。

それは何なのか、私も「建築的価値」について少し混乱した頭の中を整理してみたくなった。今も現役で使われている建物については建築的価値があるかが問題になることは少ないであろう。使われなくなっているとか、現代的な要求に合わせにくいなどの課題を抱えた建物について「建築的な価値」が重要になってくる。

続いて考察を進めたい。

 

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko Takatani

architecture/urban design

 

 

 


映画のまち 調布と鶴岡

2022-03-24 14:39:07 | 建築・都市・あれこれ  Essay

私の住む町、調布。駅の南口を歩いているとこんな看板が。

ここが映画の1丁目1番地なんですね。

今ちょうど映画イラストレーターの宮崎祐治さんの個展が「たづくり会館」(図書館によく行きます)で開かれています。先日訪れた際には、宮崎さんがおられて、似顔絵を描いてくれました。このメガネの人物が、私です。

調布には、日活や大映の撮影所があり、今も撮影所内外で多くの映画が撮影されています。鶴岡まちなかキネマを設計しているときに、2期工事で予定していた小スタジオの勉強のため、日活スタジオをつぶさに見学したことを思いだします。スタジオ見学の後には、吉永小百合さんや石原裕次郎さんが座ったという食堂の椅子に座って、撮影所の方から、お話を伺いました。懐かしい。

鶴岡まちなかキネマを設計していた2006年当時、地元出身の藤沢周平さんの小説がどんどん映画化(武士の一分、蝉しぐれ、たそがれ清兵衛・・・)されていたということもあり、鶴岡の町の通りや駅にも「映画のまち鶴岡」という幟が出ていました。いつの間に、その看板を下ろしてしまったのでしょうか。鶴岡まちなかキネマを設計しているときに、映画関係の方々がおっしゃっていたのは、映画(興行)というのは立ち上がりに長い時間がかかる事業ですよということでした。この数年間は10万にに近い人が訪れるようになり、やっと「映画の町」が定着しようとしていたのに、閉館は返す返す残念です。

このエントランスホールもなくなると思うと、寂しいですね。

2つの「映画の町」に関わったものとしては、自分の無力さが何とも残念です。もちろん、映画の灯を絶やさないための鶴岡の地元商店街の皆さんを中心とした活動は、微力ですが全身全霊で応援していくつもりです。

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko Takatani

architecture/urban design

 


横浜関内・紅葉ヶ丘建築ツアー

2022-03-21 14:53:55 | 建築まち巡礼関東 Kanto

高松高校同級のOさんに誘われ、横浜関内・紅葉ヶ丘の建築ツアーを愉しみました。行きたいと思っていた「都市デザイン横浜展」(帝蚕倉庫を改修したBankart Kaikoで横浜市都市デザインの50年の歩みをまとめた展示)を、皮切りに、紅葉ヶ丘の前川国男建築群を散策。

都市デザイン展は大盛況でした。私も、槇事務所にいた時には横浜の都市デザイン室や開発課の仕事を担当していたので、大変懐かしくもありました。この50年間、ぶれることなく、横浜独自の「都市デザイン」を実践し、その成果は一般市民の目にも明らかに分かるようになってきました。市民の生活の質を向上させるだけでなく、みなと横浜のイメージアップにもつながり、内外の観光客を呼ぶことにもつながっています。

特別に勉強するというのではなく、街並みや建築から自然に「歴史が感じられるまち」になったのも「都市デザイン」活動の成果でしょう。

「にぎわいの形成」を求めて特効薬を探し続ける多くの都市にとって、横浜都市デザイン活動の50年の歴史から学ぶことは尽きないと思います。

Oさんのなじみのイタリアレストランで軽く食事をして、音楽堂や県立図書館の集まる文化ゾーンである紅葉ヶ丘へ。お目当ては建築家前川国男の残した建築群を愉しむことです。

写真は音楽堂、1954年築、専門の音楽ホールとしては芸大の奏楽堂に次ぐものだそうです。奏楽堂は明治23(1890)年築ですから、その間は生音主体の本格的なコンサートホールがなかったということのようです。

今回音楽堂と県立図書館を一緒にゆっくり見ることができました。前川国男のスケッチ(南から見て右手に音楽堂、左手に図書館)を見ると2つの建物を高低差をうまく利用しながら、また平面的には雁行させて配置することを通して、南側に都市的な広場をつくる意図があったことが良くわかります。また、二つの建物をつなぐブリッジの向こうにもう少しプライベートな雰囲気の奥庭をつくり、手前のひろばとは違う二つの広場・空地をつくろうとしていたことも、スケッチに描かれた大きな木などから読み取れます。

今回そういうことを意識して、奥庭のほうに行ってみました。2棟をつなぐブリッジ越しに南の開放的な広場を見返しています。

図書館のブリーズソレイユがきちんとしたリズムを刻んでいて、音楽的?なようにも思えます。

 

音楽堂の中のホワイエ。座席下の空間をうまく使っています。

床はテラゾー。

音楽ホールの階段としては、質素ですが、さわやかで清新なデザイン心が感じられます。

さあ、私も頑張ろう・・・という気にしてくれる、愉しい建築ツアーでした。Oさん、ありがとうございました。

P.S.

それにしても幸せな建築です。1990年代だと記憶しますが、壊して高度利用のために再開発しようということで、計画づくりが始まっていたのを思い出します。今はボランティアの皆さんに解説され、大切に使われていくことになっています。一方、この音楽堂の数年後にできた世田谷区民会館、区役所は悲惨な運命をたどっています。どちらの建築も都市の広場・市民の広場を持ち、市民に使いやすいように工夫が込められた前川建築です。何が運命の分かれ道となったのでしょうか?

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko Takatani

architecture/urban design