まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

熊野卒業旅行拾遺その2

2020-03-22 16:22:52 | 建築まち巡礼大学院 Research Tour

卒業旅行で庄内から一路、熊野、新宮を訪れた話をしましたが、その1週間後、中辺路から訪れた熊野本宮を今度は上空から飛行機で眺める機会がありました。好天に恵まれたある日、羽田から高知に向かいました。

富士山もきれいに見えます。

とすると、紀伊半島がはっきり見え、熊野川の蛇行が目に入ります。ちょうど下の写真の砂州の中、緑が浮いているところが旧熊野本宮のあった場所です。地上から訪れると次の写真のように見えます。

明治時代に大洪水があり、今の山の上に写ったそうですがそれまでは熊野川の砂州の上にあったのです。

前回の話の続きになります。

辻原登さんの『許されざる者』の主人公槇(大石誠之助)は(小説では描かれていませんが)大逆事件で死刑となります。ここでいう大逆事件はいわゆる幸徳秋水事件ということですが、この時私が飛行機で向かっていたのが高知。幸徳秋水の故郷です。まちを歩いていても掲示があります。

高知も秋水や中江兆民、板垣退助など多くの思想家や文化人を輩出したところです。高知「も」というのは、庄内が石原莞爾、大川周明、清川八郎などの思想家や文化人が多く出ている文化的な濃い空気の場所だからです。庄内、熊野(新宮)、高知・・・何か不思議なつながりを感じます・・・・・。ちなみに辻原登さんは鶴岡松ケ岡(明治初期の庄内藩士による開墾地。私も指定文化財の開墾士住宅=新徴屋敷を地区の案内所にするお手伝いをしました)のことも小説に書いておられます。


熊野卒業旅行拾遺

2020-03-22 15:26:22 | 建築まち巡礼大学院 Research Tour

今年で東北公益文科大学大学院でのお役目は終了。最終講義のことは前回のブログにも書きました。

従って、今年の修了生の皆さんとの卒業旅行は最後のものになります。

いつもは、受託研究の調査も兼ねているのですが、今年は受託研究もなく、純粋の卒業旅行となりました。修了生の方々がアレンジしてくれたコースは熊野三社巡り。私たちの研究室では出羽三山羽黒修験の里手向集落のまち並み修景にこの10年ほど携わってきたので、本当にありがたい企画でした。

この写真は中辺路を経由して最初に到達した熊野本宮。

熊野は出羽三山と並ぶ修験の聖地。修験の開祖役行者が開いた山といわれています。やはり修験の聖地には独特の空気感が漂っています。

とはいえ、根っからの世俗人間である私は、最後に訪れた新宮市、速玉神社の境内にあった佐藤春夫記念館に目を奪われます。1927築で東京から移設された、この記念館を設計したのは大石七分、西村伊作の実の弟です。アールヌーボとアールデコの混ざり合ったような、昭和初期の雰囲気、手触りして楽しい小作品です。

 

 

西村伊作が和歌山の山林地主であることは『大正夢の設計家』という本で知っていましたが、新宮が故郷だとはその時まで思い至りませんでした。新宮は中上健次の小説に出てくるのでその面影をたどりたいという気持ちはありましたが、この時点で私の頭の中から中上健次は消え去りました。

私は、最近の最終講義の中でも過去を振り返る中で、東北公益文科大学大学院で声をかけてくださるまで多くの大学の建築科で教えていたという話をしました。実はその時に触れませんでしたが、一番最初に教えたのは、文化学院でした。そうです、西村伊作の創設した学校です。

西村伊作の叔父の大石誠之助を主人公とした小説が『許されざる者』です。

活劇風の要素もあるエンターテインメント性あふれる大変面白い小説ですが、西村伊作さんも当然登場します。作者は文化学院の出身?である辻原登さん。辻原登さんも和歌山のご出身とは知りませんでした。以前たまたま鶴岡のまちなかキネマをご案内する機会がありましたが、「建築家」には非常に興味を持っていますとおっしゃっていたことが思い出されます。

さて、卒業旅行の最後の立ち寄り地は、本州最南端の潮岬。辻原登さんの小説の中で主人公の槇(大石誠之助)は「ここはいいね。おそらく潮岬の台地は世界でいちばん人間が満ち足りた気分になれる場所だ」といいます。甥の勉(西村伊作)は「だれもが安らかな気持ちで死んでいける土地かも・・・・」と応じます。

私は、こういう水平線を見ると三島由紀夫の『午後の曳航』や『豊饒の海』の何巻目かに描かれていた、水平線から船が現れるのをじっと観測するウォッチャーの記述を思い出します。潮岬灯台も観れるとさらにうれしかったのですが、またの機会に訪れたいものです。

こんな機会を下さった修了生の皆さん有難うございました。

 

 

 


高野山は一大宗教都市

2017-10-15 18:08:14 | 建築まち巡礼大学院 Research Tour

東北公益文科大学高谷研究室で高野山を視察しました。現在まち並修景事業を進めている羽黒手向と同じ宿坊のまち並み景観やサイン整備の実態、観光への取り組みなどを参考にしたいと思っています。景観法による景観地区のことや、サインも調べましたが、まずはまち全体の宗教的雰囲気に圧倒されました。まちのすべてが弘法大師さんのゆかりの場所です。

泊まった宿坊も然り。中の様子です。

 

玄関。

もちろんサインなども、大変参考になりました。

 

 

しかしそれ以前に、俗界とは違う空気を感じます。

サインの中には、このような町石も。109mごとに壇上伽藍あるいは奥の院からの位置を教えてくれます。一体いつのサイン計画でしょうか?

高谷時彦記

Everything I saw in this town was impressive.  First visit to Koyasan town founded by Kobo-Daishi, founder of Shingon or "True Word" school of buddhism. Kobo-Daishi was born 1,200 years ago in Sanuki country where I was born too.

Tokihiko Takatani

Architect/Professor

Takatani Tokihiko and Associates, Architecture/Urban Design, Tokyo

Graduate School of Tohoku Koeki university ,Tsuruoka city, Yamagata

 

高谷時彦/建築家・都市デザイナー

設計計画高谷時彦事務所/東京都文京区千石4-37-4

東北公益文科大学大学院/山形県鶴岡市馬場町14-1

 

 

 


県立美術館は清新なままの印象

2016-10-17 10:41:20 | 建築まち巡礼大学院 Research Tour

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宇都宮にきたのですから、県立美術館をスルーするのはまずい。

川崎清さんのもとで家具は柳宗理、照明石井幹子、ランドスケープ吉村元男というそうそうたるメンバー。

まったく古びては居ません。

入り口には飯田義国さんの彫刻。お宅に伺ってご馳走になったことを思い出します。

ちなみに大高正人氏の県議会庁舎はもうないようです。

近くにはこんな典型的な大正昭和初期住宅がありました。

 高谷時彦記20161017

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高谷時彦記 Tokihiko Takatani

 


宇都宮の大谷石建築

2016-10-17 10:28:42 | 建築まち巡礼大学院 Research Tour

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宇都宮の

の歴史文化を研究しているOさん、Iさんの勧めでまちの大谷石建築を見て歩きました。

松が峰教会。大谷石のロマネスク建築。

中も外も大谷石です。

 

ついでにお向かいにも大谷石の飲食店が・・・。

町を歩いていると青源みそ蔵。

聖ヨハネ教会。

ちょっと足を伸ばすと、今何かと話題の隈さんの駅と駅前の地域施設。

食堂もあります。

大谷石といえば採掘場。古代劇場の趣・・。

高谷時彦記20161017

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高谷時彦記 

Tokihiko Takatani 

Architect/Professor

Takatani Tokihiko and Associates, Architecture/Urban Design, Tokyo

Graduate School of Tohoku Koeki university ,Tsuruoka city, Yamagata