まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

黒石で歴史を生かした新しい街区づくりを学ぶ

2016-03-21 12:08:48 | 建築まち巡礼東北北海道 Tohoku, Hokkaido

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弘前をもっともっと体験したいという気持ちを抑えて

弘南鉄道で黒石に向かいました。車窓からは岩木山。

 

黒石の中町こみせどおりは、切妻妻入りでこみせ(北陸では雁木というポルティコ)を前面にもつ風格ある商家の並ぶ町です。下の写真の左は市文化財鳴海家のこみせ、右は中村亀吉酒造です。

 

私は、町家とこみせを見るとともに、町家の背後にある裏地(かくじ)をうまく活用して街区の空間構成を再編していこうというまちづくりを少し勉強したいと思っていました。

私たちは、今鶴岡市中心部にある恵比寿屋旧小池薬局ビル(1935築のRCビル)の再生活用プロジェクトに取り組んでいますが、その中で商店の後ろにある空地をうまく共同的に利用し、まちのインフラとして活用していくことが建物とまちを同時に再生していく鍵だということを強く感じています。

恵比寿屋旧小池薬局ビルはRCビルであるにも関わらず、町家と同じ通り土間があり、表から裏(奥)に自由に抜けることができます。RCビルにも町家の遺伝子が継承されているのです。表と奥をうまく使う伝統的な暮らし方を生かすべきです。

上の模式図の緑の部分が空地です。人口減少の中で確実に「アキ」は増えていきますが、そのアキをうまく利用すれば、今までにはない生活の質を手に入れることができるのではないか?そう考えているのです。下のスケッチは空き地をうまく使うことこそまちの中で楽しく利便性高くすむことにつながるということをイメージして書いたものです。

もちろん人口減少を食い止めるマクロ的な視点も欠かせませんが、アキの増大によりこれまでは快適に町に住めなかったという現実を改善するチャンが来ているです。その状況を前向きに捕らえ、建築や都市デザインに関わるもは具体的なイメージを提示することが求められています。

そういった視点から、表通りのこみせと裏(背後)のかくじというまちの骨格(インフラストラクチャー)を活用・再編しようとしている黒石のまちづくりからは学ぶことが多いと思います。

かくじにいたるこみせも整備されています。かくじの部分は公園になったり駐車場になったりするのでしょう。

また、個別の町家もうまく利用されています。これは風呂屋を改装してみんなが集まれる場所になっている松の湯交流館。まちそだて室というのもあります。

外観です。

中町こみせどおり以外にも見るべきものはたくさんありそうな町でした。面白そうな建築です。

 

なかでも私が一番感動したのが下の写真。2階部分が公共(?)歩廊になっています。右はイギリスのチェスターのロウズ(市のHPから転載させてもらいます)と呼ばれる2階部分にある歩廊。都市デザインの模範例です。・・・うーんちょっと違いますか・・・・。

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高谷時彦記 Tokihiko Takatani


弘前建築めぐり13拾遺・・・

2016-03-20 22:34:56 | 建築まち巡礼東北北海道 Tohoku, Hokkaido

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ようやく弘前建築めぐりの報告も最終章です。

町を歩いていて気になる建築を並べておきます。弘前に行ったのにお城を見ていないのかといわれそうですがお城は今あるべきところから曳き屋されていました。左下写真の石垣の上にあるはずですが、石垣の修理工事のため平場に下りています。

記事の中で私は「寒い」という言葉を何度も使いしましたが、このお堀の写真を見ていただくと実感いただけると思います。

続いて石場旅館。1879(明治12)年築、登録文化財です。

この二つは寺町の端で出会いました。不思議な感覚になります。

昇天教会。1920(大正9)年築。立教(高校?)の校長も勤めた米人ガーディナー。施工は林緑棟梁。フランス積みレンガのゴシック様式。

教会のすぐ近くにあるのがまちなか情報センター。サテライトスタジオもあります。高校生の勉強場所になっています。

 

最後になりますが、ちょっとさびしい風景。駅と中心商店街をつなぐプロムナード。立派な彫刻もあるのですが・・・・。日曜の午後です。

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弘前建築めぐり12忘れられない建物2つ

2016-03-20 21:38:33 | 建築まち巡礼東北北海道 Tohoku, Hokkaido

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前々回あたりの記事で「堀江佐吉関連の建物はこれで終わり」と書いたような気がしますが、訂正です。

弘前教会を探していたときに、不意にこの建築に出会いました。

フランクロイドライトです。しかも中央部には和風建築。

 

和館も立派な近代和風です。そして洋館のほうに接近してみましたが、やはりライトです。

どういうことでしょうか。しかも次のサインを見て大変驚きました。この旅館・料亭は旧高谷家だというのです。

日本建築学会の『日本の建築1』に出ていました(p208)。この建築は旧五十九銀行の頭取高谷(たかや)氏の別邸として1934(昭和9)年に作られたものです。設計は堀江佐吉の長男彦三郎、施工は堀江組です。高谷さんのなかにも偉い人がいらっしゃるんですね。

偶然見つけたので少々得をしたような気持ちで歩いていましたら、次のような建物が・・・。

上ってみます。三階には理髪組合があります。まさに似合っていますね。

下のほうにはお店があります。モダンジャズを聴きながらシードルを一杯だけ飲みました。りんごの産地にはシードルが多いようです。

シードルとはブルターニュのお酒だと聞いたことがありますが、そうでもないのですね。

こネットで調べるとこの建物は1927年築の三上(旧無尽社)ビル。弘前で2番目のRC(鉄筋コンクリート)造。当時の弘前は経済、文化の先進地(もちろん今でもそうです)ですから東北でもかなり早いほうのRC建築でしょう。

 

 

外に出てみると日が落ちてネオン看板がともっています。いいですね。映画酒とバラの日々の悲しいラストシーンですね。看板の右上の2階でシードルをいただいたようです。

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弘前建築めぐり11仲町伝統的建造物群保存地区

2016-03-20 20:52:27 | 建築まち巡礼東北北海道 Tohoku, Hokkaido

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前川國男と堀江佐吉という偉大な建築家、棟梁の作品は前回までのブログで紹介しました。

今回は趣が変わり、まち並みの話しです。

これまで取り上げた建築はすべてお城の南側にありますが、北側に重伝建地区があるというので足を伸ばしました。弘前城の追手門(亀甲門)は北側にあったそうです。お城の北に面して一筋が町人町(弘前で一番古い亀甲町)、その北側に碁盤目状に屋敷割りを行った上で武士を住まわせました。

まずは、亀甲町の巨大な町家に驚きました。重要文化財石場家住宅です。こみせも長いですね。

一筋の町人地を過ぎるとこのような風景が展開します。

板塀やさわらの生垣、薬医門などが残っています。そのときは気づきませんが、パンフレットによると玄関までの飛び石も残っているそうです。

一部のお宅は市の所有で見学ができます(写真の門と内観は別の住宅です)。

今鶴岡で羽黒手向のまち並み整備に関わっているので、電柱、電線がない(見えない)こと、ガレージの色彩が統一されていることなどが印象に残ります。

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弘前建築めぐり10これも堀江佐吉由来の建築

2016-03-20 19:40:53 | 建築まち巡礼東北北海道 Tohoku, Hokkaido

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堀江佐吉(絡み)の建築だとは知らず見学したものを二つ。

ひとつは藤田記念庭園。藤田謙一氏は初代の日本商工会議所会頭です。パフレットによると1921(大正10)年に建てさせたとあります。

これも佐吉の子供である金蔵と彦三郎の設計施工だそうです。

 

外観(上の左写真)を見るとイギリスの田園住宅のような趣。南側には広いサンルーム(喫茶室)があり、不思議なトスカナ風のオーダー。何かに印象が似ていると思ったら、渋沢栄一の誠之堂・・・屋根とそこから突き出す塔。

誠之堂は1916年。商工会議所会頭の藤田謙一氏は渋沢栄一を当然よくご存知だったはず。しかしまったく根拠のない類推です。

いずれにしても、大正時代という時代性を反映しているように思います。第一次世界大戦跡の好景気、ハワードの「田園都市」が紹介され日本でもまずは上流層が田園での暮らしを求めるようになり、アメリカやイギリスの郊外住宅に範を求めつつも、新しいタイプの住宅を模索していた時期ではないかと思います。

庭園のほうには立派な和館があります。

お金持ちは洋と和をうまく使い分けていたわけです。

この庭園のすぐ隣には旧第八師団長官舎があります。これも佐吉の長男、彦三郎の手になるとのことです。1917年築です。イギリスのチューダー様式が上層家族の邸宅に取り入れられていた時期の建築ということでしょう。

この建物はありがたいことにスターバックスになっています。弘前では歴史的建築を本当にうまく活用して、市民や観光客が使えるようになっています。

中は大胆に改装しています。でも和室の面影はあります。歩き疲れ、また体も冷え切っていましたので暖かなコーヒーがありがたく感じられました。

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