まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

御岳山、御嶽神社の宿坊集落

2016-04-25 20:32:01 | 建築まち巡礼東京 Tokyo

御嶽山にのぼり、御嶽神社の御師(神職)が住む宿坊集落を散策しました。

久しぶりのケーブルカーです。前回乗ったのは四国は八栗山。八栗山も御岳山と同じ修験道の聖地です。

ただこちらは今もなお20あまりの宿坊が残り、数十人の御師が暮らしています。

ケーブルカーを降りてしばらく歩くと早速宿坊です。立派な長屋門による屋敷構えです。

現代的な装いの宿坊も在りますが、看板を見ると今も講の人たちの宿となっていることが分かります。

パンフレットによると御嶽神社は山岳信仰の興隆とともに、遠く平安時代から権力者や多くの人々

の信仰の対象となってきたそうです(明治の神仏分離までは御嶽権現)。今でも御師は冬場には里に

下りてお札配りを行い、講中の人たちとの絆が在るようです。

しばらくいくと大変豪壮な茅葺屋根の宿坊・・都指定文化財「馬場家御師住宅」です。門は貫き通し門。

幕末に建ち、宿坊としての形態を完全に残しているそうです。残念ながら今回は外回りを見るだけですが、いつか

宿坊に止まり神事を体験したり」精進料理をいただいたりしたいものです。

他にも立派な宿坊建築が方々に在ります。これは薬医門のようです。門のかたちと御師の職制などと何か関係在るのでしょうか。

しかし、急な斜面にできた集落はさまざまな表情を見せてくれます。しばらくいくと門前の商店街です。石垣の上に良くぞ見事に建てています。

商店の連なりは、私の故郷の金比羅さんを思い出しました。

いよいよ、御嶽神社の本殿です。棟持ち柱のある神明造りの形式です。

観光パンフによると徳川の世になり、江戸城守護のため南向きから東向きに建て替えたとのことですから

上の左写真はちょうど東京のほうを向いているのでしょうか(ここも青梅市だから東京ですが・・・)。

しかし、急峻な地形にうまく呼応した御師集落は単体の建築としてだけではなく群としての美しさを持っています。

宿坊が現在どのように営まれているのか、講はどの程度あるのか、御師の後継者はいらっしゃるのか・・・・

宿坊建築の中はどうなっているのか?・・・・多くの宿題を残したまま帰る時間となりました。

 今日はここまで。これからも修験道、御嶽信仰とともに、この宿坊の風景が長く受け継がれて

いくことを願いながら再びケーブルカーに向かいました。

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高谷時彦記 Tokihiko Takatani