まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

「都会性」の再吟味

2011-02-26 19:42:42 | 建築・都市・あれこれ  Essay

なぜか、2月は忙しい。そしてなぜか、忙しいときにほかのことがやりたくなったり、読んだ本のことが気になったりします。思い切ってちょっと仕事の手を休めて、頭に浮かんでいることを書き留めておきます・・・・・・・・。

                                                           

 先にふれたトマス・ジーバーツ『田園都市計画の展望 「間にある都市」の思想』(蓑原敬監訳 学芸出版社 2006) は、中心と境界を持ち限定された領域の中にコンパクトに住む都市があり、その郊外は緑が広がるという建築家都市計画家の見果てぬ夢をある意味で打ち砕く新鮮なインパクトをもっています。

                                                            

 中でも「都会性」や「中心」に関する議論は刺激的です。

 

 私たちも都会性と同義語として都市性(Urbanitat, Urbanity, Urban-ness)や都市的という言葉をよくつかいます。都市性のある空間というと、地縁や偏狭さから自由で、多様性に寛容、偏見から開放された市民が自由に出会ったり議論をする場などをなんとなくイメージします。普通は、都市性とは何かを正面から考えることなく、自分たちの計画案のもつエートスをなんとなく説明する便利なことばとして用いています。

 

 ジーバーツは「都会性」という言葉は「都市生活の文化的、社会的側面から質を語るために創り出された概念」(引用は上掲書です。以下も同じく引用させていただきます)であり、「寛容で、外交的な都市住民の態度」という意味だったものが「通りや広場、市場における商業的な賑わい、コーヒーハウスでの談論風発、多種多様な財やサービスの豊富さ」という、いわば物的視覚的なイメージと結びついてしまったと指摘しています。

 

 都市住民の態度を示すことばが、実際の都市空間、それは私たちが今コンパクトな都市としてイメージするような広場や街路の風景と混同されたわけです。

 

 この都会性の概念が「旅行記や小説」を通して「18世紀後半から19世紀にかけてのブルジョア的欧州都市」のイメージを作り出したのです。それを私たちは理想的なイメージとして継承しているといえます。

 

 しかし、当時の都市の実態は理想的なものとはほど遠く、「過密で詰め込まれた住居から」私たちが理想と仰ぐ広場でのパブリックライフに逃避していたというのが実態だというのです。

 

 その後私たちは、一人当たりの居住面積を増やし、家の中や、施設で必要なことを満たせるようになったので、広場や街路の持つ役割も変わっていきます。「生きていくうえで不可欠だったご近所同士の助け合いも、社会全体で運営する火災保険、生命保険、傷害保険にとって変わられる」ようになってきたわけです。協働の意味も機能的に薄れてきます。

 

 彼は決して、私たちの描く「都会性」を追求するなといっているのではないのですが、「都会性」と不可分に結びついている広場や街路など「公共空間」の意味が変わっていること、そして上述したようにその結びつきが不可欠なものではないことをきちんと認識することを要請します。

 

 わたしたちも良く陥りがちですが「都市性」の実現のためには公共空間が「広場」「街路」「路地」のような形状をしていることが望まれるという議論があります。決してそういうことではなく、フリースタンディングの建築が並ぶメインストリートでいわゆるパブリックライフが展開する風景もあるのです。ジーバーツはアメリカの社会学者の論を援用しながら「中心市街地よりもはるかに都会性を有する」開かれたキャンパスを紹介しています。

 

 「ショッピングセンターの魅力が、都会性を渇望する気持ち」の現れであることは認めたうえで、しかし「商業者の誘導する都会性なるものに満足していない」私たちにとって「都会性」の持つ意味は何か。ジーバーツは「都会性は生存に必要な要素としての概念から、文化的な手段によって達成するべき目標概念へと変貌」してきていることを指摘します。これが彼の捉える新しい「都会性」の意義ということでしょう。


南武線の風景と『間にある都市』

2011-02-20 22:49:40 | 建築・都市・あれこれ  Essay

今日は横浜の日本郵船歴史博物館「船→建築 ル・コルビジェがめざしたもの」を見てから出勤しました。そのためまずは南武線経由で横浜に向かいました。

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京王線から南武線に向かいます。上のような風景が続きます。

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途中には確か石山修武氏設計の保育園です。しかし、ここで私が伝えたいのはこの保育園ではありません。このあたりの風景を見て感じることです。農地と住宅、それも1戸建てもあれば集合住宅もある、工場もあるというあらゆるものが入り混じった風景。

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こういう風景どう解釈してよいのか迷っている自分に気付きます。これは、郊外居住を求める人たちが緩やかな建築規制、都市計画規制のなかで20世紀後半に作り出した典型的な郊外風景でしょう。

こういった風景は古典的な建築家、都市計画家にとっては、あくまで市街化されるまでの過渡的なものとして位置づけられるはずです。私もそういう感覚を持っています。しかし、実際にはあるバランスのもとで、農地と住宅の混在が時間的にも空間的にもある種の安定状態を続けています。そういった中で、ずたずたに切り裂かれた農地に積極的な意味を見出し、都市に必要な環境(そして営み)として保全していこうという考えもあります。

実際この風景の背後を注意深く見ると市街化が進む以前の農業集落の様子が垣間見えます。

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プラットフォームから農家も見えます。また少し歩くと用水のある風景にも出会うことができます。

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ですから、農地を保全しようとする意見も良くわかります。しかし、それはこの風景の固定化につながり、この風景を是とすることにもつながります。

この混在の風景は都市計画の分野で今までどのように扱われてきたのか、私は詳しく知りませんが、あまり積極的な肯定の論調は少ないように思います。以前、第三山の手論なるものが風靡し、確かその中では南武線が新しい山の手線として位置づけられていたような記憶があります。

この地域に対する一定の肯定的評価ですが、マーケット論や社会学的な議論の対象として扱われていたわけで、都市のあり方という点からの議論ではなかったように思います。

ところでこういう風景は日本独特のものかとおもっていたら、かの計画高権、建築不自由の国ドイツにもこのような端布を継ぎ足したような市街地があるときいて驚きました。その典型例が以前コメントしたIBAエムシャーパークが対象としたルール北部地域だということです。都市計画家蓑原敬氏が監訳された『都市田園計画の展望 「間にある都市」の思想』はルール地方に広がる「都市と都市の間を埋めている、都市とは全く別の空間的、社会的特性をもっている田園地域」を「間にある都市」と名づけ、そこの計画理論を構築しようと試みる書です。

著者のトマス・ジーバーツはIBAエムシャーパークに建築家、都市デザインナーとして関わった人物です。彼は、明快な中心と限られた領域(広場と城壁)からなる「ヨーロッパ都市」以外に、車社会の進展と共に郊外に延々と広がった「間にある都市」が存在しているという事実を直視するところから議論を始めます。

ヨーロッパでは70年代にそれまでの機能優先のシステム的思考での市街地作りから、歴史的な中心部を大事にし、歴史文化を人々が確認できる生きられる環境としてのまちをつくろうというところに大きく舵を切ったことは、周知の通りです。しかし、それと共に、計画者の間に「ヨーロッパ都市」の理想型がインプットされ、現実の「間にある都市」を正面から扱う計画理論が成熟してこなかったようです。

この「ヨーロッパ都市」についてはヨーロッパと日本を比較しながら都市を論じたロランバルトの『表象の帝国』を読むとはっきりとしたイメージを得ることができます。ちなみに少々脱線しますが建築家槇文彦氏を中心とするグループ(私もその末席を汚しています)はその「ヨーロッパ都市」とは全く違う空間認識を背景にした都市、全く違うロジックによって成立した都市が東京であることを『見えがくれする都市』に描いています。

さてトマス・ジーバーツはいまや古典となった「ヨーロッパ都市」を「都会性」や「中心性」という概念を一つ一つ検証しながら、それがもはや少数のエリアにしか通用しないものであることを示します。

彼は、新しく「間にある都市」を読み解くことの必要性を訴えます。また実際IBAエムシャーパークで彼は、役割を終え、否定的なメッセージしかもっていなかった地域を芸術文化、または建築の力を使って見事に違う新しい肯定的なメッセージを発信する場所に変えていきました。都市を「環境とその住民との間の相互作用の領域」であり無限の多様性を持ち、常に変化し続けている社会的、文化的な場(ケヴィン・リンチ)」として理解する彼らしい方法です。

このあたりの議論は大変読み応えがあります。また既成概念にとらわれず自由に思考を展開する彼の知性も感じられます。ただ成長のない時代にこの絨毯のように広がった市街地をどうすればよいのか即効性のある手法や目標設定等のノーハウを安直に得ようとする私たちには、このあとの議論は若干もどかしいものでもあります。

しかし、この本は私たちに、都市と都市の間にある現実に率直に向き合うことを教えてくれたこと、その時の基本的な視座を与えてくれたという点で大変貴重なものだと思いました。

ということを考えながら横浜に到着。昼食は横浜国際女子マラソンを見ながらということになりました。時間がなくあせりましたが、ここまできたので、『見えがくれする都市』でもお世話になった大野秀敏さんたちが設計されたNHK横浜も見てきました。

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坂倉準三氏のシルクセンターの前をマラソンランナーが駆け抜けます。

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NHKのアトリウムです。浮かぶホールです。


羽前大山新酒まつり

2011-02-15 16:28:27 | 建築・都市・あれこれ  Essay

一年ぶりの新酒まつりです。

ボランティアで案内をしている院生KさんをJR大山の駅で見つけることが出来たので、案内してもらいながら、酒蔵めぐりを楽しみました。天気予報とは違い大変良い天気。そのせいか酒蔵の前に並ぶ人の列もいつもよりはるかに多いようです。どうしても落とせない富士酒造からスタートしました。

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残念ながら、今年は奥にある古い蔵のほうは開放していません。通り土間からまっすぐ抜け出るように進路が設定されています。外に出て見返すと3階(実際には4階くらいの高さ)にある座敷が見えます。

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このまちが酒造を中心にさまざまな産業で栄え、繁栄した暮らしと洗練された文化を享受する層が存在していたことが偲ばれます。

繁栄と文化を享受したという意味では、加藤嘉八郎酒造の蔵もたいしたものです。

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お雛様もすばらしいものですが、少し視線を上げるとケヤキの棟と小屋組みには圧倒されます。庄内の風土の背景にあるものに触れれば触れるほどその奥深さを知ることになります。

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IBAエムシャーパークに思うこと

2011-02-13 00:19:57 | 建築・都市・あれこれ  Essay

近々IBAエムシャーパークの事業で建築家として都市デザイナーとして活躍したクリスタ・ライヒャー氏の「『ルール地方の転換戦略と将来構想』ポストIBAエムシャーパークのまちづくり」とした講演会があります。

私たちは産業遺産を活用したまちづくりの実践と研究をしています。鶴岡まちキネはその到達点の一つでもあり、出発点でもあります。そういった私にとってIBAエムシャーパークの存在は大変気になるものです。講演を聴く前に『IBAエムシャーパークの地域再生』という本を読み返してみました。この本の副題は「『成長しない時代』のサステイナブルなデザイン」となっています。私と同じJUDIのメンバー永松栄さんの編著です。あらためて読んでみて大変参考になることが多く、以下思いつくままメモしておきたいと思います。なおこの文章でのIBAエムシャーパークについての記述は、この本の内容を引用させていただいていることをお断りしておきます。

IBAエムシャーパークという名の地域づくりが行われたのは、ルール地方のエムシャー川沿いの800K㎡のエリア。200万人が住み17自治体に関わります。19世紀半ばから石炭と鉄を中心とする重工業地帯として発展しましたが、20世紀後半からは産業構造の転換で一気に衰退が進み人口減少、高い失業率などの構造的問題に直面しています。水質や土壌汚染などの環境問題もあります。都市構造的にも他の地域のように中世都市から生まれたコンパクトな都市と美しい郊外という形態ではなく、工場の周りに住宅地が絨毯のように広がるという、いわば日本にも似た構造を持っているようです。

そういった課題に対して、ノルトライン・ヴェストファーレン州が「改革運動のモデレーター」として動き始めたのです。州はIBA(国際建築展)というドイツの伝統的手法を対象地域に適用し、1988年から1999年の間で、生態的環境の質と都市(居住)空間の質を飛躍的に高めることを目指しました。

具体的には、IBAエムシャーパークという公社(100%州の出資)を作り、公社が各自治体や自治体連合、民間事業者の100を超えるプロジェクトを束ねました。すべてのプロジェクトの共通目標を失わないために、7つのテーマのもとに5つのプロジェクト群が整理されています。 その中に私たちの活動と共通する「産業建造物の保存利用」も位置づけられており、多くの成果を上げています。

その詳細な内容は、本の中に美しいカラー写真とともに紹介されているので、そちらを見ていただきたいと思います。ここでは、この一連の事業、取り組みから感じたことを記述しておきます。

①成長しない時代の発展の方法

うまい言葉がないので「発展」と書いたので、量的拡大を思ってしまいますが、IBAエムシャーパークを英語で紹介する文章にはchange without growthという言葉がよく出てきます。拡大することを期待するのではなく、質的な変化をこの機会に成し遂げようということでしょう。

ドイツは70年代の半ばから人口の自然現象が続いています。ルール地方でも50年代のピーク時から20%を超える人口が減っているそうです。

西ドイツ全体で見るとその当時から海外移民の受け入れで社会増を維持してきたわけです。私が80年初頭にドイツを訪れたときにたくさんのトルコ人労働者街があるのに驚きましたが、その傾向はその後もすっと続いています。ここで着目すべきはそういった時代には地域構造を生態環境的でサステイナブルなものにすることができるしそうし続けることが必要であると理解されていることです。先ほど述べた質の変換の好機であるととらえているのです。さらにそのためには都市計画と建築に対する高い質が必要になるという認識も共有されています。この背景にはドイツを含むヨーロッパでは都市計画が建築と同じ人の住む環境を造形する芸術的行為だという文化的背景があるように思います。

IBAエムシャーパークは本のサブタイトルのように「成長しない時代のサステイナブルなデザイン」の好例です。

②停滞を打ち破るために構造的な変換を求めたこと

エムシャーパークの地域でも停滞に対して、当面の施策として遊休地を区画整理して新たな産業誘致という方法もあったと思われます。しかし彼らは、そうやって市場価格の低い土地をえさにして企業を誘致しても、今の大きなトレンドを変えることは出来ないと判断しました。

5つのプロジェクトとしてあげられているエムシャーランドスケープパークや水系の自然再生など都市空間の質を根本的に買えることで大きなトレンドからの構造的変化を起こすことを狙ったのです。

このことは、次のことを思い起こさせます。私たちは、産業遺産としての絹織物工場を映画館にコンバージョンするまちキネ作りに取り組みましたが、そもそもまちキネの計画はより大きな松文鶴岡工場跡地利用構想の一部をなすものです。2年後の移転が決まった2006年の夏に商工会議所首脳からその構想を聞いたときに私は正直大変驚きました。なぜかというと、その発想がIBAエムシャーパーク的な「構造的な変換」を発想したものであったからです。「デヴェロッパーに開発を任せると既存トレンドに乗ったものしか出来ない。それでは鶴岡中心部を構造的に変えていくことが出来ない。そこで、トレンド(当面の需要)から発想するのではない新しい利用形態と開発スキームを考えた」ということでした。トレンド(当面の需要)対応ではないわけですから、事業としてはリスクを伴いますが、そこは構想力とアイデアで牽引していこうというもので、それが第1期計画としてのまちなか映画館に繋がっているのです。

③ワークショップとしてのプロジェクト

そもそもIBAエムシャーパークのプロジェクトには「古い産業地域の未来に向けたワークショップ」という副題がついています。

公社は実行の予算や権限を持っていたわけではなくあくまでもモデレーターです。また、完成度の高い計画案を見せることで自治体などの事業者を束ねたわけではありません。単純な「成長」ではない時代、価値観や生活実態が多様化している中では、「計画」概念自体も変えなければならないという認識です。それがワークショップという言葉に表現されています。プロのプランナーも次の段階をおぼろげに思い浮かべることしか出来ないのですから、多くの人たちのイノベイティブなアイデアを導くようにモデレートしていくことが大きな役割となるのです。

一方で、建築家や都市計画家には空間の高い質を提案する力が求められ、多くのプロジェクトではコンペが実施されています。

 ④高い人口密度と集中的な投資

 

 上の①から③の点は大いに学ぶべきだと思いますが、日本とは大きく背景が異なる要素もあります。まず、800K㎡に200万人が住むという高密度です。ここにIBAの10年の期間中で50億マルク(うち公共が23)の投資がなされたのです。期間を限定し、密度が高いからこそ多くの投資効果が期待されたといえるでしょう。

 

 鶴岡は1400 K㎡近い広がりの中に14万人ですから、なかなか投資を集中するのが困難だと想像されます。しかし、だからこそ先ほど紹介したような「構造的変換」を生み出すようなイノベイティブなプロジェクトを官民合わせて推進するということが必要に思えるのです。

 以上思いつくままメモしました。残念ながら、まだ現地を訪れたことがありません。change without growthの必要な私たちにとって、必見プロジェクトであることは間違いなさそうです。


鶴岡かんだら祭りin船堀

2011-02-11 16:17:44 | 建築・都市・あれこれ  Essay

鶴岡かんだら祭りin船堀に出かけました。調布からは京王線・都営新宿線で乗り換え無しでいけます。お昼頃つくと、雪が更に激しくなっています。寒い。

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例年のように広場が人でいっぱいとはいきませんが、お店の前には人だかりだできています。

かんだら汁を食べながらビールを飲むというのがいつものパターンですが、今日は、さすがにかんだらだけにしました。寒い。

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ワインや漬物を買って、その福引券で藤島のお米などもいただきました。しかし、寒い。

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売り場には、まちの活性化に取り組む皆さんがつくった物語マップ、「城下町鶴岡町ひとまち(300円)」もおいてありました。売れ行きはどうだったでしょうか。