まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

まちづくりにおける専門家の役割(その2)

2010-02-21 09:57:07 | 建築・都市・あれこれ  Essay

不十分な考察ですが、「まちづくりにおける専門家の役割」についての続きです。

昨日のコメントの中に、「○○地区○○計画」などの報告書は今でも専門家がコンサルタントとして執筆していると書きました。つまり、住民参加はあるにせよ、自治体がコンサルタントに発注し、自治体向けにコンサルタントが提案をまとめるという図式です。

しかし、この図式が今後は大きく変わっていくでしょう。つまり、地域住民が自分達の課題を解決するために、「自分たちが何をすべきか」を計画書としてまとめ、自分たち地域住民に提案するという形になっていくのです。自治体は、その費用を負担し、ハードや社会学などの専門家が住民のアドバイザーとなるという図式が想定されます。

繰り返しになりますが佐藤滋先生や大野秀敏先生の言うようにこれからは「今あるものを編集していくのが計画」ということですから、地域にあるものをよく知る人が計画の主体としてもふさわしいということになります。そういう点でも「当事者」が自らの課題解決を模索すべき時代となっていくように思えます。

上記のようなパースペクティブのもとで専門家の役割を考えないといけないでしょう。

昨日のメモでは、ハードの専門家の役割としてのデザイン力を掲げました。もちろんそれ以外にも多くあるはずです。たとえば、地球環境の視点から、都市空間や建築空間、緑地空間のあるべき姿を提言するなど、「地域」だけからはなかなか見えてこない視点を提供することもそのひとつであると思います。

このテーマは今後とも、考えていきたいものです。

 

 

記事一覧 設計計画高谷時彦事務所へ

高谷時彦記 Tokihiko Takatani


まちづくりにおける専門家の役割

2010-02-20 19:26:09 | 建築・都市・あれこれ  Essay

昨日都市環境デザイン会議の幹事会でまとめ役のTさんの発言をきっかけに、都市環境デザインにおける専門家の役割について皆で少し意見交換をしました。時間の関係でほんの少ししか皆さんの意見を聞くことが出来ませんでしたが、私たちもこれから考える場面が多くなるテーマであることは間違いありません。

日本の都市づくりや都市環境デザインの分野では、建築や土木、造園、都市計画などのハードの教育を受けた人たちが「専門家」として中核をになってきました。私自身もハードの教育を受けた専門家といえます。大学時代には都市に対しての提案である丹下先生、大谷先生の美しいドローイングや模型写真に魅せられたものです。

現在においても役所から発注される「○○市マスタープラン」「○○地域活性化計画」などの計画は(市民参加は当然あるにせよ)上記専門家の手によってまとめられていることが多いと思います。

これまで、都市化の進行する時代においては「新都市」を新しく建設したり、既存市街地を新しい発想で再編成し時代に要求される都市機能の入れ物として作り変えること、あるいは都市基盤としての道路や大きな都市施設の建設といったように、ハードをつくる専門家としての役割が大きかった様に思えます。しかし、既に都市化が終わり、多くの識者が指摘するように今あるモノを上手に編集していくことが、これからの「まちづくり」の方法だとすれば、既にあるハードをどのように使いこなすのか、どのように組み合わせるのかなどが、重要になります。また、必要性のためにモノをつくったりモノを作る過程をにコントロールする空間計画が「都市計画」の主目的であったのに対し、現在の「まちづくり」は空間計画というよりも、社会計画的な側面が大切にされていることにも着目しなければなりません。

一例を挙げると、今まで市民中心のまちづくりに対して専門家は「イベントづくりやまち歩きばかりで、ちっとも目に見える成果や、今後につながる蓄積ができないではないか」という疑問を呈してきました。しかし、その疑問は少し的外れのようです。イベントすることで、皆がつながることが現段階での目標であり成果なのです。

このようにハードが主役の『都市計画」がソフト主役の「まちづくり」に置き換えられてきているのですから、まちづくりの主要局面でのハード専門家の役割は小さくなると思います。専門家がいろんな事例や法規を知っているとは言われますが、多少の知識不足などは勉強家の市民にとってはなんらハンディではありません。

では、私たち専門家に期待される役割はどのようになるのでしょうか。私が昨日の議論の中で考えたことは次のようなことです。

私たちの暮す環境がハードの集積であるという単純な事実に変わるところはありません。そして都市化を終え、成熟の時代を迎えた私たちが「都市で美しく暮す」という目標をもつことに大きな異論はないと思います。専門家は美しく暮すデザインを提示することが求められます。その場面での専門家の役割は増すことはあれ減ることはありません。どんなに家作りの本をたくさん読んでも、モノをつくるトレーニングを積んだデザイナー・建築家が加わらなければ、よい結果にいたらないことは間違いないところです。

上記のデザイナーとしての役割というのは、実際に物を設計するという意味に留まるのではありません。以前紹介しましたhttp://takatani.blog.ocn.ne.jp/blog/files/America081222.pdfが、シカゴ郊外のフォレストパークの市民が集まり、開拓時代の様式に家を改装するまちづくりを始めた時に、州政府の専門家がストップをかけました。杉のこけら葺の外装ではなく今その地域でもっとも手に入りやすいライムストーンの街なみを作るべきだという方向転換です。開拓時代に戻るという選択肢が正しいかどうかの絶対的な判断基準があるわけではありません。しかし少なくとも専門家は頭の中でしっかりいろんな将来イメージを構想した上で市民に提示したに違いありません。すなわち、専門家としてのハードについての「構想力」が多くの人を説得したのです。これもデザインの力だといえるでしょう。

また美しく暮す都市空間を実現しているヨーロッパや北欧都市が「計画なくして建設なし」という原則を持っていることはよく知られています。その計画をつくるのは自治体の建築家、都市計画家です。ハードの姿を都市全体を見ながら考える役割ですから、市民には難しい、まさにわたしたちハードの専門家にふさわしい役割です。そういった体制に日本も近づいてくるのではないかと思います。決して、ヨーロッパのまちのような街なみを日本に造ろうということではありませんが、レベルのあまりにも低い建築や都市施設を野放図に許容する時代は終わると思います。そのときにはまさにハードの専門家が都市づくりのレベルで大活躍することになるはずです。

以上まだまだ深く考えるところまでいたりませんが、思いつくままのメモを記しました。

 

 

 

記事一覧 設計計画高谷時彦事務所へ

高谷時彦記 Tokihiko Takatani


青梅K-Houseが竣工しました

2010-02-20 17:43:16 | 住宅 Housing

 

青梅のK‐Houseが竣工しました。

Khouse01

Kさんは私の30年来の知人で、今までいろんなところで

お世話になったり、一緒に仕事をしたりしてきました。

このたび自宅となりの土地を購入し、アネックスをつ

くったものです。

Kご夫妻は本好きで、数千冊の本をお持ちです。私は、

「本とそれを読む人」がぴったりおさまるような住宅を

作りたいと思いました。

2階は本を読んだり、ものを書いたりするコーナーと本箱

が主役です(下の写真:撮影はKさんの後輩のUさん。撮影

有難うございます。使わせて貰っています)。

_dsc8246

2階から眺めると下の写真のようになります。南側には大

きな開口を取りました。Kさん選定のワインレッドのブラ

インドが空間を引き締めています。廊下の正面には本宅と

の通用玄関の扉(タモで作りました)が見えます。

_dsc8255

再び本箱です。大工さんに無理をお願いして、筋交い入りに

してもらいました。本が並ぶのが楽しみです。そして斜め材

を入れてできた三角形のスペースにはK婦人がいろんなもの

を飾ってくれそうです。

_dsc8295

今、本宅とアネックスをつなぐ木デッキを工事中です。南に

広がる森を見ながら、デッキでKさんたちとこの住宅について

語り合うのが楽しみです。

 

 

記事一覧 設計計画高谷時彦事務所へ

高谷時彦記 Tokihiko Takatani