まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

横浜関内・紅葉ヶ丘建築ツアー

2022-03-21 14:53:55 | 建築まち巡礼関東 Kanto

高松高校同級のOさんに誘われ、横浜関内・紅葉ヶ丘の建築ツアーを愉しみました。行きたいと思っていた「都市デザイン横浜展」(帝蚕倉庫を改修したBankart Kaikoで横浜市都市デザインの50年の歩みをまとめた展示)を、皮切りに、紅葉ヶ丘の前川国男建築群を散策。

都市デザイン展は大盛況でした。私も、槇事務所にいた時には横浜の都市デザイン室や開発課の仕事を担当していたので、大変懐かしくもありました。この50年間、ぶれることなく、横浜独自の「都市デザイン」を実践し、その成果は一般市民の目にも明らかに分かるようになってきました。市民の生活の質を向上させるだけでなく、みなと横浜のイメージアップにもつながり、内外の観光客を呼ぶことにもつながっています。

特別に勉強するというのではなく、街並みや建築から自然に「歴史が感じられるまち」になったのも「都市デザイン」活動の成果でしょう。

「にぎわいの形成」を求めて特効薬を探し続ける多くの都市にとって、横浜都市デザイン活動の50年の歴史から学ぶことは尽きないと思います。

Oさんのなじみのイタリアレストランで軽く食事をして、音楽堂や県立図書館の集まる文化ゾーンである紅葉ヶ丘へ。お目当ては建築家前川国男の残した建築群を愉しむことです。

写真は音楽堂、1954年築、専門の音楽ホールとしては芸大の奏楽堂に次ぐものだそうです。奏楽堂は明治23(1890)年築ですから、その間は生音主体の本格的なコンサートホールがなかったということのようです。

今回音楽堂と県立図書館を一緒にゆっくり見ることができました。前川国男のスケッチ(南から見て右手に音楽堂、左手に図書館)を見ると2つの建物を高低差をうまく利用しながら、また平面的には雁行させて配置することを通して、南側に都市的な広場をつくる意図があったことが良くわかります。また、二つの建物をつなぐブリッジの向こうにもう少しプライベートな雰囲気の奥庭をつくり、手前のひろばとは違う二つの広場・空地をつくろうとしていたことも、スケッチに描かれた大きな木などから読み取れます。

今回そういうことを意識して、奥庭のほうに行ってみました。2棟をつなぐブリッジ越しに南の開放的な広場を見返しています。

図書館のブリーズソレイユがきちんとしたリズムを刻んでいて、音楽的?なようにも思えます。

 

音楽堂の中のホワイエ。座席下の空間をうまく使っています。

床はテラゾー。

音楽ホールの階段としては、質素ですが、さわやかで清新なデザイン心が感じられます。

さあ、私も頑張ろう・・・という気にしてくれる、愉しい建築ツアーでした。Oさん、ありがとうございました。

P.S.

それにしても幸せな建築です。1990年代だと記憶しますが、壊して高度利用のために再開発しようということで、計画づくりが始まっていたのを思い出します。今はボランティアの皆さんに解説され、大切に使われていくことになっています。一方、この音楽堂の数年後にできた世田谷区民会館、区役所は悲惨な運命をたどっています。どちらの建築も都市の広場・市民の広場を持ち、市民に使いやすいように工夫が込められた前川建築です。何が運命の分かれ道となったのでしょうか?

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko Takatani

architecture/urban design