まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

調布銀座から駅へ

2010-12-25 19:47:20 | 建築まち巡礼東京 Tokyo

今日は朝のテニスに起きられなくて、そのまま事務所に向かいました。

休みの日には自転車を調布駅の近くに置きます。今日は調布銀座を通りました。

調布銀座は、D/H(ディーバイエイチ:沿道の道路幅員を建物高さで割ったもの)が1.0以下の路地的様相を持っています。D/Hが1をきると一般に「囲まれた」という印象が強くなりますが、銀座の場合道がクランクしていることで正面にも建物が見えます。そこことがさらに囲まれたという印象を強めています。

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こういう路地的な道は日本だけでなく世界中にあると思います。

例えばイタリアシエナ。D/Hは0.5をきっているでしょう。しかも正面に建物が見えます。

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南欧だけでなくストックホルムのような北の町にもあります。

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しかし、印象がまるで違うのは、銀座で見える要素の数の多さでしょう。建物の輪郭線や建物の立面はほとんど見えていません。立面を構成するのは、商品と看板と電柱などといっても良いでしょう。

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アジア都市に共通する特徴かもしれません。私たちが、まちなみ景観を論じる場合、ついついこの現実(商品や非建築の付属的要素が景観の主要構成物であること)を忘れてしまいがちです。ヨーロッパ的な壁ではなく日本の都市のとらえどころのない複雑な表層を考えていく必要があるのでしょう。私たちが歴史的につくってきた現実を是とするところから景観の議論を始めないといけない、遅ればせながらそんなことを思っています。

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JUDI忘年会

2010-12-22 01:04:45 | 建築まち巡礼東京 Tokyo

都市環境デザイン会議(JUDI)の忘年会をかねたまち歩きに参加しました。若干風邪気味でしたが、下町の路地や建築を楽しく見ることが出来ました(2010.12.18)。

とりわけ印象深いのが常盤小学校(1929年築)です。です。関東大震災の復興小学校の名作のひとつです。震災復興小学校は、後藤新平のもとで佐野利器などが計画の中心となり、表現主義的な建築スタイル、そして公園と一体化した平面計画などで知られています。中央区の計画で取り壊される運命にあったのを、この小学校で学んだ小沢宮城大教授他の人たちの粘り強い運動で今も現役を保っているそうです。近代建築保存の数少ない成功例です。

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しかし、驚いたことに、建築界の重鎮岡田信一郎や吉田五十八が関係しているというのが案内してくれた小沢さんの説。岡田、吉田のお二人とも東京芸大建築学科に深い関わりがありますが、ちなみに小沢さんも芸大OB。

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上の講堂にはトップライトがありました(右写真)。

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インテリアを見ているとデュドックなどオランダ建築も思い出されます。しかし、私がこの建物を見ていて頭から離れなかった建築が二つあります。

ひとつは、山形県鶴岡市旧大山小学校「オマル校舎」(1934年築)。ずいぶん雰囲気が似ています。次に示す階段室や、水のみ(足荒い)場も同じようなのがあったように思います。呼び名のもととなった円形の外壁をとっても表現仕儀の作品といえます。取り壊しになると聞いていますがどうなったのか?

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もうひとつは、たまたまその日の午前中に見た前田侯爵邸です。くしくも同じ年の竣工(1929年)。しかし、様式はまるで違います。

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イギリスのネオゴシックを簡略化したテューダー様式ということになる(解説看板)そうですが、同じ時代にこれほどまでに違う様式が共存していたというのはいまさらながら驚きです。もちろんすでに丸ビルなどのアメリカ式のオフィスビルも建っているわけです(1923年築)。1920年代前後は明治からの様式建築を守る人たち、日本古来の建築を現代的に発展させようという人たち、あるいはRCなどの新しい技術に対応した表現を見つけようとする人たちなど多くの価値観が入り乱れた時代です。

またヨーロッパではすでにアールヌーボーの時代が終わり、モダニズムにつながる新しい建築運動が各地に台頭しています。それらの影響も受けていたわけですから、本当にいろんな表現の建築が町に見られたことでしょう。さらに、先日紹介したRC造のJR青梅駅(1924)と同時期の国立駅(1925)は木造だったという構造の多様性についても思い起こしたほうが良いかもしれません。

JUDI見学会に同行してくれた曽根幸一先生が、「常盤小に関係した岡田信一郎は器用にどんな様式でもやってのける熟達のひとだったんだ」と教えてくれました。驚いたことに彼はこの直後にアメリカンボザール流の古典的な名作、明治生命館を作っています。すごい時代、すごい人たちの時代だったのです。


再び青梅で猫と出会う

2010-12-11 15:44:54 | 建築まち巡礼東京 Tokyo

青梅のテニスにはこの一年間2、3回しか参加できませんでした。ひとつには肩が痛くてボレーが出来ないこと、もうひとつはほとんど休みがなかったこと、以上の理由です。まだ真上に手を上げるのが怖い状態ですが、とりあえず肩が廻るようになったので、先週から、お邪魔するようになりました。土曜の仕事は、午後出勤ということになります。

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テニスの帰りに駅に向かう途中今まで気づいていなかった猫ハウスを発見しました(上写真)。猫の密集具合や作品の質の高さからいうと、おそらく青梅でも有名な猫ハウスでしょう。なぜ今まで気づかなかったのか、不覚です。もしかしたらとなりの空き地に家が建っていたのでしょうか。

家の妻(側面)がほとんどギャラリー状態です。

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近寄ってみましょう。ティンゲリーを思い出させる彫刻です。

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いろんな猫がいます。抽象的でいて、ちゃんと猫らしさのあるのが次の作品です。

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正面に廻るとステンドグラスや看板など多彩な表現です。もしかしたらここが青梅猫の本家なのかと思ってしまいます。時間のあるとき調べて見ます。

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玄関には,たくさんの猫が寝ています。

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猫と別れ青梅の駅に向かいました。以前にも撮ったかもしれません。タイル建築。昭和30年代あたりと思しきこの過剰な表現が今になると、ひとつのスタイルとして懐かしいものに見えます。

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駅舎は大正建築(1924頃)です。当時は、同時期の国立駅などにみられるように木造駅舎が多かったことと思います。大変モダンなデザインのRC建築です。1920年代といえば分離派の活躍した時代。側面の煙突周りなどにもそんな趣が少し感じられるような気がするのは読みすぎあるいは読み違い?

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