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まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

大阪倶楽部(安井武雄1924)

2025-04-03 17:24:11 | 建築まち巡り近畿 Osaka, Kansai

TDA(NPO法人景観デザイン機構)の大阪研修の初日は難波広場に午後集合。午前中のあき時間を利用して淀屋橋周辺の建築巡りをしました。

まずは大阪倶楽部。1924年竣工、安井武雄の「自由様式」だそうです(橋爪紳也、倉方俊輔ほか2015『生きた建築大阪』株式会社140B、及び1階ホールの掲示パネル説明を適宜引用しています)。

(上写真)全景。

(下写真)正面から見ると、イタリアの都市建築であるパラッツォ風。設計者は「南欧風の様式に東洋風の手法を加味せるもの」と解説しています。

軒回りペディメントの位置にある装飾は、インドのアショカ王由来のサーンチ―遺跡から引用しているそうです。また玄関ポーチ脇の自立柱もインド風とのこと。自由ですね。

(下写真)こんな感じ。

(上写真)外壁レンガ(建物はRC)の多彩な表情には驚きます。

(上写真)開口部廻りのディテールも繊細です。メダリオンにはOとCを組み合わせたロゴがあります。おそらく大阪Oと倶楽部Cの組み合わせでしょうか。

(上写真)アーチと組み合わせた窓もあります。

(上写真)中に入ると当時のままのようです。

(上写真)会員用のクラブ室です。

(下写真)エントランスホールには泉盤も残っています。

(下写真)中心にいるのは邪鬼とのこと。

(下写真)ホールには、現建物の前の大阪倶楽部の写真が展示してありました。

(上写真)木造3階建て。設計は野口孫市、長谷部鋭吉の住友コンビなんですね。野口孫市の大阪図書館は翌日見る予定です。

残念ながら、部屋の中には入れませんでしたが、外観やエントランスホールは体験できました。確かに安井武雄が自由に造形をしています。20世紀初頭のこの時期は、世界中でいろいろなスタイルの建築が花開いた時期だと思います。日本においても、ヨーロッパの歴史様式建築を学び受容する時代は終わり、1920年には分離派宣言、その後はインターナショナルスタイルも加わり、かなり自由な造形の時代だったのだと思います。ちなみに大阪倶楽部の10年前にグロピウスのファグス工場、大阪倶楽部とほぼ同時期にバウハウス(デッサウ)が竣工しています。世界中でいろんな新しい試みがなされ、建築としては面白い、刺激的な時代だったのでしょう。

高谷時彦 Tokihiko TAKATANI

建築・都市デザイン architecture/urban design

設計計画高谷時彦事務所 STUDIO TaK

 

 

 

 


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