TDA(NPO法人景観デザイン機構)の大阪研修の初日は難波広場に午後集合。午前中のあき時間を利用して淀屋橋周辺の建築巡りをしました。
まずは大阪倶楽部。1924年竣工、安井武雄の「自由様式」だそうです(橋爪紳也、倉方俊輔ほか2015『生きた建築大阪』株式会社140B、及び1階ホールの掲示パネル説明を適宜引用しています)。
(上写真)全景。
(下写真)正面から見ると、イタリアの都市建築であるパラッツォ風。設計者は「南欧風の様式に東洋風の手法を加味せるもの」と解説しています。
軒回りペディメントの位置にある装飾は、インドのアショカ王由来のサーンチ―遺跡から引用しているそうです。また玄関ポーチ脇の自立柱もインド風とのこと。自由ですね。
(下写真)こんな感じ。
(上写真)外壁レンガ(建物はRC)の多彩な表情には驚きます。
(上写真)開口部廻りのディテールも繊細です。メダリオンにはOとCを組み合わせたロゴがあります。おそらく大阪Oと倶楽部Cの組み合わせでしょうか。
(上写真)アーチと組み合わせた窓もあります。
(上写真)中に入ると当時のままのようです。
(上写真)会員用のクラブ室です。
(下写真)エントランスホールには泉盤も残っています。
(下写真)中心にいるのは邪鬼とのこと。
(下写真)ホールには、現建物の前の大阪倶楽部の写真が展示してありました。
(上写真)木造3階建て。設計は野口孫市、長谷部鋭吉の住友コンビなんですね。野口孫市の大阪図書館は翌日見る予定です。
残念ながら、部屋の中には入れませんでしたが、外観やエントランスホールは体験できました。確かに安井武雄が自由に造形をしています。20世紀初頭のこの時期は、世界中でいろいろなスタイルの建築が花開いた時期だと思います。日本においても、ヨーロッパの歴史様式建築を学び受容する時代は終わり、1920年には分離派宣言、その後はインターナショナルスタイルも加わり、かなり自由な造形の時代だったのだと思います。ちなみに大阪倶楽部の10年前にグロピウスのファグス工場、大阪倶楽部とほぼ同時期にバウハウス(デッサウ)が竣工しています。世界中でいろんな新しい試みがなされ、建築としては面白い、刺激的な時代だったのでしょう。
建築・都市デザイン architecture/urban design
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