まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

建築の価値とは(3)ー再び前川建築と松本電気館ー

2022-03-27 23:16:17 | 建築・都市・あれこれ  Essay

曲がりなりにも、用を終えた建築の価値についての整理を試みた(建築の価値(1)、(2))。

 

ここで再び最初の問題意識に戻る。

松本電気館では「建築的価値がない」ので歴史を伝えるファサード以外は改築してしまおうとしているようだが、本当に「建築的価値」はないのだろうか。

すでに調査がなされているのであれば、私が余計な口を出す必要もないし、現場で取り組んでおられる方々に失礼なことである。しかし、もし調査がまだなのであれば、小幡楼も私たちが調査する前には「建築的価値」がないといわれていたということもあったので、少しだけ、部外者からのコメントをお許しいただきたい。

電気館のある地元上土商店街の方も触れられていたように、大正前期(関東大震災前)につくられた松本電気館は、大正後期(関東大震災後)から昭和初期に流行りとなった「看板建築」的な姿をしてる。創建時からそうであったのか、震災後に改築されたのか、どちらなのか。看板建築名付け親の藤森先生によると、常設映画館が生まれた20世紀初頭から全面看板建築というスタイルがあったという(藤森2019)。改修の痕跡なども含めて調べてみるといろいろわかるのではないか。

また看板建築だとしても、ファサードだけに価値があるということはあるのだろうか。ファサードの背後にどのような建築形式や使い方があったのか、ファーサードだけは別という考え方がどういう構法を生み出したのかなど興味は尽きない。江戸東京博物館にある看板建築も決してファサードだけを移築展示するのではなく背後にある生活空間と一体のものとして、看板建築をとらえているということも、大きな示唆を与えてくれるのではないか。

前回のブログで曲りなりに整理した価値のうち、「典型性、代表性にかかわる価値」や「作品としての価値」についてもぜひ、調査をしていただけると、いいのではないか・・・部外者の勝手な希望をのべた。

 

またもう一つの関心事である前川建築。これはすでに書いた通り、建築的価値は、神奈川県音楽堂も世田谷区民会館も十分に関係者に認識されている。

振り返ってみると、神奈川県音楽堂も、価値を認識しているにもかかわらず、1990年代に取り壊して高度利用しようとされていた。検討をリードされていた方は、高名な都市計画家であり、建築の価値も十分に認識されていた(大変優れた業績をお持ちの方)。しかし、その当時には「高度利用・土地の有効活用」という価値観も広く共有されているところであった。前川建築が保存継承される方向に舵を切ったのはその都市計画家のリーダーシップ故であったかどうかは知らないが、背後に県民の無言の支持があったのであろう。

無言の支持という点では、弘前の前川建築も市民の支持を受けてきちんと保全、継承されている。市役所を見学した時に案内してくれた市職員が「耐震補強をすれば使えるし、市民の財産ですよ。壊すなんて誰も考えませんでした」といっていたことを思い出す。

残念ながら世田谷区民会館・区役所には区民のバックアップがなかったということだろうか。それにしても21世紀のこの時代に、膨大な廃棄物を生み出して、巨大な構造物を無理やり狭い敷地につくろうとしている区の感覚には、驚きしかない。

同じような驚きは、鶴岡まちなかキネマの劇場空間や多目的に使われるエントランスホールを解体して事務室などに使うという計画を聞いたときにも感じた。「美しい劇場空間を壊して事務室にするなんて、価値のわからない人のすることだ」というUさんの言葉が胸に突き刺さる。Uさんは私が長々と書いてきた、建築の価値についてたった一言で表現してくれた。建築の価値を理解するということは、簡単なようで、意外と難しいということをつくづくと感じている。

 

参考文献

藤森照信2019『藤森照信のクラシック映画館』青幻舎

 

高谷時彦 建築・都市デザイン

Tokihiko Takatani    arcitectre/urban design