まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

高谷研究室の活動展示

2008-10-28 11:57:45 | 建築・都市・あれこれ  Essay

大学祭(公翔祭)で研究室で行ってきたまちづくり活動の展示を行いました。

院生の村山さんたちが中心となり、プロジェクトごとのパネル、内川を中心とするエリアの模型、今地域資産として注目している鶴岡魚市場の現況模型、内川再発見プロジェクトいのポスター(院生高城豪作)などを206教室に並べました。会場入り口には内川再発見プロジェクトのビデオを流し、多くの人たちに楽しく私たちの活動を知ってもらえるようにしました。

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高谷時彦記 Tokihiko Takatani


再開発を考える3

2008-10-28 01:25:05 | 建築・都市・あれこれ  Essay

人の存在を捨象して場所の可能性、潜在力にだけ注目するならば、その場所の経済的ポテンシャルに生かした土地利用に空間を再編していくことが正当なものとなります。すなわち、駅前のような「一等地」はそれにふさわしく高度利用されるべきで、それに反対する個人は公共の利益に反する存在ということになります。

しかし、その「わがままな」個人の集合が、少しずつおおやけに開いたようなかたちで、協働していくことはできないでしょうか。

わたしが建築設計の課題を出すときに学生によく言うことがあります。

「まずは自分が何をやりたいのかはっきりさせ、自分が思うところややりたいことから出発しなさい。しかし、最後の提案をまとめる時点でも、自分の思いにとどまっていてはいけません。自分の案が、自分の思いを超えて、地域が必要としている提案であるというところまで持っていってください」。

学生が、こうしたい、ああしたいという願望にとじこもっていては、最後までその提案は、「個人的な」レベルにとどまっています。しかし、自分の思い、現状に対する違和感を相対化、客観化して捉えることに成功するものは社会的な批評性を持つ案にまで到達します。それがオリジナルなものかどうかは別にして、社会に提案するべき価値のある案にはなっていきます。

地域における個人も批評性を備えた市民となることで、公を担う存在となりうるように思います。そういった市民の個々の都合を最大限に尊重しながら、地域空間を再構成していくやり方がないものでしょうか。

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高谷時彦

 

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高谷時彦記 Tokihiko Takatani


再開発を考える2

2008-10-26 15:45:43 | 建築・都市・あれこれ  Essay

場所/ひとから考える

私たち建築・都市デザインに関わるものは、対象となる敷地・場所のコンテクスト(文脈)を読みその潜在的可能性を引き出すような提案を心がけます。この姿勢は、基本的には周りの状況に表層的にとらわれるのではなく、歴史や空間構成の原理を読み込み、よりその場所のもつ本来の性格にふさわしいものをつくろうとするものです。

しかし、場所からモノのありようを導き出そうとすれば、その場所の経済的なポテンシャルを最大限にするといった発想とある意味ではつながる部分があります。先日の再開発の話でいうと場所から導かれる経済合理性で空間を再編成しようという態度です。

そこで考えないといけないのは、その場所に関わってきた人という視点です。その場所の空間の履歴(桑子敏雄先生の言葉です)にはそこに関わってきた人の営為、いとなみも含まれます。あるいは、空間の履歴を背負った人の存在(すなわち人・空間の入れ子構造)を抜きにしては、空間の持っている可能性を語れないともいえます。

ここに、人の経験の場として空間・場所をとらえる都市デザイン的な方法論の必要性があります。別のところにも書きましたが、藤沢周平氏が珍しく鶴岡に建設される高速道路のことで反対論を述べられていました。その高速道路は、場所の可能性や潜在力を生かすという発想からは正しい位置に建設されていたに違いありません。しかし、その場所に生身の身体を持って関わってきた、あるいは関わっている人間から見るととんでもない誤った選択であったということを氏は申し立てているのです。

私の恩師である大谷幸夫先生は建築家は空間・機能・主体という三側面から設計や計画の問題を捉えないといけないとおっしゃっていました。当然そうだと判ったような気になっていましたが、大変重い課題を私たちに提示されていたのだということにいまさらながら思い当たります。

 

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高谷時彦記 Tokihiko Takatani


再開発を考える

2008-10-25 01:58:14 | 建築・都市・あれこれ  Essay

高松/鶴岡から再開発を考える

再開発事業はその場所の持っている経済的ポテンシャルと、その場所の実態の差を経済的合理性の軸に沿って再構築するものであるといえます。たとえば、20世紀後半に駅前の法定再開発事業が流行しました。これは、駅前というポテンシャルがあるにもかかわらず、小さな個人事業のお店が並んでいるという現状に対し、その場所の経済的ポテンシャルに「ふさわしく」高度の土地利用を進めるために土地を集約化し、大規模な店舗などのその場所にふさわしい機能を導入するというものです。鶴岡でもその流れの中で駅前が再開発されました。

その場所のポテンシャルが第一義ですからそこに住んでいる人は地区外移転してもしようがないという考えです。もちろん既得権を持つ人はその場所で、ポテンシャルと実態のギャップがうみだす経済的利益を享受することもできます。

その場所にふさわしい高度の土地利用を増進することが公の利益にかなう、すなわち公益的であるという考えがあり、それゆえに国の補助事業として再開発事業は位置づけられています。

私の故郷である四国の高松市丸亀町商店街の再開発は今全国的な脚光を浴びていますが、まさに上記の考えを実践したものです。企画力実行力を備えた地元リーダー、国と密接な関係を構築することのできる優秀なコンサルタントの二人三脚によって再開発事業をみごとに成功させました。高松の中で最も優れた立地の商店街が、そのポテンシャルを十分に活かし、全国ブランド店や、大型書店などを導入して地域の一番街としてのパフォーマンスを達成したわけです。

一方現在の私に縁の深い鶴岡の商店街でも、まちの活性化を目指した取り組みが続けられています。しかし、かかわっている方に聞くと、この地では必ずしも人々が経済合理的な行動選択をしないということです。その場所のポテンシャルを十分に活かした方向にみんなが向かえば、利益が得られることがわかっていても、自分の土地に執着したり、先祖代々の職業にこだわったりしてなかなか共同行動が取られないようです。

ちなみに、先ほど例示した高松市丸亀町商店街は、400年以上続く歴史ある商店街ですが、人はどんどん入れ替わり、またそこに長く店を持つ人も同じ商売をしているわけではないとのことです。まさに、その場所が人や商売のあり方を選択しているわけで、そこにかかわる人が職種や、場所にこだわる鶴岡のようなあり方とは対照的な様相です。

しかし、どちらの考え方が、本当の意味で公の利益にかなっているのか、公益的であるのか今一度考えるべきテーマであるような気がしています。その場所や、自分のこれまでのこと(先祖からの職業云々)にこだわりながらも、公を担うようなあり方がありえないものか、そんなことを考えています。

 

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高谷時彦記 Tokihiko Takatani


東京天文台の近代建築

2008-10-25 01:12:24 | 建築まち巡礼東京 Tokyo

東京天文台はモダニズム初期建築の宝庫です。

18日の土曜日に近所の東京天文台を散歩しました。こんなに近いのに今まで来ていなかったことが不思議なほどです。

見学できるのは望遠鏡で天体を観測をするための建築です。天体観測といういわば単一機能のための建築です。それがどうしてこれほど豊かな内部空間と何かを語りかけてくる知的な饒舌さといったものを備えているのか、考えさせられます。観測のためのメカニズムと天空の形状に対応したドームの形式も、決してメカニカルな道具あるいは「ビルディング」ではなく人の活動する容器としての「建築」となっています。

森の小径の行き止まりにあるアインシュタイン塔など、一日中でも見ていたい建築です。また今は半分朽ち果てている旧図書館の外部階段など、この建築にかけた設計者の情熱が伝わってきます。

  P1040784P1040799アインシュタイン塔       旧図書館の階段

 

 

 

 

 

 

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