まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

建築の表層は着替えることが可能?

2023-03-29 19:36:58 | 建築・都市・あれこれ  Essay

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衣服は人を覆い隠すものですが、その人となりを映しだします。建築も中にいる人たちを覆い隠しはしますが、その人たちの活動や考え方を映し出す・・・とはよく言われることです。

ここで少し考えてみます。

「〇〇カメラ」(特に固有名詞には深い意味はありません)のお店が発しているのは

「品も格もひとまず横に置く。なりふり構わず安さで勝負」というイメージでしょう(下写真はWEBページから引用しました)。

しかし、「〇〇カメラ」の本社は別のメッセージを発出しています。「品格、良識、責任感、堅実性などのある会社」というメッセージでしょう。

同じ会社が場所や立場により、社会に発するメッセージを変えているんですね。ちょうど人が衣服をTPOで変えるのと同じなのでしょうか。

確かに大手製鉄会社の東京本社は、臨海にある製鉄所のイメージとは遠いところにあります。それは用途・機能の違いです。「〇〇カメラ」の場合も、お店と本社という用途・機能の違いが反映しただけといえばそれまでですが、この「建築の表層の都合よい使い分け」には、少し考察するに足る価値がありそうです。宿題です。

高谷時彦 建築・都市デザイン

Tokihiko Takatani  architct/urban designer

 

 

 

 

 


Lec1:はじめに 地域風景の構想(地域デザイン論)

2023-03-27 14:44:19 | 地域風景の構想 design our place

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地域デザイン論ー地域風景の構想ー Lec1

 

はじめに

(1)庄内の風景との出会い

 私は、2005年から2020年まで山形県鶴岡市にある東北公益文科大学大学院で研究室を持ち、大学院の学生とまちづくりの研究や実践をしてきました。また、並行して、大学院のある鶴岡市や大学のある酒田市、それらを包含する庄内地方において建築の設計活動も続けてきました。

<スライド1>

 庄内での最初の設計活動は鶴岡中央児童館(1999)です。敷地は小学校の跡地。跡地を見に行くとまだ当初廃校になった小学校校舎がありました。校舎の中をのぞくと、子供たちの描いた絵が額に入っています。中庭には白樺の林。外を見ると小さな築山があります。スキーの練習や、そり遊びをしていたとのことです。私は校庭の全体を眺めようと築山に登りました。木造校舎の瓦屋根そして中庭からは白樺のこずえが見えます。すると思いがけず、遠くに月山を中心に連なる山々が白く輝いています。実に神々しい。私はこの風景を継承できないか、具体的には既存の校舎を使えないかと発想しました。それまでは保存や改修にとりわけ興味があるわけではありませんでしたが、目の前の地域にしっかりと根付いた風景に対峙するなかでの自然の思いでした。

<スライド2>

 その後も設計活動やまちづくりのいろいろな場面で、庄内という地域の風土や暮らし、人々そしてその人々が作り上げた風景と向き合うようになりました。町割りや歴史的建造物が残り、同時に暮らしの背景にいつも月山や鳥海山をはじめとする自然があります。豊かな自然を背景に人々の暮らしや営みが作り出す風景の豊かさを強く意識するようになりました。

 また人々が風景に自分たちや祖先のアイデンティティを重ねていることにも気づかされました。例えば2008年に大ヒットし、翌年のアカデミー賞も取った映画の「おくりびと」。庄内をロケ地としています。夢破れて都会から故郷に帰ってきた主人公が鳥海山を背景にチェロを弾く姿が印象的です。どうしても心の傷をいやすには、背景に鳥海山が必要であったのです。また、出羽三山の修験の集落、手向との出会いもありました。山伏(住民)の精神やいとなみと、山々や修験のまち並みが不可分に結びついています。大自然とともに自分たちが築き上げた風景の中に人々は生きているという印象がします。この地域らしい確かな風景がここにはあります。人々のいとなみが深まれば深まるほど豊かになる風景です。それを地域風景と呼ぶこととします。

 東京にいたころにはあまり意識することのなかった地域風景との出会い。地域風景は人々の歴史やその地域の風土と結びついています。建築設計とは、何も書かれていない白い紙に、線を書き、今までそこにはなかった構築物の姿を提案していくことです。新しさを求める姿勢と不可分といえます。しかし私は庄内の風景、人々との出会いを通して、設計者として創造すべき新しさと、地域の歴史文化、風土をどう継承し、地域の風景の中にはめ込んでいけばよいのかということを自分のこととして考えるようになりました。

<スライド3>

 

(2)日本全体では、風景の均一化が進行、庄内も例外ではない

<スライド4>

 ここで、日本全体を考えてみます。明治以来、とりわけ20世紀後半の戦後復興から高度成長に至る中で、地域らしさはどんどん失われてきました。分かり易い例を挙げます。バイパス道路沿いの風景はどこに行っても同じです。駐車場の海の中にポツンと浮かぶ箱型の建物。外観には工業製品である新建材を纏っています。新しいほど性能が良いのが工業製品です。建築の外観は常に新しく、ピカピカの状態に更新されています。さらに外観は企業イメージを演出する広告に彩られています。

 個々の建築は自由に表現しています。しかし全体でみると、量販店の棚を思い出してしまいます。それぞれのメーカーが性能と価格を競い合って差別化を図った品物を並べているのに個性のある風景とは言えません。深みや奥行き感を失った風景といえるでしょう。

 また地方都市では人口の自然減、社会減が進行し、今まで中心部といわれていた場所にも空き家空き地が目立っています。中心部の空洞化であり、歴史的な市街地は空隙の多いスポンジのようになりつつあります。かつては多くの人が住み、そのまちを代表する繁華街からは特徴あるまちかどや、最新のファッションに身をまとった人々の姿が消えてしまい、ここでも均一的な寂しい地方都市の風景が蔓延しています。

<スライド5>

 上記の事柄は庄内といえども例外ではありません。例示した郊外店の風景や中心部のさみしい風景は、どこにいても同じ品質あるいは高品質の商品が手に入る便利さ、車でどこにでもアクセスできる利便性という私たちが求めるコインの裏側といえます。地域風景の喪失、風景の均質化は、近現代の社会経済条件のもとで、私たちの利便性を求める精神の副産物なのです。すべてのものが商品となり消費されていく資本主義の一側面ともいえます。とりわけ20世紀の後半のように、経済が発展し、まちが水平方向にも、垂直方向にも大きくなっていく時代には避けられなかった風景かもしれません。

 

(3)風景の変貌と建築、都市デザイン

 私たち、建築や都市デザインに関わるものは、上のような問題に、どのように関わってきたのでしょうか。

 産業革命に連なる19世紀の大都市過密問題を解決する中で生まれた近代都市計画は、基本的には、新しい社会が追い求める、合理性で機能的な都市をつくることに貢献してきました。CIAMが提示した太陽、空気、緑に恵まれた住宅地イメージ、そして用途によって明快に分けられた機能主義的都市計画は、工場と住居が混在し、日の当たらない不衛生な地区に多くの人が密集する状態の対極のイメージを提供しました。しかしそれは同時に、都市内部においては、スクラップアンドビルド型の再開発(不燃化・高度利用)で歴史とは断絶された箱型建築の集積を生み出し、郊外においては用途純化された車依存の住宅地の大量供給(都市の拡大)を進めました。

 また決められた様式からの自由な造形を目指したモダニズム建築は、どこの国でも工業製品として一定の品質を保って供給されるインターナショナルスタイルを生み出しました。それが、先駆者である建築家たちの革新的で創造的な精神に学ぶことなく、単純な「ハコ」型建築を都市の内外で大量に供給することにつながったという側面も認めないといけないでしょう。

 成長拡大の時代は終わりました。成熟の時代には、合理性、効率性を追い求めることでは得られない、環境の質、生活の質が求められています。心豊かに過ごせる環境が必要です。心のよりどころとなる安定し持続性のある歴史を反映した風景が求められるのです。

 都市デザインの分野ではすでに前世期の中盤からJ. Jacobsに始まる、人間の営みを中心に据えるまちづくり活動も提唱され、建築や都市を歴史文化的な視点でとらえることも当たり前となっています。また建築においても、例えば槇文彦氏の代官山ヒルサイドテラス。20数年の歳月をかけてモダニスト建築家の槇氏がつくってきた空間は、地域の人に愛され心の中に共有される風景となっています。建築家としての資質だけでなく、現代社会に対する深い洞察、歴史文化への深い造詣に裏付けられた設計活動は、誰にでもできることではありませんが、少なくとも現代的な建築でも、人々に長く共有される地域風景を生み出すことができるということを確かに示してくれています。

(4)建築都市デザイン活動を通した風景づくり

 私たちの研究室活動は、歴史的な集落のまち並み、歴史的建造物、中心部の公共空間など多岐にわたる空間を対象としてきました。また私自身の設計の対象も、歴史的建築の再生から、街角の公共的施設、歴史的中心部での公共施設づくりと多岐にわたります。しかしそのすべてに通底しているのは、今も残る地域風景を大事にしていくこと、そして将来に長く地域風景として残されていくようなものをつくり出し、育てていこうという思いであったともいえます。

 地域風景を昔に戻すことは無理だと思います。それは、適当なたとえではないかもしれませんが、全国ブランドの醤油をやめて地場のものだけで暮らすようなものです。全国ブランドも受け入れながら地域の味も大切にして育てていくこと、その土地の材料や気候、造り方、樽などの違いが生む微妙な差、地域独自の味わいをたのしんでいくこと、そういったことは建築や都市デザインでもやれるのではないでしょうか。

 以上の思いから、私の16年間に及ぶ教員活動を締めくくる最終講義は「地域風景をデザインする」というタイトルになりました。本稿はその時の話を軸としつつ、庄内での活動が他の地方都市で地域風景をつくりたいと思う方々への参考になることを願い、これまでの活動や考え方をまとめてみたものです。

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko Takatani

architect/urban designer


連歌のようにまちづくり

2023-03-21 15:38:20 | 講義・レクチャー Lecture

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追加:連歌のようなまちづくりでどのような内川の雰囲気をイメージしているのか・・・・

自分で確かめるために簡単なスケッチを描いてみました。本当は、下記のお話をするときに示せばよかったのでしょう。後出しで失礼します・・・。

 

 

 

内川フォーラム(公益のふるさと創りつるおか主催)でパネルディスカッションの基調となる報告をする機会をいただきました。

内川は20年ほど前に護岸や、沿道の整備がなされています。下の写真のように川岸にも建物が建っていたのですが、それを撤去して「すっきり」した景観をつくったわけです。

川岸に建物があった方がよかったのではないかという声もあります(これには一理あります)が、まずは、「ごちゃごちゃとした景観をつくっていた(と思われていた)」川沿いの建物は撤去して、公園なども歩道や公演なども整備されたという事実を出発点としましょう。私たちの方法の一つは今あるものを生かすということです。

川がきれいになったのですから、次はその空間をどう使うのかということです。当然下のような期待が出てきます。

私が鶴岡の大学院で研究室を持ったのは。ちょうど河川区間の整備が終わり、次のステップへの期待感が市民の間にあった時だと思います。学生さんたちの発意で、次のステップをめざした社会実験が提案されました。2007年のことです。

社会実験はすべて学生の手作りです。タイトルは内川が「変わる」日となりました。

すでに水もきれいになっていたにもかかわらず、市民の意識は「汚いどぶ川」というイメージがありました。その意識を変え、そして新しい使い方をしていこう、沿道にも楽しい店を増やしていけないか、川というのはこんなに楽しい場所になるんですよ・・・そんな思いが込められた社会実験でした。このメニューもいいですね。

 

当日の様子です。

川に面した道も楽しい縁日のような場所になりました。

橋脚にも仕掛けが施されました。

三雪橋の赤い欄干とけんかするような青のペンキで塗られていた橋脚は、イベントのあと目立たない暗色の塗装に塗り替えてくれました。イベントの効果です。

少し昔ばなしになってしまいました。話を現代に戻します。最近の動きはどうでしょうか。

こんな楽しそうなイベントも行われているんですね。また、若い人たちが仕掛けているリバーサイドマルシェも面白そうです。

沿道を見てみます。川に面しているということを十分にいかした、デッキテラス付きのお店です。いいですね。

下スライドは、私が設計させていただいた、商工会議所会館。これも川に面していることを大いに意識した建物です。

以上のように2007年の社会実験以降、「いい方向」に向かっていることが多いのですが、一方では課題も

あります。難しい問題ですが、道路拡張に伴う歴史資産の消失。

それからこんなこともありました。川に沿ってはかつて馬市が開かれていたのですが馬をお祀りする神社もありました。今はなくなりました。また川に面して大きな開口部を持つ建物・・・よそ者の私にとっては「鶴岡らしい」いい建物だと感じるものでした・・・も今はありません。もったいない・・・。

また、これもしょうがない要素ではありますが、大きな駐車場。どうしても必要なもんなのでしょうが、川沿いの風情にとってはプラスではありません。

また、すでに川とは無関係だということで川に面して大きな壁を面している建物も出てきます。

今の状況をまとめてみます。下のスライドの左側です。中央部にあるように、イベントやアクションの継続をすると同時に、もう少し川と関係を持つ建物:内川に開いたお店や働く場、川を楽しむ住まいなどを増やしていくことが必要だと思います。そしてそれらが点で終わらずに、線としてつながり、輪になっていくようにしたいと思います。そういう一連の動きを「連歌」をイメージして、連歌のようにまちをつくってはどうか・・・というのが、今日の私の問題提起です。

連歌については、私よりも、今日ここにいらっしゃる鶴岡の方々のほうがずっと詳しいと思います。

松尾芭蕉が羽黒山から降りてきて、鳥居町の長山重行の屋敷で呼んだ句は皆さんご存知の「めずらしや山をいではの初なすび」です。鶴岡の皆さんは知らない方がいないほど有名です。この句は実は連歌の発句です。これに脇句、3の句とつなげていき、さいごの挙句に至るのが連歌です。

緩やかなルールに基づき、自由に句を付け加えていきながら、最後には一巻の芸術作品をつくる・・・そういう連歌に学びたいと思ったわけです。すでに読まれている句(お店やイベント)もあります。うまくつなげていくことが大事になってきます。イベントや、建物作りも、<「内川」をお題とした歌会に参加している>という意識でつくっていくのです。舟運があった時代や、川に直接面して料亭などがあった時代はともかくとして、近年は「内川に面している」という意識が共有されることはなかったのではないでしょうか。そこを変えたいと思います。

 

実は数年前に商工会議所会館を設計したときには、この建物が発句になれないものかと考えていました。

歌会のルールはしたスライドの赤字の3つの項目です。

 

歌会のルールその1は、①駐車場はなるべく川から離すということです。商工会議所会館の駐車場は川や大通りである羽黒街道からは直接見えないように配置されています。歌会ルールその2は②川を楽しむ居場所をつくるということです。これは下のようなカフェレストランとなって実現しました。

私のお気に入りの席から内川を望んだ写真です。いつの間にか春夏秋冬が出そろいました。しかし、食べているのは季節に関わらずカレーなんですね。そして第3の歌会ルール③川を感じる公共スペースは、下スライドの広い階段です。内川の水面だけでなく月山も遠くに見えます。

下のスライドにまとめます。

そして下スライドのように、次の句(脇句)につなげたいと思いました。

ただ、わたしの発句の力不足でした。残念です。

しかし、内川ではなく羽黒街道に沿っては、脇句が生まれました。タブのきポケットパークを受けて、市の方でも小さなポケットパークをつくってくれました。

商工会議所会館は、もちろん会館としては問題があるわけではありませんが、まちづくりの発句とはなりませんでした。歌会には、歌会の場所を設定し、歌人を集める亭主役が欠かせません。まちづくりにもそういう人が必要です。下の事例は東京下北沢です。小田急線路跡の細長い敷地を巡り、見事な連歌が詠まれていると思います。

しかしこの場合は小田急という一人の地主さんが自分の敷地を歌会の場所に提供して自分のお気に入りの歌人を集めたということでしょう。内川の場合には様々な地主さんや関係者がいらっしゃいます。どういうような場の設定が必要なのでしょうか。そんなことを、今日のパネルディスカッションで考えてみたいと思いました。

上スライドに記入したBIDやエリアマネジメントなどの、いろんな制度もあります。またすでに多様な主体が内川に関係しています。あとはまちの中の素晴らしい自然的環境であり、大きなポテンシャルを持つ「内川という価値」を共有する歌会の場をどのように設えるのかだと思います。後半のディスカッションに期待します。

これで私の報告は終わりです。最後に一言だけ・・・。実は連歌の別名は「かせん」です。つまらないダジャレで失礼します。ご清聴ありがとうございました。

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko Takatani

architect/urban designer

 

 


春の写真2枚、春を待つ写真1枚

2023-03-15 20:02:38 | 建築・都市・あれこれ  Essay

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昨日のお昼休みの散歩。事務所から多摩川へ。春のうららの・・・・。

こちらは、三日前の週末ランニングの時の公園。もう満開です。

そして10日前の鶴岡出羽三山、羽黒神社の鐘楼。見上げるほどの雪、雪、雪。しかし春は近い。

<花をのみまつらんひとにやまざとの、雪間のくさの春をみせばや・・・> 珍しく覚えてしまった歌。まさにそういう状態でしょうか。

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko Takatani

architect/urban designer


内川の四季ー鶴岡商工会議所からー

2023-03-09 10:38:07 | 公共建築 Public architecture

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鶴岡にいるときには、昼食を食べに、鶴岡商工会議所一階のサンクに行くことが多かったようです。お気に入りの内川に面した窓側の席から、時々パチリ、パチリ。気が付くと、内川の四季となていました。

しかしいつも、トマトカレーに珈琲という私の食生活は変わっていないですね。食事に無頓着なのか、はたまた大変なこだわりがあるからこうなっているのか・・・?。

鶴岡商工会議所は、内川を多分に意識して設計しました。写真家小川さんも私たちの狙いを感じ取ってくれています。

 

メインの階段室の中からも、内川が眺められるように考えました。下の左側は写真家小川さんの名カット。右側は私の素人写真ですが。頑張って遠くの月山も入れようとしています。

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko Takatani

architect/urban designer