まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

創造都市(CREATIVE CITY)04―ニューカッスル・ゲイツヘッド―その4

2009-09-28 17:10:24 | 講義・レクチャー Lecture

 

 

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創造都市として成功したと評価されているニューカッスル・ゲイツヘッドの再生プロジェクトですが、批判がないわけでもありません。

 

 

 

文化というテーマに対しては「文化主導ということは生産の縮小という現実を横に置いた対応ではないか」という意見もあります。また文化、アートをテーマにしたことで、市民の自分たちの町や環境に対する関心が高まり、いまは市民が誇りとする町になっているといわれていることに対しても、客観的データなしに安易にアートと市民意識の変化を結び付けるべきではないという意見もあるようです。

 

 

 

ただ、北の天使をはじめとする一連のアート関連プロジェクトにより、町の環境が変わ利、外部からも多くの人たちが訪れるようになったことが、市民の意識にプラス方向に働いていることはおおむね首肯できるのではないでしょうか。

 

 

 

話を一度日本に戻します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

みなと未来地区や関内を中心とする臨海部の整備が大きな成果を挙げつつある横浜。開港150年の催しが続いているというニュースに誘われて覗いてみました。日本大通から大桟橋に抜ける町からの軸線と山下公園から赤レンガにつながる海岸の軸線の交差するノードである象の鼻周辺が整備されています。以前町から海への視線をさえぎっていた倉庫(たしか東西倉庫という名でした)が撤去され、日本大通から海に抜ける視線が通りました。また海岸部にそって快適な広場ができたことで大桟橋や赤レンガ倉庫周辺と関内の町が一気に近づいたような気がします。都市デザインとしては大変成功しています。

 

 

 

 

 

 

実は横浜市は創造都市というコンセプトで関内や臨海部の街づくりを進めています(もちろんハード整備だけではありません)。中心部にばかり投資するという批判はあるものの、港周辺が美しくなりよその地域からも人が集まることに対して市民はよい印象を持っているように思います。港から遠く離れた丘陵部の市民もおおむね「みなと横浜」が自分たちの町・市のアイデンティティだと認識しているのだと思います。みなと横浜のよいイメージが横浜を代表し、近年の日産自動車本社の東京から横浜への回帰などにもつながっているようにみえます。臨海部の都市デザイン的な成功が都市全体の経済も含めた活性化に大きく寄与しています。横浜は日本における創造都市の成功例として位置づけられます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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北の天使は地域の主軸産業であった造船の技術が大いに利用されています。また天使が立っているのはかつて地域の生産を支えた石炭の坑道の跡地です(おまけにインターチェンジに近く、また鉄道線路にも近いことから多くの人の目にふれます)。

 

 

言葉を代えると地域の人々のアイデンティティに大きくかかわるアートであったことが地域再生のきっかけとなりえた理由のひとつだといえます。横浜が「みなと横浜」という市民のアイデンティティの核を目に見える形で変えていったように、造船と炭鉱という地域のシンボルの形を変えた活用が都市再生の口火を切ったわけです。

 

 

またかつてプリーストリーが非難したように労働者の住宅以外のものを作ることを忘れていたと思われていたゲイツヘッド。それが文化、アートに取り組んだわけですから、富の集中する南部の人たちを中心とする外の目に対して大変鮮やかで強烈なメッセージとなったことと思います。当然それは住民にとっても自分たちは代わりつつあるのだという確かなメッセージとなったはずです。

 

 

 

 

 

衰退した地域の人たちは衰退を社会経済的な現象と捉え、大きな流れの中で個人がなしうることには限界があると考えるのが普通です。しかし、アートあるいはアーティストはどんな状況の中でも個人の創造性を信じ、人々との精神的な絆を前提に自分の作品が理解される問いう前提で動くものです。その個人の力またそれが合わさることで人々の現実に対する姿勢を変えていくことが可能だというのが文化・アートをテーマとした街づくりひいてはクリエイティブシティという思想の根底にあるようです。もちろん麻生前首相が発想したようにアートが新しい産業を育てるという側面も大事ですが、アートが住んでいる人々の自分の環境や町の現状に対する能動的な姿勢を醸成するという視点も非常に重要なものだと思います。

 

アート・文化をテーマにする町の再生には、組織・システム優先型の社会とは違う新しい社会のあり方を示唆するものがあるようにも思われます。

 

 

 

 

 

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高谷時彦記 Tokihiko Takatani


創造都市(CREATIVE CITY)03―ニューカッスル・ゲイツヘッド―その3

2009-09-28 15:23:47 | 講義・レクチャー Lecture

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

創造都市(CREATIVE CITY)―ニューカッスル・ゲイツヘッド―その3

 

 

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北の天使の成功がベースにあることで、その後のキーサイドQuaysideに対する投資は順調に進んだようです。

 

ここからの開発は、ニューカッスル・ゲイツヘッド両市のカウンシルと「英国の実質的な文化政策の執行機関」であるアーツ・カウンシルと中央政府の地域開発局に相当するone northeastが共同(パートナーシップ)で宝くじ資金をうまく活用しながら行いました。住民意識に隔たりのある二つの市が協力したことは画期的でした。協力できたのはパブリックアートが両市の再生にとって共通の目標となるという信念だということです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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小麦工場の外観を保全しながら内部を大胆に改装したバルチックセンターは2002年にオープン。バルチィックセンター(Baltic Center for Contemporary Art 投資額70億円)は収蔵品を持たず、そこにアーティストが滞在し現代美術作品を作っていくというコンセプトで運営されており、英国最大の現代美術館といわれています。年間40万人を集めるそうです。

 

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2004に開館したthe Sage Gateshead Music Center(投資額100億円)はノーマンフォスターの設計です。両市を結ぶミレニアムブリッジ(投資額30億円、2001完成)は、信じられないことですがミレニアムブリッジは歩道部分が船を通すために持ち上がります。チャップマン先生によるとブリッジの高い帆船が通るわけではないので今はそんなに高くクリアランスをとる必要はないのだが、これがほかの橋から受け継いだ伝統なのだとのことです。また「ロンドンのテムズ川にかかる同名の橋と違いこちらは振動問題がおきていないことが地元にとっての慶事だ」とはvan der Graaf氏の皮肉をこめたコメントです。このほか河岸には高級なアパートやホテルが建設されています。リバーサイドウォークには多くの人々が集まり、かつての荒廃が信じられないような光景が出現しています。

 

 

 

 

この地区の整備は、NewcastleGateshead Initiativeにより内外に広報されるとともに、両市が住むのにも学ぶのにも働くにも訪れるのにも世界水準の魅力を備えた場所であるというブランドの確立に力が注がれています。こうした試みにより、「ロンドンやパリのような完成された都市ではなくゲイツヘッドのような混沌とした都市に芸術家は集まってくるようになっており、それが経済的な成生産性や雇用の創出にとってもプラスになっている。アーティストだけでなく学者や起業家や旅行者にとって魅力ある都市になっている」という評価が高まり、ニューズウィークでは世界の創造都市(creative city)の中のトップ8都市のひとつに選ばれました(2002)。

 

 

 2000年に出されたCities for a small country (建築家R.ロジャーズとLSEの社会政策の先生であるA.パワーの共著Faber and Faber Ltd. London 2000。鹿島出版から1997年に出ている『都市 この小さな惑星の』の続編として位置づけられる)ではニューカッスルは都市再生に成功したビルバオと状況は似ているがこの時点では再生途上として位置づけられていましたがその後見事な成功を収めたといえます。

 

 

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高谷時彦記 Tokihiko Takatani


創造都市(CREATIVE CITY)02―ニューカッスル・ゲイツヘッド―その2

2009-09-28 13:06:54 | 講義・レクチャー Lecture

 

 

 

 

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その荒廃していたキーサイドQuaysideが近年大きな変貌を遂げました。

 

 

 

 

その経緯をチャップマン先生の研究室にいるオランダ人研究者Peter van der Graafの博士論文Emotional Ties to the Neighbourhood in Urban Renewal in the Netherlands and the United Kingdom ( Amsterdam University Press,2009)、ニューカッスル・ゲイツヘッドイニシアティブ(地域の魅力を発信するために両市のカウンシル(議会であるが、イングランドの場合には行政機関としての性格も併せ持つ)によって民間資金も導入したうえで設立されたマーケティングエージェンシー)のホームページhttp://www.visitnewcastlegateshead.comや『アート戦略都市―EU・日本のクリエイティブシティ』(国際交流基金編、鹿島出版会 2006)から引用させてもらいながら紹介します。

 

 

 

創造都市としての成功に向かう最初のきっかけはキーサイドから数十km離れた炭鉱跡地の丘に立つ「北の天使」と名付けられた巨大な彫刻(Antony Gormley)です。20mの高さをもち翼はジャンボジェットより大きい。今でこそWonders of Britainに選ばれるなど内外から高い評価を得ており、文化で都市を再生するGatesheadの象徴となっていますが1990年に計画案がゴームリーによって提示されたときには1.2億円という高額の製作費もあいまっていっせいに反対が起こったそうです。しかし彫刻家自身の忍耐強い説得もあり1998年完成してからは、市民の意識が変わり、熱い支持を得ています。

 

 

 

そもそもパブリックアートを導入しようとしたのは1986年にGateshead Councilが現代美術館を持っていないので屋外でアート作品を展開しようと決めたことがきっかけです。Gateshead Council2006 によると「パブリックアート作ろうと考えたのは環境の質を高める特徴あるパブリックアートに毎日接することで場所の感覚(sense of place)を持ってもらいたい」と考えたからです。パブリックアートは社会的排除や町に対する市民の誇りや全般的なデザインの質向上にも効果ありと考えられたわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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北の天使 アーツカウンシルhttp://www.artscouncil.org.uk/aboutusより引用

 

 

 

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高谷時彦記 Tokihiko Takatani


創造都市(CREATIVE CITY)01―ニューカッスル・ゲイツヘッド―その1

2009-09-28 11:59:52 | 講義・レクチャー Lecture

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都市再生の世界的な潮流ともなっている「創造都市」の成功例として知られるニューカッスル・ゲイツヘッドを訪れる機会がありました。

 

中心部の荒廃地区を芸術・アートをテーマに活性化したキーサイドQuaysideを中心に、チャップマン先生が案内してくれました。チャップマン先生は50kmほど南にあるティースサイド大学の先生ですがニューカッスルが生まれ育った町です。東北公益文科大学渋川教授とともに列車で到着した私たちを駅まで迎えに来てくださり祝日(8月31日:Bank holiday)にもかかわらず、精力的に案内してくださりました。

 

 

 

 

ニューカッスル・ゲイツヘッドのあるイングランド東北部、タイン川流域は産業革命以来の重工業で栄えた地域です。タイン川をはさんだ北にあるニューカッスル市は商業都市で現在人口が約27万人、南にあるゲイツヘッドは人口約20万人で工業・炭鉱の町といわれてきました。中でもタイン川沿いのキーサイドQuaysideは軍艦の造船を中心に非常に栄えた地域で戦前の日本の軍艦の多くがこのタイン川を中心とした地域で作られていたそうです。しかし産業構造の転換の中でとくに20世紀の後半からは工場の多くがなくなってしまい、失業者の多い、荒廃した地域となっていました。

 

 

 

この地方がイングランドの中でどのような位置づけにあったのかについては小説家プリーストリーの『イングランド紀行』(岩波文庫、2007)を読むのがよいでしょう。1930年代の不況下のイングランドの様子が描かれています。残念ながらチャップマン先生の大学のあるティーズ地方やニューカッスルのあるタイン地方のことはあまり肯定的なトーンで描かれているわけではありません。むしろ産業革命からの繁栄をすでに終え負の遺産に苦しむ衰退を続ける街としての描写が続きます。

 

 

まず「薄汚いコテージの集合、トタンの礼拝堂、ペンキが剥がれ落ちた映画館、臓物が吊るされた肉屋のウインドウが見えてきた。産業都市の中心部に近づきつつある証拠だ」というのがゲイツヘッドの最初の描写です。またニューカッスルでの兵役時代の思い出が語られますが、いきなり「その辺一帯があまりに醜悪だった」こと「その地方が大嫌いになった」ことを思い出します。

 

 

「これほどまでに都市としての尊厳や都市文明の証拠が欠けている町があったなら、その名前と特色を知りたいものだ。みすぼらしい巨大な宿泊所のような街を生み出す文明が真の文明といえるだろうか…中略…かつてゲイツヘッドはすばらしく精密な馬力のある機関車を製造していたが、町づくりをする暇はなかったと見える」。ゲイツヘッドは「労働者の宿舎の町」であり「市民が快適な町づくりをする時間もないままに産業のほうが先に衰退しつつある」町として描かれます。

 

ニューカッスルについては、劇場などもあり「中心部はある種の威厳がある」と書いていますが、今回見学したキーサイドは失業者の群れが見える大変荒廃した地区との印象を記しています。

 

 

余談ですが、プリーストリーは決して冷たく距離を置いてこの地域の人を見ているのではなく、行間からは彼の労働者に対する共感が読み取れます。「この沿岸が煙に黒く汚れ、国民全体の幸福及び彼ら自身の安寧と自尊心のために懸命に働く数万の人々の労働の槌音が響いているとしたら、激しく心をゆさぶられたことだろう…中略…それは過去のことだ…この地方は無関心に打ち捨てられている」「タイン川を燃え上がらせるような炎の心と言葉を持った少年詩人がこんな通りから出てもよいではないか」……。

 

 

 

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高谷時彦記 Tokihiko Takatani


深谷市の幸福な映画館 チネ・フェリーチェ

2009-09-19 20:46:28 | 建築まち巡礼関東 Kanto

埼玉県深谷市(人口14.7万人)でコミュニティシネマ「深谷シネマ」を運営する竹石研二さんの講演を聞きました。以下にその内容をメモします。

Hukaya 竹石さんの講演でいただいたパンフレット

竹石さんは2000年4月にNPO市民シアター・エフをたちあげ、商店街の空きスペースで映画上映を続けました。2002年7月からはTMOの事業である商店街の空き店舗活用の一環として銀行店舗を改装した「深谷シネマ」を作り、以来活動を続けられています。

天井の高い銀行は映画上映には適した条件を持っています。浦山桐郎監督からおそわった「人を実寸で映すことで客が感情移入できる寸法」である高さ1.8mのスクリーンを設置し、固定席で50のキャパを持っています。改装には800万円要したそうですが、竹石さん配布資料によると中古映写機、いすなどの費用250万円は市民と地元企業の寄付で賄ったようです。

現在では 一日100人、年間50作品で4,500万円の売り上げを誇り6人の有給スタッフを雇っています。安く場所を借りているなどの条件はあるものの行政からの補助金はもらっておらず、収入の4分の3程度が入場料、そして残りは移動映写会の売り上げです。

入場者の過半は中高年の女性です。自転車で来る元気な方々もいるものの、やはり車で来られる方が多いようで、商店街が用意した駐車場がたくさんあるのでそれを利用しているようです。若い客は少ないし、それに期待して上映内容などを設定すればおそらく失敗するだろうとのことです。若い人は郊外のシネコンに行ったりレンタルDVDでよいのではないか、シネコンと完全に棲み分けるのがよいというのが竹石さんのポリシーです。

また「映画を文化として捉えなおし、映画の文化性や公共性の価値を街のにぎわい形成の重要な要素」として位置づけ「街と人の生活には文化が必需品」と考える竹石さんは、行政や市民との協働を進め、映画上映以外にもフィルムコミッション活動や映画の担い手育成のための映画祭活動などをつづけています。

実は現在の旧銀行店舗が区画整理のため使えなくなり、間もなく移転を余儀なくされています。しかし移転を機にさらに活動は拡大の様相をみせています。新しい移転先は300年の伝統を持つ造り酒屋の建物で、移転を機会に50席から70席にキャパを拡大し、また敷地内の古い建物を利用した映画撮影や文化活動も展開されることになっています。私たちも㈱まちづくり鶴岡の計画に参加し古い絹工場を映画館にする設計を進めていますが、竹石さんたちの活動はその先駆をなすものです。

講演が終わった後何人かで竹石さんを囲み話しを続けました。事業的には難しい映画館を成功させるためには、市民の参加が不可欠、多くの人に自分たちの画館であるという意識を持ってもらうことが不可欠であるという言葉が印象的でした。

まちを自分たちが誇りに思える場所にしていくというのは私たちの街づくり活動の目標のひとつです。以前幕張ベイタウン・コアを設計したときには自分たちの街のシンボルとなる音楽ホールを造りたいという住民の人たちの熱意が実現への原動力でした。いまでは、立派にまちの人たちが誇りにするホールとして機能しています。松文工場跡地の映画館も地域の人たちの誇りとなる場所にしていきたいという思いを再確認させられた1日でした。

 

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高谷時彦記 Tokihiko Takatani