幕末気象台

おりにふれて、幕末の日々の天気やエピソードを紹介します。

安政二年十月五日(1855年11月14日)、甘露ふる

2015-10-22 21:38:02 | Weblog
大地震の翌々日、安政二年十月四日(1855年11月13日)の正午ごろの天気図は



となります。

 日本海側の弘前、田代、院内で雪、鳥取で雨となって居ます。

銚子と新島では西の風、群馬県中之条と玉村では北風、池田市では昼後北西の風となっていて

北日本を中心に寒気が入ったようです。

被災した関東南岸では如何だったのでしょうか。

関東での寒さの記述は、中之条で「晴、北風甚寒し」

水戸で、「大霜、快晴、寒気なり」とあります。

江戸では、「天気よし、少し風、、夜曇、風」とありますが寒さの記録は見えません。

北に高気圧が寄ったため、東北や北関東の気温傾度が高く江戸は寒気の影響が少なかったのかも知れません。

茅ヶ崎にいる、放浪の棋士、和田篤太郎はこの日の記事に

「近辺村ニ女中奉公出候者数多火死いたし候由」とあります。

田舎から江戸に働きに出て焼死、不運とも気の毒とも何とも 云いようがありません。



安政二年十月五日(1855年11月14日)の正午ごろの天気図は





となっていて日本海側に曇りや雪のところがあり、寒気の影響があったようですが、

日本列島は概ね晴れとなったようです。

しかし、余震は江戸付近では頻繁だったようです。

この日、京都で甘露が降りました。

高木在中日記によりますと

「庭前ニ三尺四方程、甘露降、其粧を見るニ飴を流が如く、口中ニ入は砂糖水のごとく、甚めずらしき事なり」

甘露、甘露 

コメント (2)
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