さっき、蕎麦屋で筝曲の「荒城の月」がかかっていました。
秋はまさに深まってまいりました。
曲を聴きながら、陸中国和賀郡浮田村 日下弥平の道中日記を思い出しました。
道中記は、明治五年九月十四日から十月三日まで、現岩手県花巻市東和町浮田の
日下弥平が、家から金華山と仙台を見物した時の記録です。
弥平が仙台の青葉城を訪れたのは、九月二十七日頃でした。
記事には、「夫より大橋渡り、御給領の内丸、皆野原ニ相成、目もあでられぬ次第なり」
と書かれています。
仙台藩降伏から、まだ四年弱、空家になった城は誰でも勝手に入りこめ、狐狸のすみかとなっていたようです。
土井晩翠の「荒城の月」作詞より大分前ですが、陸中国和賀郡の日下弥平も世の盛衰に感慨一入だったことでしょう。
秋はまさに深まってまいりました。
曲を聴きながら、陸中国和賀郡浮田村 日下弥平の道中日記を思い出しました。
道中記は、明治五年九月十四日から十月三日まで、現岩手県花巻市東和町浮田の
日下弥平が、家から金華山と仙台を見物した時の記録です。
弥平が仙台の青葉城を訪れたのは、九月二十七日頃でした。
記事には、「夫より大橋渡り、御給領の内丸、皆野原ニ相成、目もあでられぬ次第なり」
と書かれています。
仙台藩降伏から、まだ四年弱、空家になった城は誰でも勝手に入りこめ、狐狸のすみかとなっていたようです。
土井晩翠の「荒城の月」作詞より大分前ですが、陸中国和賀郡の日下弥平も世の盛衰に感慨一入だったことでしょう。