この度は、慶雲斎と銘のある日記を読んでいます。
慶雲斎は弘前藩の儒者ではないかと思われます。東條琴台や工藤他山など著名人との交流も書かれています。
手元の日記は、弘化から安政にかけての日記で、慶雲斎という人物は、さっぱりわかりません。どなたか分かる方がいればお教え下さい。
この日記によりますと、
嘉永元年五月八日 夜七ツ時地震
九日 天気俄然ト曇、雷鳴程なく晴、また夜に入り雷鳴大雨
十日 涼、今昼過遠火
三日変事珍しき事
とあります。
頑固親爺はどこにでも居ますから、嘉永元年五月八日から十日にかけて、慶雲斎も珍しいことだと言ってますように、地震、雷、火事、親爺の四大恐怖が出揃ったのでした。
他の日記によりますと、地震は九日の午前四時ころで、強い地震が関東一円で感じられました。九日は寒気の流入により全国的に天気が不安定で各地に雷が鳴ったようです。十日の火事がどこかは分かりませんでした。
これを見ますと、慶雲斎氏は地震雷火事親爺と言うことばを意識していたようで、地震雷火事親爺と言う言葉は、江戸時代にはあったもののようです。
慶雲斎は弘前藩の儒者ではないかと思われます。東條琴台や工藤他山など著名人との交流も書かれています。
手元の日記は、弘化から安政にかけての日記で、慶雲斎という人物は、さっぱりわかりません。どなたか分かる方がいればお教え下さい。
この日記によりますと、
嘉永元年五月八日 夜七ツ時地震
九日 天気俄然ト曇、雷鳴程なく晴、また夜に入り雷鳴大雨
十日 涼、今昼過遠火
三日変事珍しき事
とあります。
頑固親爺はどこにでも居ますから、嘉永元年五月八日から十日にかけて、慶雲斎も珍しいことだと言ってますように、地震、雷、火事、親爺の四大恐怖が出揃ったのでした。
他の日記によりますと、地震は九日の午前四時ころで、強い地震が関東一円で感じられました。九日は寒気の流入により全国的に天気が不安定で各地に雷が鳴ったようです。十日の火事がどこかは分かりませんでした。
これを見ますと、慶雲斎氏は地震雷火事親爺と言うことばを意識していたようで、地震雷火事親爺と言う言葉は、江戸時代にはあったもののようです。