二十 清涼殿の丑寅の隅の その3 (33) 2018.2.16
「村上の御時、宣耀殿の女御と聞こえけるは、小一条の左大臣殿の御むすめにおはしましければ、たれかは知りきこえざらむ。まだ姫君におはしけるとき、父おとどの教へきこえさせたまひけるは、『一には御手を習ひたまえ。次には琴の御琴を、いかで人に弾きまさむとおぼせ。さて古今二十巻をみな浮かべさせたまはむを御学問にはせさせたまへ』となむ聞こえさせたまひけると、聞こしめしおかせたまひて、御物忌みなりける日、古今を隠してわたらせたまひて、例ならず御几帳を引き立てさせたまひければ、女御、あやしとおぼしけるに、御草子をひろげさせたまひて、『その年その月、何のをり、その人のよみたる歌はいかに』と問ひきこえさせたまふに、かうなりと心得させたまふもをかしきものの、ひが覚えもし、忘れたるなどもあらば、いみじかるべき事と、わりなくおぼし乱れぬべし。
◆◆中宮様が「村上天皇の御代に、宣耀殿の女御と申し上げた方は、小一条にお住いの左大臣殿の御むすめでいらっしゃたので、どなたか知らない人はいません。その方がまだ姫君でいらっしゃった頃、父君の大殿(おとど)がお教えあそばされたことは、『第一にはお習字をなさい。次には琴の御琴を、人より上手に弾こうとお思いなさい。そうして次に古今集の二十巻を全部空(そら)でお思い浮かべあそばされようことを御学問になされませ』と申しあげあそばされなさったと、帝はかねてお聞きあそばされて、宮中の御物忌みであった日に、『古今集』を隠し持ってお越しあそばれて、いつもと違って御几帳を女御との間にお引きあそばされまあしたので、女御は変だとお思いになっていたところ、帝は御草子をお広げあそばされて、『何の年、何の月、何の折、だれだれが詠んだ歌はどうか』とおたずね申しあげあそばされるので、女御は『なるほどこういうことなのだ』と合点がおゆきあそばされるのもおもしろいとはいうものの、一方では、間違って思い出しもし、また、忘れていることもあったならば、たいへんなことになるはずだと、むやみとお思い乱れになってしまわれたに違いない。◆◆
その方おぼめかしからぬ人二三人ばかり召し出でて、碁石して数を置かせたまはむとて、問ひきこえさせたまひけむほど、いかにめでたくをかしかりけむ。御前に候ひけむ人さへこそ、うらやましけれ。せめて申させたまひければ、さかしうやがて末までなどはあらねど、すべてつゆたがふ事なかりけり。
あさましく、なほすこしおぼめかしく、ひが事見つけてをやまむと、ねたきまでおぼしめしける。十巻にもなりぬ。『さらに不用なりけり』とて、御草子に夾算して、御とのごもりぬるも、いとめでたしかし。いと久しうありて起きさせたまへるに、『なほ、この事左右なくおてやまむ、いとたろかるべし』とて、『下十巻、明日にもならば、ことをもぞ見たまひ合はする、今宵定めむ』とて、御との油近くまゐりて、夜ふくるまでなむよませたまひける。されど、つひに負けきこえさせたまはずなりにけり。うへわたらせたまひて後、かかる事なむと、人々殿に申したてまつりければ、いみじうおぼしさわぎて、御誦経などあまたせさせたまひて、そなたに向かひてなむ、念じくらさせたまひけるも、好き好きしくあはれなることなり」など語り出でさせたまふを、
◆◆(帝は)歌の方面について暗くない女房を二、三人お召し出されて、碁石で誤りの数を置かせあそばされようというわけで、女御にご質問申しあげあそばされたという、その間の御様子は、どんなにすばらしくおもしろかったことであろう。その御前に伺候していたであろう人までが、うらやましい。お答えなさるよう帝が強いて申し上げあそばされたので、利口ぶってそのまま終わりの句までなどではないけれど、お答えはすべて少しも違うことはなかったのだった。(帝は)意外で、しかしやはり少し曖昧な感じで間違っているようなことを見つけて、それで終わりにしようと、むきなまでにお思いあそばされたのであった。とうとう十巻にもなってしまった。(帝は『「まったく無駄だったなあ」とおっしゃって、御草子に夾算(けさん)を挟んで、ご一緒に御寝あそばしてしまうのも、とてもすばらしいことである。それから長い時がたってからお起きあそばされたが、『やはり、このことの勝負がつかないで終ろうというのは、たいそう良くないだろう』ということで、『あとの十巻を、明日にでもなったら、女御が
別の本をお調べ合わせになるといけない。今夜のうちに決めよう』ということで、大殿油をお近くにお灯もしになって、夜が更けるまでお読みあそばされたのであった。けれど、最後まで女御はお負けあそばされずに終わってしまったのであった。帝が女御のところへお越しあそばされたあとで、『こういうことがございます』と人々が女御の御父の殿に申し上げたので、たいへん心配して大騒ぎなさって、多くの寺に御誦経などたくさんおさせになって、内裏の方に向かって、一日中祈念して、お過ごしあそばされたことも、風流でしみじみ趣深いことだ」などとお言葉にだしてお話しあそばされるのを◆◆
うへ聞こしめして、めでさせたまひ、「いかでさおほくよませたまひけむ。われは三巻四巻だにも、えよみ果てじ」と仰せらる。「昔は、えせ者も、すきをかしうこそありけれ。このごろ、かやうなる事やは聞ゆる」など、御前にふ人々、うへの女房のこなたゆるされたるなどまゐりて、口々言ひ出でなどしたるほどは、まことに思ふ事なくこそおぼゆれ。
◆◆帝がお聞きあそばされて、おほめあそばされ、「村上の帝はどうしてそんなにたくさんお読みあそばされたのだろう。私は三巻、四巻でさえも読み終えることができないだろう」と仰せになる。「昔はつまらぬ者も、風流でおもしろみがあったのですね。このごろは、こんなことは耳にするでしょうか」などと御前に伺候する人々や、帝にお仕えする女房で中宮の所に伺うのを許されている人などが参上して、口々に話などしている時のありさまは、本当にすこしも屈託がなく、すばらしく感じられる。◆◆
■琴の御琴(きんのこと)=琴(きん)は七弦の琴。琴(こと)は弦楽器の総称。
■夾算(けさん)して=本などに挟んで読みさしの印とするもの。竹製。
■宣耀殿の女御(せんようでんのにょうご)=左大臣藤原師尹(もろただ)の娘芳子。この逸話は『大鏡』にも見える。
■御との油=大殿油(おおとなぶら)宮中や貴人の家の灯油の灯。
「村上の御時、宣耀殿の女御と聞こえけるは、小一条の左大臣殿の御むすめにおはしましければ、たれかは知りきこえざらむ。まだ姫君におはしけるとき、父おとどの教へきこえさせたまひけるは、『一には御手を習ひたまえ。次には琴の御琴を、いかで人に弾きまさむとおぼせ。さて古今二十巻をみな浮かべさせたまはむを御学問にはせさせたまへ』となむ聞こえさせたまひけると、聞こしめしおかせたまひて、御物忌みなりける日、古今を隠してわたらせたまひて、例ならず御几帳を引き立てさせたまひければ、女御、あやしとおぼしけるに、御草子をひろげさせたまひて、『その年その月、何のをり、その人のよみたる歌はいかに』と問ひきこえさせたまふに、かうなりと心得させたまふもをかしきものの、ひが覚えもし、忘れたるなどもあらば、いみじかるべき事と、わりなくおぼし乱れぬべし。
◆◆中宮様が「村上天皇の御代に、宣耀殿の女御と申し上げた方は、小一条にお住いの左大臣殿の御むすめでいらっしゃたので、どなたか知らない人はいません。その方がまだ姫君でいらっしゃった頃、父君の大殿(おとど)がお教えあそばされたことは、『第一にはお習字をなさい。次には琴の御琴を、人より上手に弾こうとお思いなさい。そうして次に古今集の二十巻を全部空(そら)でお思い浮かべあそばされようことを御学問になされませ』と申しあげあそばされなさったと、帝はかねてお聞きあそばされて、宮中の御物忌みであった日に、『古今集』を隠し持ってお越しあそばれて、いつもと違って御几帳を女御との間にお引きあそばされまあしたので、女御は変だとお思いになっていたところ、帝は御草子をお広げあそばされて、『何の年、何の月、何の折、だれだれが詠んだ歌はどうか』とおたずね申しあげあそばされるので、女御は『なるほどこういうことなのだ』と合点がおゆきあそばされるのもおもしろいとはいうものの、一方では、間違って思い出しもし、また、忘れていることもあったならば、たいへんなことになるはずだと、むやみとお思い乱れになってしまわれたに違いない。◆◆
その方おぼめかしからぬ人二三人ばかり召し出でて、碁石して数を置かせたまはむとて、問ひきこえさせたまひけむほど、いかにめでたくをかしかりけむ。御前に候ひけむ人さへこそ、うらやましけれ。せめて申させたまひければ、さかしうやがて末までなどはあらねど、すべてつゆたがふ事なかりけり。
あさましく、なほすこしおぼめかしく、ひが事見つけてをやまむと、ねたきまでおぼしめしける。十巻にもなりぬ。『さらに不用なりけり』とて、御草子に夾算して、御とのごもりぬるも、いとめでたしかし。いと久しうありて起きさせたまへるに、『なほ、この事左右なくおてやまむ、いとたろかるべし』とて、『下十巻、明日にもならば、ことをもぞ見たまひ合はする、今宵定めむ』とて、御との油近くまゐりて、夜ふくるまでなむよませたまひける。されど、つひに負けきこえさせたまはずなりにけり。うへわたらせたまひて後、かかる事なむと、人々殿に申したてまつりければ、いみじうおぼしさわぎて、御誦経などあまたせさせたまひて、そなたに向かひてなむ、念じくらさせたまひけるも、好き好きしくあはれなることなり」など語り出でさせたまふを、
◆◆(帝は)歌の方面について暗くない女房を二、三人お召し出されて、碁石で誤りの数を置かせあそばされようというわけで、女御にご質問申しあげあそばされたという、その間の御様子は、どんなにすばらしくおもしろかったことであろう。その御前に伺候していたであろう人までが、うらやましい。お答えなさるよう帝が強いて申し上げあそばされたので、利口ぶってそのまま終わりの句までなどではないけれど、お答えはすべて少しも違うことはなかったのだった。(帝は)意外で、しかしやはり少し曖昧な感じで間違っているようなことを見つけて、それで終わりにしようと、むきなまでにお思いあそばされたのであった。とうとう十巻にもなってしまった。(帝は『「まったく無駄だったなあ」とおっしゃって、御草子に夾算(けさん)を挟んで、ご一緒に御寝あそばしてしまうのも、とてもすばらしいことである。それから長い時がたってからお起きあそばされたが、『やはり、このことの勝負がつかないで終ろうというのは、たいそう良くないだろう』ということで、『あとの十巻を、明日にでもなったら、女御が
別の本をお調べ合わせになるといけない。今夜のうちに決めよう』ということで、大殿油をお近くにお灯もしになって、夜が更けるまでお読みあそばされたのであった。けれど、最後まで女御はお負けあそばされずに終わってしまったのであった。帝が女御のところへお越しあそばされたあとで、『こういうことがございます』と人々が女御の御父の殿に申し上げたので、たいへん心配して大騒ぎなさって、多くの寺に御誦経などたくさんおさせになって、内裏の方に向かって、一日中祈念して、お過ごしあそばされたことも、風流でしみじみ趣深いことだ」などとお言葉にだしてお話しあそばされるのを◆◆
うへ聞こしめして、めでさせたまひ、「いかでさおほくよませたまひけむ。われは三巻四巻だにも、えよみ果てじ」と仰せらる。「昔は、えせ者も、すきをかしうこそありけれ。このごろ、かやうなる事やは聞ゆる」など、御前にふ人々、うへの女房のこなたゆるされたるなどまゐりて、口々言ひ出でなどしたるほどは、まことに思ふ事なくこそおぼゆれ。
◆◆帝がお聞きあそばされて、おほめあそばされ、「村上の帝はどうしてそんなにたくさんお読みあそばされたのだろう。私は三巻、四巻でさえも読み終えることができないだろう」と仰せになる。「昔はつまらぬ者も、風流でおもしろみがあったのですね。このごろは、こんなことは耳にするでしょうか」などと御前に伺候する人々や、帝にお仕えする女房で中宮の所に伺うのを許されている人などが参上して、口々に話などしている時のありさまは、本当にすこしも屈託がなく、すばらしく感じられる。◆◆
■琴の御琴(きんのこと)=琴(きん)は七弦の琴。琴(こと)は弦楽器の総称。
■夾算(けさん)して=本などに挟んで読みさしの印とするもの。竹製。
■宣耀殿の女御(せんようでんのにょうご)=左大臣藤原師尹(もろただ)の娘芳子。この逸話は『大鏡』にも見える。
■御との油=大殿油(おおとなぶら)宮中や貴人の家の灯油の灯。