蜻蛉日記 中卷 (120)2016.4.28
「また人の文どもあるを見れば、『さてのみやはあらんとする』、『日のふるままに、いみじくなん思ひやる』など、さまざまに問ひたり。
又の日、返りごとす。『さてのみやは』とある人のもとに、『かくてのみとしも思ひたまへねど、ながむるほどになん、はかなくて過ぎつつ日数ぞつもりにける。<かけてだに思ひやはせし山ふかく入相の鐘に音を添へんとは>』
◆◆また他の人からの手紙を見ますと、「いつまでもそのような状態でお過ごしなさるおつもりですか」「日が経つにつれて、とても胸の塞がる思いでご案じ申しております」などと、さまざまに見舞ってくださっています。
翌日、お返事を書きました。「さてのみやは…」とお手紙をくださった方には、「こんな風にばかりいたそうと思っていませんでしたが、物思いにふけっていますうちに、いつの間にか日数が経ってしまいました。
(道綱母の歌)「かつて、思いもしなかったことでした。このような山奥へ入って、入相の鐘の音に私の泣く声を合わせようとは」◆◆
「又の日、返りごとあり。『ことば書きあふべくもあらず、入相になん肝くだく心地する』とて、
<言ふよりも聞くぞかなしき敷島のよにふるさとの人やなになり>
とあるを、いとあはれにかなしくながむるほどに、宿直の人、あまたありしなかに、いかなる心あるにかありけん、ここにある人のもとに言ひおこせたるやう、『いつもおろかに思ひきこえさせざりし御住ひなれど、まかでしよりはいとどめづらかなるさまになん思ひ出できこえさする。いかに御許たちもおぼし見たてまつらせ給ふらん。<いやしきも>と言ふなれば、すべてすべてきこえさすべきかたなくなん。
<身を捨てて憂きをも知らぬ旅だにも山路にふかく思ひこそ入れ>
と言ひたるを、もて出でて読み聞かするに、またいといみじ。かばかりのことも、またいとかくおぼゆる時ある物なりけり。」
◆◆次の日、お返事がありました。「どのように文をしたためてよいかわかりません。入相のお歌を拝見して断腸の思いがいたします」とあって、
(お手紙の方の歌)「おっしゃるあなたよりもお聞きする私のほうが余程悲しいです。山籠りのつらさに比べれば、京にくらす者のさびしさなど、物のかずではありません」
と書き添えてあるので、とても身にしみて悲しく物思いに沈んでぼんやり外を眺めているときに、数多くいた侍女のうち、宿直を勤めてくれた人が、どのような誠実な人だったのか、此処に来ている侍女のもとへ言ってよこして文面には「いつとてもあだおろそかにお思い申し上げたことのないお邸でございますが、おひまをいただきましてからは、思いもよらない御有様とおいたわしく、おしのび申し上げております。あなた方もどのようなお気持ちでご奉公申し上げておっれるのでしょう。「賤しきも」と申しますようですから、全く何とも申し上げようもございません。
(かつての侍女)「出家もせず、世の辛さも知らない人が、単なる物詣をする場合ですら、山路に深く入りたいと思うものでございます。まして世のつらさを味わい尽くされた御方さまが山寺にお籠り遊ばすのはもっともとお察し申し上げます」
と書いてあるのを、取り出して読んで聞かせてくれたりすると、またしても何ともやりきれない気持ちになりました。こんな些細なことでもまた、とても身にしみて感じる場合もあるのでした。◆◆
「『はや、返りごとせよ』とてあれば、『をだまきは、かく思ひ知ることも難きとよと思ひつるを、御前にもいとせきあへぬまでなんおぼしためるを見たてまつるも、ただおしはかり給えへ。思ひいづるときぞかなしき奥山の木の下露のいとど繁きに』となん言ふめる。」
◆◆わたしから「早くお返事なさい」と言いましたので、「をだまきのような身分の賤しい私には、このように身にしみて深く感じるのはむずかしいと存じておりましたのに、御方さまも、ほんとうに涙をこらえかねるくらいに感じていられるご様子ぢしたが、そういうお姿を拝見いたします私の心をも、切にお察しくださいませ。
(侍女の歌)「昔のことを思い出しますと、今ほんとうに悲しゅうございます。この奥山では木の下露がひとしおしげく、いよいよ涙にくれてしまいまして」
というようなことをしたためたようです。◆◆
■をだまき=古今集「いにしへのしづのをだまきいやしきもよきも盛りはありしものなり」より、栄枯盛衰は貴賎の別なきゆえ、自分にも道綱母の苦境が他人事とは思えない。
「また人の文どもあるを見れば、『さてのみやはあらんとする』、『日のふるままに、いみじくなん思ひやる』など、さまざまに問ひたり。
又の日、返りごとす。『さてのみやは』とある人のもとに、『かくてのみとしも思ひたまへねど、ながむるほどになん、はかなくて過ぎつつ日数ぞつもりにける。<かけてだに思ひやはせし山ふかく入相の鐘に音を添へんとは>』
◆◆また他の人からの手紙を見ますと、「いつまでもそのような状態でお過ごしなさるおつもりですか」「日が経つにつれて、とても胸の塞がる思いでご案じ申しております」などと、さまざまに見舞ってくださっています。
翌日、お返事を書きました。「さてのみやは…」とお手紙をくださった方には、「こんな風にばかりいたそうと思っていませんでしたが、物思いにふけっていますうちに、いつの間にか日数が経ってしまいました。
(道綱母の歌)「かつて、思いもしなかったことでした。このような山奥へ入って、入相の鐘の音に私の泣く声を合わせようとは」◆◆
「又の日、返りごとあり。『ことば書きあふべくもあらず、入相になん肝くだく心地する』とて、
<言ふよりも聞くぞかなしき敷島のよにふるさとの人やなになり>
とあるを、いとあはれにかなしくながむるほどに、宿直の人、あまたありしなかに、いかなる心あるにかありけん、ここにある人のもとに言ひおこせたるやう、『いつもおろかに思ひきこえさせざりし御住ひなれど、まかでしよりはいとどめづらかなるさまになん思ひ出できこえさする。いかに御許たちもおぼし見たてまつらせ給ふらん。<いやしきも>と言ふなれば、すべてすべてきこえさすべきかたなくなん。
<身を捨てて憂きをも知らぬ旅だにも山路にふかく思ひこそ入れ>
と言ひたるを、もて出でて読み聞かするに、またいといみじ。かばかりのことも、またいとかくおぼゆる時ある物なりけり。」
◆◆次の日、お返事がありました。「どのように文をしたためてよいかわかりません。入相のお歌を拝見して断腸の思いがいたします」とあって、
(お手紙の方の歌)「おっしゃるあなたよりもお聞きする私のほうが余程悲しいです。山籠りのつらさに比べれば、京にくらす者のさびしさなど、物のかずではありません」
と書き添えてあるので、とても身にしみて悲しく物思いに沈んでぼんやり外を眺めているときに、数多くいた侍女のうち、宿直を勤めてくれた人が、どのような誠実な人だったのか、此処に来ている侍女のもとへ言ってよこして文面には「いつとてもあだおろそかにお思い申し上げたことのないお邸でございますが、おひまをいただきましてからは、思いもよらない御有様とおいたわしく、おしのび申し上げております。あなた方もどのようなお気持ちでご奉公申し上げておっれるのでしょう。「賤しきも」と申しますようですから、全く何とも申し上げようもございません。
(かつての侍女)「出家もせず、世の辛さも知らない人が、単なる物詣をする場合ですら、山路に深く入りたいと思うものでございます。まして世のつらさを味わい尽くされた御方さまが山寺にお籠り遊ばすのはもっともとお察し申し上げます」
と書いてあるのを、取り出して読んで聞かせてくれたりすると、またしても何ともやりきれない気持ちになりました。こんな些細なことでもまた、とても身にしみて感じる場合もあるのでした。◆◆
「『はや、返りごとせよ』とてあれば、『をだまきは、かく思ひ知ることも難きとよと思ひつるを、御前にもいとせきあへぬまでなんおぼしためるを見たてまつるも、ただおしはかり給えへ。思ひいづるときぞかなしき奥山の木の下露のいとど繁きに』となん言ふめる。」
◆◆わたしから「早くお返事なさい」と言いましたので、「をだまきのような身分の賤しい私には、このように身にしみて深く感じるのはむずかしいと存じておりましたのに、御方さまも、ほんとうに涙をこらえかねるくらいに感じていられるご様子ぢしたが、そういうお姿を拝見いたします私の心をも、切にお察しくださいませ。
(侍女の歌)「昔のことを思い出しますと、今ほんとうに悲しゅうございます。この奥山では木の下露がひとしおしげく、いよいよ涙にくれてしまいまして」
というようなことをしたためたようです。◆◆
■をだまき=古今集「いにしへのしづのをだまきいやしきもよきも盛りはありしものなり」より、栄枯盛衰は貴賎の別なきゆえ、自分にも道綱母の苦境が他人事とは思えない。