永子の窓

趣味の世界

蜻蛉日記を読んできて(112)の2

2016年04月01日 | Weblog
蜻蛉日記  中卷  (112)の2  2016.4.1

「一丁のほどを、石階おりのぼりなどすれば、ありく人こうじていと苦しうするまでなりぬ。これかれなどは『あな、いとほし』など、弱き方ざまにのみ言ふ。このありく人、『<すべて、きむぢ、いと口惜し。かばかりのことを言ひなさぬは>などぞ、御けしきあし』とて泣きにも泣く。されど、『などてか、さらに物すべき』と言ひはてつれば、『<よしよし、かく穢らひたればとまるべきにもあらず、いかがはせん、車かけよ>とあり』と聞けば、いと心安し。」
◆◆六十間ほどの石段を降りたり登ったりするので、往来する子どもが疲れ切って、ひどく苦しがるまでになってしまいました。侍女のだれかれが「まあ、おかわいそうに」などと、(道綱母の態度の軟化を求めるような)気の弱いことばかり言います。この道綱は「(兼家が)『まったく、お前が役立たずなのだ。この程度のこと(母の下山を)を説得できないとは』などとおっしゃって、ご機嫌が悪いのです」と言って、しきりに泣きます。けれど、「どうして、帰れましょう。帰りません」と言い切ってしまったので、子どもから「『よしよし、まあ私は穢れの身なので、ここにいつまでも居るわけにはいかない。仕方がない。車に牛を掛けよ』とおっしゃいました」というのを聞いて、やっとほっとしたのでした。◆◆



「ありきつる人は、『御送りせん、御車の後にてまからん、さらにまたはまうで来じ』とて泣く泣く出づれば、これをたのもし人にてあるに、いみじうも言ふかなと思へども、もの言はであれば、人などみな出でぬと見えて、この人は帰りて、『御送りせんとしつれど、<きんぢは呼ばん時にを来>とて、おはしましぬ』とて、ししと泣く。いとほしう思へど、『あな痴れ、そこをさへかくて止むやうもあらじ』など言ひ慰む。時は八になりぬ。道いとはるかなり。『御供の人はとりあへけるにしたがひて、京のうちの御ありきよりもいと少なかりつる』と、人々いとほしがりなどするほどに、夜は明けぬ。」
◆◆連絡に往復してきた子(道綱)は、「父上をお送りしてまいります。御車の後ろに乗ってまいりますから、もう二度とこちらへは参りません」と言って泣きながら出て行きました。私はこの子を頼みにしているのに、随分ひどいことを言うものだと思いましたが、何も言わずに黙っていると、どうやら一行は皆行ってしまったとみえて、子どもは帰ってきて、「お送りしようといたしましたが、父上が『お前は私が呼んだときに来ればよい』と言って、行っておしまいになりました」と言ってしくしく泣きます。可哀想だとは思うけれど、「まあ、馬鹿なことを!(わたしのことはともかく)あなたまでを(兼家が)このままお見捨てになるわけはないでしょうになどと言って慰めたのでした。時刻は八つ(午前二時ごろ)になりました。京への道のりはとても遠い。「お供の人は居合わせた人だけで間に合わせて、京の中をお出ましのときよりも少ない人数でした」と、侍女たちが気の毒がったりしているうちに、夜が明けました。◆◆

■一丁のほど=六十間。100メートル余。