永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(673)

2010年03月12日 | Weblog
2010.3/12   673回

四十帖 【御法(みのり)の巻】 その(16)

「致仕の大臣、あはれをも折過ぐし給はぬ御心にて、かく世に類なくものし給ふ人のはかなく亡せ給ひぬることを、口惜しくあはれに思して、いとしばし訪ひ聞こえ給ふ」
――致仕の大臣(柏木の父君、若き頭中将)は、時期を逸せず情をおかけになるご性質ですので、この世にあって類まれな立派な方でいらっしゃった紫の上が、このようにはかなくお亡くなりになりましたことを残念にも痛々しくも思われて、度々ご弔問なさいます――

「むかし大将の御母上うせ給へりしもこの頃の事ぞかし、と思し出づるに、いともの悲しく、その折かの御身を惜しみ聞こえ給ひし人の、多くもうせ給ひにけるかな、後れ先だつ、程なき世なりけりや、など、しめやかなる夕暮れにながめ給ふ」
――その昔、夕霧の御母上(葵の上・致仕大臣の妹)が亡くなりましたのも、同じ八月の頃だった、と思い出されて、しみじみと物悲しく、その時、葵の上の死をお悼み申された人が、多くはすでに亡くなられたことよ。後れても先立っても大した差はない無情の世の中だなあ、などと、しんみりと夕暮れを眺めていらっしゃいます――

 致仕大臣は、御子息の蔵人の少将をお使いとして、源氏に細やかであわれ深いお文をお書きになって、そのあとに歌を添えられます。

(歌)「いにしへの秋さへ今のここちして濡れにし袖に露ぞおきそふ」
――葵の上が亡くなりました昔の秋までが今のような気がしまして、この度の涙に更に涙が加わります――

 (源氏の返歌)
「露けさはむかし今ともおもほえずおおかた秋のよこそつらけれ」
――悲しさに昔と今の差はありません。ただただ秋の季節が辛く思われます――

「物のみ御心のままならば、待ちとり給ひては、心弱くもと、目とどめ給ひつべき大臣の御心ざまなれば、めやすき程にと、『度々のなほざりならぬ御とぶらひの重なりぬること』とよろこび聞こえ給ふ」
――悲しみにくれている今のお心持ちをそのままお詠みになれば、ご返事を待っていらっしゃる致仕大臣は、そんな心弱いことよ、と見咎めなさりそうなご性分なので、わざと平静を装って、「度々お心のこもった御弔問を頂きまして」と御礼を仰せになります。

ではまた。