永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(686)

2010年03月25日 | Weblog
010.3/25   686回

四十一帖 【幻(まぼろし)の巻】 その(11)

 この日、夕霞があたりを漂って趣の深い時刻になりました頃、そのまま明石の御方のお部屋の方にお出でになります。

「久しうさしものぞき給はぬに、覚えなき折なれば、うちおどろかるれど、様ようけはひ心にくくもてつけて、なほこそ人にはまさりたれ、と見給ふにつけては、またかうざまにはあらでこそ、故よしをももてなし給へりしか、と、思し較べらるるにも、面影に恋しう、悲しさのみまされば、いかにしてなぐさむべき心ぞ、といとくらべ苦し」
――(明石の御方にとっては)長い間、少しの間もお訪ねになられぬ源氏でしたので、思いもよらぬこととて、はっとなさいましたが、きちんと応対なさるのでした。源氏は
明石の御方は、なるほど人並み以上に床しい方だとお感じになりますが、それにもまして、紫の上は、この方とは違う深みのあるご態度であったと比較なさるにつけても、紫の上が面影に立って恋しく、一体どうしたらこの心が慰むのかと、ご自分を持て余すほどの苦しさなのでした――

 こちらの御方の所では、源氏はしみじみと昔のお話などなさって、

「人をあはれと心とどめむは、いとわろかるべき事と、いにしへより思ひ得て、すべていかなる方にも、この世に執とまるべき事なくと、心づかひをせしに、大方の世につけて、身のいたづらには触れぬべかりし頃ほひなど、とざまかうざまに思ひめぐらししに、
(……)末の世に、今は限りの程近き身にしてしも、あるまじきほだし多うかかづらひて、今まで過ごしてけるが、心弱う、もどかしきこと」
――女を可愛いと思って執着するのは、大変いけないことだと、昔から悟っていまして、万事何事にもこの世に執念が残ることのないように気をつけてきました。(あの須磨明石に流離っていました時は、命も捨てるつもりの覚悟もできていましたのに)この晩年になって、死期も近づいた身の上で、かえって取るに足らぬ絆にまとわりつかれて、今日まで空しく暮らしてきたとは、まったく心弱くももどかしいことです――

 などと、紫の上のお亡くなりになった寂しさには、直接触れてはいらっしゃらないお話ぶりですが、明石の御方はおいたわしく思われて、

「大方の人目に何ばかり惜しげなき人だに、心の中のほだし、おのづから多う侍るなるを、まいていかでかは心安くも思し棄てむ」
――世間から見て大して惜しそうでもない人でも、その人としては、心の中では執着が多いそうですのに、まして貴方様の御身では、どうしてそうのようにさっぱりと思い切れになれましょう――

◆心にくくもてつけて=立派に心用意をして

◆写真:山吹を持つ源氏  風俗博物館

ではまた。