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落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

めでたい話

2008年09月25日 | diary
映画:「闇の子供たち」、上映中止は残念‐‐タイで監督会見
タイの人身売買・臓器売買描く『闇の子供たち』、バンコク映画祭で上映中止
人は人 我は我なり されど仲よき哉日誌:タイでは見れない「闇の子供たち」 (会見詳細)
「少女から生きたまま心臓移植」 映画「闇の子供たち」の問題PR

昨日現地で監督側の記者会見が行われましたがー。
今回の中止でタイ国内での上映がダメになったってわけではなくて、これから編集を変えて上映できるように継続してはたらきかけてくとゆーことですが、そのバージョンも是非とも観てみたいですね。もしかしたら却ってそれでよくなるかもしれないし。

しかしこのJ‐CASTの記事はなんでしょーな?これだけじゃなくてレビューサイトにも「反日作家原作のあたかも事実であるかのように嘘を描いた捏造映画」なんて投稿も結構目立つんだけど、ぐりが知る限り製作・配給側が自らこの映画をノンフィクションとしてPRした事実はないんじゃないかなあ?あんのかな?知識ゼロのボケた媒体側のミスリードではなく?つかあったとしても、商業映画の内容を事実として鵜呑みにするのはそれはそうする人の自己責任じゃないの?だって映画ですよ。「実話に基づく」と明確にうたった映画だって、便宜的に事実を作り変えることはよくある。それをいちーちここが違うどこが違うとつつきまわすことにどんだけ意味があるっちゅーの。大体この映画の原作はれっきとした小説だから、実話なんかじゃないことはあえていうまでもないことだ。記事中の医師の証言も劇場用パンフレットに掲載されてるしー。
この記事が上映中止報道の直後に出てきたとこがまたねえ。べつにぐりは映画そのものを擁護したいワケじゃないけど、事実に反するとゆーツッコミをいれたければ、じゃあ事実はどーなんだっちゅー独自の反証が必要じゃないのかね?それがなかったら子どもが「お前のかーちゃんでべそ」なんて囃すのといっしょじゃね?

ぐりは原作は読んでないけど、この映画を観る以前からと観た後で、人身売買について何冊か資料を読んで、関連のNGOの話を聞きに行ったりインターネットで調べたりして、映画に描かれてることはフィクションだけど、ほぼ同じようなことや、もっともっとひどいことが現実に起こっていて、その現実と日本に住む我々は決して無関係じゃない、という結論を自ら得た。というか正確にいえば、今のところ、半ば得たつもりになっている。そしてこれからまだまだ知る必要があると思っている。
ぐりは映画に完璧な真実なんか求める必要もないし、そんなもの求める方がナンセンスだと思う。そもそも真実は与えられるものじゃなくて自分で導き出すものじゃないの?そんなん常識じゃないの?映画はそのフックになればじゅうぶんだし、この映画はそれだけの機能はきっちり果たしてると思う。

資料を読んだり人の話を聞いたりしたぐりが思うのは、この映画を「事実じゃない」と声高に批判する人ほど、実際に何が行われているかという現実に無関心なんじゃないかということだ。
劇中、エイズを発症してゴミ袋に詰めて捨てられた少女が命からがら帰り着いた我が家で、親の手で生きながら焼かれるという非常にショッキングなシーンがあった。日本の大多数の観客はあまりの哀れさと凄惨さに暗い気持ちになるだろうと思われる場面だが、現地で活動するNGOのレポートを読んだあとではまったく別の風景にも見えてくる。
NGOの救出活動・当局の摘発・脱走などで売春組織から逃れた買春被害者のほとんどは、件の少女のように故郷に帰りたがるという。だがさまざまな事情で帰れない被害者も大勢いる。帰れない被害者の更生の道は険しい。再びブローカーの手にかかって売春宿に逆戻りする人もいる。被害者であるにもかかわらず入管施設や留置所では犯罪者扱いされ虐待を受ける人もいれば、どうにか故郷に戻れたもののHIV感染や売春の過去を理由に差別された挙句に殺される人もいる。被害者の郷里は都市部から隔絶された僻地が多く、場所によってはいったん帰郷すれば行き届いたHIV治療が受けられる保障はない。
そういう観点からいえば、件の少女は必ずしも可哀想とはいいきれない。観る人によっては「家に帰れて親に会えたんだから良かったじゃない」「ゴミ集積所で死ななかっただけ上等」ぐらいのことはいえてしまうかもしれない。たとえ家に入れてもらえなくて、蟻にたかられながらガソリンかけて燃やされて死ぬとしても。彼女の妹だって、ちゃんと病院で麻酔して手術されるだけマシだなんていう人だっているかもしれない。子どもの臓器密売事件の報道記録を見ていれば、この映画に描かれたような事例くらいなら絶対に起こりえないとはいえないし、もっとひどい最期だっていくらでもある。可哀想どころじゃないよ。何も映画に出て来た子どもたちはラッキーだとかいうわけじゃないけど、いずれにせよ、映画だけ観てわかったようなつもりになってしまうのはとても怖いことだ。
それほどまでにほんとうの現実は厳しい。こんな映画つくりごとだ、といって反発するのも勝手だが、ぐりとしては、つくりごとでまだよかったよといいたいくらいである。どーせこの映画を話題にするなら、ツッコミどころは他にもあるだろーに。おめでたいことでけっこうだ。現場で戦ってるNGOの人たちにもおんなじこといってあげてみてくださいな?

この上映中止に関するニュースがどこもお粗末で笑える。
出演してる警官ほとんどホンモノなのにそんなの無許可で撮影できるワケがないでしょ。ゲリラ撮影やってたじゃんとかツッコんでる人もいたけど、クルーが警戒してたのは当局じゃなくて現地マフィア(賄賂もらってるチンピラ警官含む)である。以前ドイツのクルーが同じ題材を撮ろうとして恐喝に遭ったことがあるから。逆に私服警官に護衛してもらって撮影したパートもある。これらはすべて監督や出演者のインタビューで語られていてインターネットで閲覧可能である。まともな日本語読解能力があれば誰でも知ることができる程度のネタだ。AFPの記事、上映中止に関する監督側のコメントが出てないて、昨日現地で記者会見やってますって。昨日の時点で時事通信が配信してます。
ぐりも無駄に知った口を知らずにきいてこれ以上馬鹿をみないよーに、これからもっと勉強しよーと思いまーす。


ポラリスプロジェクト:【9月27日】「人身取引大国ニッポン:女性や子どもたちへの暴力をなくすために」 第一回勉強会
ピープルズプラン研究所:一度に読み解くセックスワークと人身取引

関連レビュー:
『闇の子供たち』1
『現代の奴隷制―タイの売春宿へ人身売買されるビルマの女性たち』 アジアウォッチ/ヒューマンライツウォッチ/女性の権利プロジェクト著
『アジア「年金老人」買春ツアー 国境なき「性市場」』 羽田令子著
『幼い娼婦だった私へ』 ソマリー・マム著
『子どものねだん―バンコク児童売春地獄の四年間』 マリー=フランス・ボッツ著
『アジアの子ども買春と日本』 アジアの児童買春阻止を訴える会(カスパル)編
『少女売買 インドに売られたネパールの少女たち』 長谷川まり子著


寝る子は育つ。

東京見聞録:東京の中華街 池袋西口を歩いてみた /東京
このへんホントに中国系のお店多いよね。つーてもぐりが知ってんのは西口っちゅーより北口?本屋とかビデオ屋とか食材屋とか茶房とか。
ここだけじゃなく東京には他にも中国系の店が集まってる場所はあって、神保町なんかもけっこう多い。最近行ってないなーそーいえばー。

寿司食いねェ

2008年09月24日 | movie
『次郎長三国志』

無実の罪を着せられて清水を離れていた次郎長(中井貴一)を3年間待ち続けていた恋女房お蝶(鈴木京香)。帰郷早々、子分の石松(温水洋一)の旧友政五郎(北村一輝)が連れて来た相撲取りの久六(蛭子能収)一家を引き受けて興行を打つことになるのだが、次郎長の台頭をよく思わない黒駒(佐藤浩市)一家など手強い敵が彼らの前に立ちはだかり・・・。

えーと最初に断っときますが、ぐりは清水の次郎長とか森の石松のことはゼーンゼン知りません。時代劇好きでもないし、マキノ雅弘や工藤栄一監督の次郎長ものも1本も観たことない。
それでもこの作品は「次郎長を知らない若い世代でも楽しめる」とずいぶん早くから評判だったし、観とこっかな?と思って行ってみたんだけど。
んー。レディースデーで正解・・・だったかも。
イヤおもしろいよ。うん。わかりやすいし、笑いあり涙ありアクションあり、一種の様式美といっていいくらい娯楽時代劇の各要素がたっぷりこってり詰まってて。
けどやっぱり、これって時代劇が好きで、次郎長の世界が好きな人の方が、観ててずっと楽しいだろうなと思う。そんなの当り前なんだけどね。

ただし、義理と人情と愛と侠気がすべてとゆー、一種のファンタジーそのもののような世界観は心ゆくまで楽しめるし、次郎長になんの思い入れもなくても充分感情移入できる作品にはなってます。完成度にまったく文句はない。
あとキャストがむちゃくちゃ豪華で、ワンシーンしか出てこないチョイ役に至るまで全員が超メジャーな俳優ばっかり。しかもそれがいちいち気持ちいいくらいハマってる。出演者全員がここまでおいしい映画がつくれるのは監督が俳優だからかなー?まあでも結局は竹内力=三馬政が最終的に全部持ってっちゃうんだけど。この人キョーレツ過ぎるわあ。笑えるけどー。
それと、ぐりは中井貴一って今まで俳優としてあんまり評価できなかったんだけど、コレ観ちゃうと「この人はこれでいいんだ」って気持ちになるね。こんな冗談みたいな王子様キャラを、この歳で何のムリもなく表現できちゃう俳優って他に思いつかないもん。何やっても万年好青年でも、他に誰もできない芸があるってのは素晴しいことだ。

演じてる皆さんがひとり残らずこんなに楽しそうな映画なんてそうそうないし、観てる方も楽しい映画ではあるんだけど、ぐりがコレはムリ!と思ったのは宇崎竜童の音楽。
この方、けっこう映画音楽いっぱいやってるんだけど、失礼ながら毎度なんでこの人?この音楽でいいのマジで?と思う。くどいんだもん。そんなこと、ないですかー?

盗人ヶ辻

2008年09月23日 | play
『泥棒村』

福岡県にかつて実在した泥棒部落を題材にした物語。
窃盗団の“真打ち”後継者に選ばれたモモ(川畑智子)は世界的都市デザイナー金田一郎(木村準)に求愛されるが、泥棒の過去を理由にプロポーズを固辞する。金田は童話作家の宮沢賢治を敬愛し新しくオープンしたレストランにも「イーハトーブ」と名づけていた。

結城昌治の小説『白昼堂々』に描かれ、松坂慶子主演で1987年に『女咲かせます』というタイトルで映画化されたこともある泥棒部落。
ぐりはこの舞台を観るまで知らなかったのだが、どうもコレ現在の福岡では若干センシティブな話題になってるみたいですね。まあね、映画やお芝居なんかで描かれるのはフィクションに都合のいい部分だけですから。
けど古今東西フィクションに描かれる泥棒は庶民のヒーローだった。鼠小僧に石川五右衛門、怪盗ルパンに怪人二十面相、三億円事件の犯人だって捕まってないのに何度も映像化される人気者だ。彼らは庶民の「持てる者」への消化不可能な嫉妬心に想像力で報いてくれる。それなのに現実の泥棒は触れるのも穢らわしいような差別を受ける。このギャップってなんだろう?

このお芝居では地域まるごと窃盗団というモチーフをベースに、ここ数年で極端に保守化した日本の価値観の壁に思いっきり正面から疑問を投げかけている。
登場するのは窃盗団だけではないし、その窃盗団にしても歴史や成り立ちからきちんと説明がある。誰もが国語の教科書で習う宮沢賢治の功罪についてもかなりはっきり言及される(どうでもいいことだがぐりは宮沢賢治がどうしても好きになれない。子どものころからダメである。でもそんなこと口に出していえないという場の空気の方がもっと嫌いだった。言葉にして書くのはこれが初めてである)。秋葉原通り魔事件の犯人が投稿していた掲示板のログがそのまま朗読されたりもする。
要するに「スジが通ってる=正しい」って思いこみは怖くないかい?ってことが、妙に堂々とした窃盗団の結束力を背景に描かれてるてワケです。えーと、たぶん。

着眼点には非常に共感するしテーマもいいし途中まではホントにおもしろかったし、いいたいことはすっごくよくわかるんだけど、残念ながら盛り過ぎ。
8割方はよかったんだけどね。お店広げ過ぎて収拾つかなくなってなかったですかねー?それともぐりがついてけんかっただけかしらん?小劇場はこんなもんでえーんですかねー?
しかしぐりは小劇場ファンじゃないんで、もーちょっとカタストロフとゆーか、〆で「観た!」とか「終わった!」とかそーゆー達成感が欲しかったかも。
けどキャストはすごくよくて、香川耕二(時代劇によく出てる。声が個性的)とか根本和史とか伊藤紘(このふたりはCMとか連ドラでよく見る脇役俳優)とか激シブなオトナの出演者が多くて、オトナ大好きなぐりはひとりでにまにましちゃってました(キモ)。スイマセン・・・。

美男子天国

2008年09月22日 | diary
ルポ・腐女子の愛は国境を越えて(1)(2)(3)(4)〜婦人公論

ちょっと前にネイルサロンに行ったときに、ネイリストの人となぜかゲイバーの話になり。
ぐりはゲイバーって行ったことなくて(ゲイクラブならある)、ホストクラブとかその手のいわゆる男性が接待してくれるタイプの飲食店そのものには縁がない。聞けば“メンキャバ”とゆー、キャバクラの男性版なんかも世の中にはあるそーですが。ほえー。
ホストクラブは大抵初回は¥3000で飲み放題、入れ替り立ち替わりいろんなおにいちゃんがチヤホヤしてくれるから一度行ってみればー?と勧められたのだが、「じゃあ行こうかな」という気分にはイマイチなりにくい。知らない人と喋ってもリラックスできないし。大体そういうお店の男性って若者でしょー?若い男の子苦手・・・とかいってる時点で大人としてどうなんだアタシ。終わってますか。
ただ、水商売の男性自体は実をいうと嫌いじゃない。大昔、学生時代にある事情で短期間に集中的に新宿界隈の水商売のお店をまわってその方面の人たちの話を聞いたことがあって、そのときは、この職業の男性にハマってしまう人の気持ちがすごくわかるような気がしたものだった。彼らオンナ(とゆーか客)をコマすプロですからねー。女性が「ぐっ」と来てしまう挙措動作に精通してます。それはまあ一種の幻想なんだけど、その幻想自体は女性が最大公約数的に求めてるものでもあって、素直にその幻想を求め受け入れられる女性ならけっこうスカッとハマってしまいそうだなという感触は実感として感じました。
ぐりはそこらへん素直じゃないというかヘソ曲がりなので「なるほどな」と感心したくらいですけども。かなり感心はしましたけども。

幻想という意味では水商売とボーイズラブは世界観はそのまま表裏一体である。どちらもいってみればバーチャル・リアリティ。現実のようにみえて全然ウソ。ウソであることが大前提、ウソだからこそ女子が喜んで崇め楽しむ男の世界。
水商売はそのお店に行って生身の男の子と触れあわなければ楽しめないけど、ボーイズラブはコミックや小説やDVDやCDやインターネットや、あらゆるマスメディアに乗って世界中どこででも楽しめる。
男性の世界にも似たものはあるけど、主に女性が楽しむポルノグラフィーと男性が楽しむそれとの間には決定的に大きな違いがある。男性のポルノグラフィーには「用途」がある。女性のにはない。よしんばあったとしてもそれは作品を楽しむ上での主目的ではない。女性はボーイズラブ作品を作品そのものとして鑑賞する。だから男性向けのポルノグラフィーとはまったく違ったベクトルと広がりをもって発展できるんだよね。国境とか言語とか超えるポルノグラフィーってボーイズラブ以前にありましたっけ?ないよね?
しかもボーイズラブはポルノに限らない。ぐりがふだん読むボーイズラブにはラブシーンがさっぱり出てこない。でも一応ボーイズラブ。男性同士でしか成立しない物語。ボーイズラブの領域は広い。「ゲイに捨てるところなし」って誰がいってたんだっけ?ラブシーンなくてもおもしろいボーイズラブ。

たまにボーイズラブコミックを読むぐりだけど、正直な話、好きな作家以外の作品にはもうまったく興味がないし、新しく守備範囲を開拓する気もない。だって他に読む本とか観たい映画とかいっぱいあるし。ただでさえキャパオーバー気味なんで。今市子作品が日常読書の箸休め程度で手一杯です。
あとね、やっぱしボーイズラブって幻想だけあって幻想からまず一歩も外に出て行かないんですよ。どーしてもぐりはそこが物足りない。セクシュアルマイノリティを描くからには、そこに関わって来る社会的背景とか、文学性とか芸術性とか、奥行きがどうしてもほしくなっちゃうんですよ。けどさすがポルノグラフィーというべきか、現実には当然そこにあるべきいろんなファクターがお約束の如くごっそり抜け落ちてて、そのことに誰も違和感を唱えないってとこがね。逆にキモくないですか?とゆー。
そんなことゆってるぐりがキモいのか。

けど最近ではボーイズラブって女の人だけが読んでるわけじゃないんだってねー。ゲイも読めばストレート男子も読んでるらしーです。どーなっとるんじゃいっ。
あと広い巷にはボーイズラブ系のアダルトDVDとゆーものがあって、一部はアマゾンで買えたりもするらしー。海外の動画投稿サイトではそこから抜き出した美男子動画がいろいろ観れます。投稿サイトなのでもちろんエロなし。初めて観た時のぐりの驚愕をご想像下さいませ(そして検索して下さいませ)。北京語とかスペイン語とかタイ語で字幕ついてたりするんだからまたビックリさ。ホントみなさん好きよねえ。あはははは。


沖縄ソバ。
『ハブと拳骨』で石田えりと宮﨑あおいがつくってたのってこーゆーの?

夢の中で映画

2008年09月21日 | diary
架空の「映画」を久しぶりに夢で観たのでメモしておく。
主演は胡軍(フー・ジュン)、趙薇(ヴィッキー・チャオ)、孫紅雷(スン・ホンレイ)。

表向き青年実業家の胡軍は、裏では違法なビジネスにも手を出す半分ヤクザのような小悪人。
あるとき美しい女性=趙薇に出会ってひと目で気に入るのだが、清廉潔白な彼女は胡軍の正体を見抜いていてなかなかアプローチに応じない。反発されると燃えるタイプの胡軍は強引に言い寄り、ついにはものにしてしまう。

投資が成功して会社を大きくした胡軍は、女優志望の趙薇にチャンスを与えてやり、郊外のマンションに新居も構え、病気で苦労していた彼女の老親の世話もしてやる。
感謝した趙薇は胡軍を夫として愛するようになり、危ない仕事は辞めて平穏に暮したい、家族のことを考えてほしいと懇願する。
いったんは彼女の言葉に心を動かした胡軍だが、愛を手に入れて気が大きくなった彼はもっと大物を目指したくなり、激しく彼女と衝突する。そんな折りに投資先が倒産し、不渡りが出て会社が危機に見舞われる。
解決策は盗品の不正取引。本来の取引業者が別件で摘発されて宙に浮いた盗品を、秘密裏に買い取り先に届けるだけで利益はすべて転がり込んで来る。

取引場所は趙薇が出演している劇場。警備の目をくぐり抜けてどうにか侵入に成功したものの・・・というところで目が覚めた。
ホントにホントのクライマックスだったのですごく惜しかった。
雰囲気は『恋するふたり』『藍宇』を足して2で割ったみたいな感じですかね。ちょっと古くさいよーで場面によっては結構斬新でもあり、ディテールが細かい割りにバランスが悪くて全体の完成度がイマイチ、犯罪者の主人公は絶対アンハッピーエンドな今どきの中国商業映画のお約束という点では『恋するふたり』に近い。とにかく誰もがイケイケドンドンな北京の今の感じがナマナマしかった。って行ったことないけど(爆)。北京。
アクションシーンもあって、最後に観たシーンでは胡軍が白いシャツをはだけてブリーフケースを提げて全力疾走していた。目が覚めて「こんなシーンどこで観たっけ?」と真面目に記憶を辿ってみたけど思い出せない。勝手に頭の中でつくりだした映像なのだろう。
ちなみにタイトルは「秘密の女神」(爆)だった。

たぶん観たかった映画が東京国際映画祭の出品リストにことごとく入ってこなくて、落胆で夢の中でテキトーな物語をでっち上げて観てしまったのだろう。しかしアタシはどんだけ胡軍が好きなんだ。


待ち犬。コンビニにて。

「闇の子供たち」タイで上映中止 人身売買の内容に反発
タイでの観客の反響が気になっていたので中止はとても残念。
どうにかして上映してもらいたいものですが・・・。